最高のアイドルと、最強の敵。

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最高のアイドルと、最強の敵。

 たぶん、それは生まれて初めての『一目惚れ』だった。  ―◆― 「ずっと、応援しています」と、彼女は言った。  それは、あまりにも唐突で、想定外の出来事だった。きっと、私は面白いほどに目を丸くして、人形のように固まっていたのだと思う。スタッフに背中を小突かれて私は慌ててあるべき表情を作り直した。簡単なお礼の言葉とともに両手を差し出すと、目の前の少女は嬉しそうに頬を緩めて私の手を取った。それはとてもじゃないが『完璧』には程遠い、不格好で、私の知らない笑顔だった。  ……まさか、人違いだろうか? 恐る恐る彼女の顔を覗き見ると、彼女は再びニコリと不用心な笑顔を見せた。私は慌てて視線を逸らす。だけど、間違いない。この子は紛れもなく私の知っている『彼女』だ。私が彼女のことを見間違う筈がないし、私を他の誰かと勘違いしているのであれば、そもそも彼女がここにいる理由がない。彼女は間違いなく『私』を『私』として認識している。だから、彼女はここにいるのだ。私――『日向ツバサ』の握手会場に。  都内某所。展示会などにも使われる中型のイベントホールを貸し切って握手会は行われている。マネージャーによると、アイドルの単独握手会としては史上最高の動員数となるそうだ。会場は人で埋め尽くされ、建物の外にまで待機列が伸びているらしい。  改めて、私の名前は日向ツバサ。十五歳。  本名ではなく芸名だけど、ここではそう名乗っておいたほうが良いだろう。職業は……一応、アイドルということになるのだろうか。アイドル業以外にも、毎クール必ず一本はテレビドラマにも出演しているし、今も撮影が進行中の映画の仕事だってある。洋画の吹替えやアニメの声優にだって挑戦しているし、もちろん学校にだって通っている。それでも、きっと世間的に一番通りが良いのはアイドルという肩書きだろう。  本題に入る前に、少しだけ、私の半生について語らせて欲しい。そうすることが、きっと『私』と『彼女』のことを知ってもらう一番の近道だと思うから。  ――私の芸能生活は物心もつかない頃に始まった。  初めてテレビの画面に映ったのは、乳幼児向け玩具のCMだったそうだ。もちろん、私自身は覚えていない。それから、いくつものドラマや映画に子役として出演し、小学校高学年の頃にはジュニアアイドルグループの一員としてアイドル活動を始めた。ソロデビューしたのは中学生になってすぐの頃だったから、今からちょうど三年前になる。これまでにリリースしたCDはすべてミリオンヒットを記録して、この夏にはドームでの単独ライブを控えている。自分で言うのは気が引けるが、世間が言うには『押しも押されぬトップアイドル』というヤツなのだそうだ。マスコミは面白おかしく私のことを『完成された偶像(アイドル)』だと言う。  別に好んで選んだ道ではないけれど、これは私の天職で、自分が望もうが望まなかろうが私には誰よりも人を惹きつける才能があるのだと思っていた。  そう、今、私の両手をギュッと握りしめて涙を浮かべる彼女と出会うまでは……  ―◆― 「新入生代表挨拶。新入生代表――蔭地(おうじ)マコト)」  教頭先生に名前を呼ばれた生徒が立ち上がり、壇上に向かって歩を進める。  ピンと天に伸びた背筋を崩すことなく、真っ直ぐ前方に向けられた視線を揺るがすことなく、堂々とした様子で歩いていくマコトと呼ばれた少女。私は規則正しく整列した新入生の列の中からその姿を見上げる。誰かのステージ(これをそう呼ぶのが正しいのかは分からないけれど)を舞台の下から見上げるというのは、むしろ私には新鮮な体験だった。この私を差し置いて。なんて気持ちは少しもなかったけれど、ただ何となく興味があった。同世代の、普通の女の子というものが、この大人数の前で一体どんなスピーチを見せるのかと。だけど…… 「暖かな春の訪れとともに」  彼女が第一声を放つとともに、私の背筋に稲妻が走った。  ――尋常じゃない。  まず初めにその言葉が頭に過った。なにが、どうして、なんてことを脳が考え始めるよりも早く、私の目と耳は警戒態勢を取った。この異常を察知したのは私だけではなかったようで、入学式が執り行われている講堂に集められた数百人の新入生と保護者、教員、その全員の意識が余すことなく一瞬にして壇上の少女に向けられたのが分かった。 「私たちは、ここ春木谷女学院に入学しました」  蔭地マコトと呼ばれた少女の言葉に句読点が打たれる度に、講堂は無音に塗りつぶされる。それは私がこれまで経験したことのないような、完全な静寂だった。先に行われた理事長先生の挨拶の時ですら、これほど静まり返ってはいなかったように思う。ここにいる全員が最大限の注意を払い、観衆として最善を尽くして彼女の声に耳を傾けようとしているのが分かった。  ここ春木谷女学院は、芸能科を有するという点を除けば何の変哲もない普通の私立女子高だ。都内の主要地にアクセスの良い立地であることと、芸能科がある女子高という点で、関東圏内で芸能活動を行っている女子中学生の多くがこの学院を進学先に選ぶらしい。