砂敷村

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「何が目的だ」 客人は手痛い裏切りを何度も見聞きしていた。 普通の村民が敵兵に寝返っていて、日本兵を捕虜として差し出すような事例はその1つだ。警戒されないよう、女子供を使うということも常套手段だった。 少女は首を傾げた。 その瞳の奥が小賢しく光っているように見えて客人は一層鋭く少女を睨みつけた。 「何も望んじゃいないわ」 少女は呆れた顔をして答えた。 「現に貴方のものは何1つ取っていないじゃないの。」 客人の枕元には軍服と軍帽が。そして手には、大事な形見の軍刀が握り締められていた。 その事実に気付いて客人は愕然と少女を見つめた。 どうしてだ? 「何が目的だ……」 力なく問うと、一転して少女はころりと笑った。 「目的なら、そうね……」 小賢しく光って見えた瞳は、明るく賢そうに輝いている。 「貴方のこと、看病させて欲しいの」 良い加減刀を離したら、と少女は言う。 気遣わしげに眉尻を下げた少女は真っ直ぐに客人の手元を指差した。 「貴方血だらけよ」 客人が目を落とすと、丁度血の滴が布団へ落ちていくところだった。深いところから出た暗い色の血だ。それは寝巻きの袖の中から伝ってきて掌と刀の柄を汚している。 「こんなに、なってたのか……」 掠れた声で言い切るなり、客人は刀を取り落とした。体からぐらりと力が抜ける。 「貴方っ!」 驚いている少女の声を最後に客人は再び意識を失った。 * * 枯れ果てた岩山の上に客人は立ち尽くしていた。見下ろすと雲海が遥か彼方まで続いていた。その雲海を吸い込んでいくような眩い朝焼けがこの場所を透明に照らしていた。 少し先、断崖ぎりぎりの場所に誰かが立っている。 茶色の軍服姿のすらりとした体つき。短く切り揃えられた髪から白い頸が伸びていた。肩にかけた弓と矢筒は彼女が1番得意としていた武器だ。客人は彼女をよく知っていた。あの日からずっと会いたかった人だ。 「……」 名前を呼ぼうとしたのに声が出なかった。喉に何かが詰まってしまったようだ。 どうして、と客人は喉を掻き毟った。漏れ出てくるのは乾いた呼吸音ばかりでちっとも形にならない。 断崖の先で彼女は振り返った。何かを言っているようだ。 藻搔くことを止めて、客人はじっと彼女の唇を凝視した。 い、き、て。 生きて。 そう言ったのか?椿……。       * * 次に客人が目を覚ました時、辺りは薄闇に包まれていた。 木を燃やす温かな音が部屋の中を満たしている。 ゆっくりと音のする方へ顔を向けると、囲炉裏端で鍋をかき混ぜる少女の姿があった。 白い頬に橙色の火の色が照り映えている。 後ろに伸びた長い影が彼女の動きに合わせてゆっくりと揺れていた。 部屋中にお腹が空く良い匂いが充満している。 「目が覚めたのね」 急に話しかけられて客人はぎょっとした。こちらに顔を向けた少女は良かったわ、と微笑みながら近寄ってきた。 「もう投げ飛ばさんといてね」 「……」 聞き慣れない、変わった訛りだ。 枕元に置いてあった水差しを持ち上げて、お椀へ水を注いだ少女はゆっくり客人の上半身を起こした。そして口元へお碗を近づてきた。 「お前が先に飲め」 客人は嗄れた声で言い放つ。 知らない人から与えられる食物は信用してはならないものだと生まれてこの方教えられてきていた。 危険な薬物や毒を入れられている可能性があるからだ。 少女は仄かな闇の中で思案顔をしてから何も言わずに黙ってお碗の水を飲み干した。 疑り深くその様子を見ていた客人にほらね、と宥めるような口調で言う。 「何も無いでしょう。貴方のこと殺してもなんの得にもならんのよ」
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