砂敷村

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そう語る客人の横顔は、今にも消えてしまいそうなくらい、弱々しくて儚かった。 「大切な人だったのね」 そう言った泉桜は、自分のことのように悲しそうな顔をした。 「俺は明日、ここを出るよ」 「当てはあるの?」 心底心配そうな泉桜の顔を見ていたら、客人の胸はちくりと痛んだ。 自分は最初この人の手を振り払い、体を突き飛ばし、刀を突きつけ、疑ったのだ。 「ない。ないけど、ここにはいられない」 俺は貴方と違って人間ではない。鬼だから。 戦争しか知らない鬼は人間と一緒にはいられない。 泉桜は目を閉じた。 長い睫毛が揺れている。 そして唐突に、包帯をしていない方の手を包み込まれた。 温かくて柔らかい感触に息を飲んでいると、泉桜は静かに告げた。 「ここにいなさい」 「え……」 うっすら開いた泉桜の瞳を、長い睫毛が覆う。 悲しげな影が落ちた。 「行く宛もなく彷徨うのはとても危険よ」 「いや、俺は……」 「まだ傷も癒えてない」 右肩に酷い火傷があるのよ、と泉桜は被せるように言う。 道理で突っ張るような感覚がある訳だと客人は遠くの方で納得した。 「貴方は軍にいた時間が長かっただろうし、まずはここで民間人の生活に馴れるのも悪いことではない筈よ」 客人は戸惑っていた。 「俺は貴方の言う通り軍にいた時間が長いから」 人を効率良く殺す方法しか学んでこなかったのに。 「どうしてだ」 どうして俺を助けようとする。 客人の問いに泉桜はきょとんとした。何を聞かれているのか心底分からないようだった。 「どうしてって……」 ざわざわと風が吹いた。 蒼い闇の中、泉桜はきっぱりと告げた。 「貴方が私と同じ人間だから」 「にん、げん?」 客人はその言葉を反芻して愕然とした。 「そんなことない。俺は、鬼だ」 「人間よ。人間でなければこんなふうに誰かを想って心を痛めたりしないもの」 「こころ?」 「そう」 泉桜は胸に手を当てた。 「心よ」 もう1度、力強く家主は言った。 客人は釣られて胸に手を当てた。 しかし、心の在り方は分からない。 この人には何が見えているのだろう。 泉桜は妙に確信めいた口調で告げた。 「いつか貴方にも分かるよ」 貴方お名前は、と尋ねられて客人は意図せず答えていた。 「佑真」 「そう。佑真くん」 良い名前ね、これから宜しく、と。 こうして佑真はその身を砂敷村に置くこととなった。      * * それは後世で第3次世界大戦史上最も激しい戦いの1つと言われる作戦だった。 九州南部奪還作戦。2100年以降、鹿児島県から宮崎県南部に掛けてが中国朝鮮共同戦線義勇軍に占領されていたのだ。この奪還作戦に佑真や椿も投入されていた。 結果的に言えば作戦は成功した。 成功したね、と隣にいた椿が笑いかけてきた次の瞬間、その体が崩れた。 生き残っていた敵兵は捨て身の自爆攻撃を仕掛けてきたのだ。 あちこちで爆弾が落ち、銃弾が飛び交っている。 怒号と悲鳴、轟音に背を向けて、佑真は路地裏に入った。 腕の中の椿は胸から血を大量に流していた。 「椿、しっかりしろ!」 椿は首を振って、佑真へ手を伸ばした。 震えるその手をとって握りしめると、椿はとても嬉しそうに笑った。 こんな時に笑っている椿に信じられない程腹が立った。 そしてもうどうしようもないことを悟って、狼狽した。 「椿」 死ぬな、頼む、と懇願する佑真に、しかし椿は笑って別れを告げた。 「佑真、ありがとう」 どうか生きてね、と。
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