特にアイドル活動なんかを行っている女子にとって共学は何かと不都合が多いようで、かく言う私もマネージャーに勧められて受験した口だ。  しかし、当然ながら生徒数としては普通科の方が芸能科の何倍も多く、入学式の新入生代表挨拶も代々普通科の入試成績優秀者が務めることになっているそうだ。私は中学の頃も芸能科のある学校に通っていたからよく知っている。基本的に芸能界を目指す生徒というのは我の強い子が多い。芸能科には自分たちを差し置いて普通科の生徒が新入生代表を務めていることを快く思わない生徒もいるだろう。だけど、蔭地マコトの前ではそんな芸能科の生徒たちも例外なく従順なオーディエンスと化していた。 「これから始まる三年間の学院生活に――」  神々しさすら覚える光景に、私は思わず固唾を呑んだ。  彼女は何の変哲もない、ありふれた挨拶文を、文面通りに読み上げているだけだ。その内容に特別な意味はない。この学院でなくとも、新入生代表が彼女でなくとも、今日の今頃は日本中の学校の入学式で同じような言葉を聞くことが出来るはずだ。  ……なのに、その有様は決して、ありふれたものなんかじゃなかった。  壇上に立って、紙に書かれた文章を読み上げている。それだけのことなのに、私は彼女から目を離すことが出来なかった。これを見逃してはいけないとすら思った。ただの新入生代表の挨拶が、まるで十年続いた名舞台の千秋楽のように、私の意識を捕えて離さなかったのだ。    私は普段、ステージの下からあんな風に見えているのだろうか?  私は不意に自問した。世間の言葉が正しいのであれば、私は現代最高のトップアイドル、『完成された偶像』だ。自惚れているつもりはないが、私は、私を応援してくれる人たちの言葉を信じたいと思う。……だけど、それは具問だった。私はあんなふうには振る舞えていない。誰もあんな風には振る舞えない。彼女以外は、誰も。壇上で挨拶文を読み続ける彼女の姿は、まるで何かの理想が形を得たかのようで、恐ろしかった。 「――以上をもって入学の挨拶とさせて頂きます。新入生代表。蔭地マコト」  そう結ぶと、マコトは視線を上げてにこりと微笑んだ。  パチパチ  誰からともなく拍手が起こる。  繰り返して言うが、これはただのごく一般的な高校の入学式の挨拶で、彼女は用意された定型文をその通りに読み上げたに過ぎない。もし彼女以外の生徒が同じことをしたならば、もう今頃その内容はすっかり私たちの頭の中から消え去っていただろう。  だからこそ、彼女の異様さが際立った。  拍手は鳴り止まない。周りの新入生も、先生方も、保護者たちも、見渡す限りの誰もが突如目の前に現れた強烈な新入生に賞賛の拍手を送っていた。  ――私を除いて。  無作法だとは承知していたけれど、私はどうしても手放しに彼女を称えることが出来なかった。私こそは、それを称賛してはいけないと思った。嫉妬していたわけでも、対抗心を燃やしていたわけでもないと思う。ただ、納得できなかった。あんなものが、自然に育まれるはずがない。あれが自然に身に付いたものだとすれば、私たちの努力や苦労は一体なんなのだ。きっと、何か理由があるはずだ。私は懸命にその正体を探ろうとした。だけど、どれだけ頭を働かせても私が結論を得ることはなかった。こうして、私の高校生活一日目は釈然としない気持ちだけを残して終わったのだった。  それから、私は蔭地マコトの姿を追いかけるようになった。  仕事の都合で毎日通学することは難しかったけれど、私は時間の合間を縫って学校に顔を出すようにしていた。なんとしても、彼女の成り立ちを解明したかった。それは、今後、私が芸能活動を続ける上で必要なことだと思っていたし、なにより『アレ』を認めてしまえば、これまで自分を支えていたものが崩れ去ってしまうような気がした。  マコトの姿は特に意図して追わずとも目についた。彼女の周りには常に人だかりが出来ていた。授業が終われば彼女に教えを乞うクラスメートが行列を成していて、彼女は嫌そうな顔ひとつ見せず丁寧に対処していた。昼休みには彼女を取り合う友人たちの姿が見えた。彼女はスポーツにも長けているようで、体育の授業ではスター扱いだった。また、彼女は音楽や美術の授業においても芸能科の生徒を圧倒する才能を見せた。文武両道、品行方正、知勇兼備。いくら言葉を並べても彼女を表し尽くすことが出来ない。悔しいとすら思わない。この学校の中では、紛れもなく彼女がトップアイドルだった。  ……………………  …………    そんな彼女が、突然、私の目の前に現れたのだ。  しかも、私の握手を求めて。 「あの、私……」  ふと我に戻ると、すでに蔭地マコトの姿はなく別の女の子が私の前に立っていた。 「私、ずっと大好きです。ツバサさんは私の一番のアイドルです」  私より少しだけ年下に見える少女はそう言いながら控えめに両手を差し出した。 「ありがとう」  私は嬉しさと気恥ずかしさが半分ずつ混ざり合ったような感覚に襲われて、思わず普段よりも強く彼女の手を握り返した。こんな気持ちになったのは一体いつ以来だろうか。  一番のアイドル。なんて、私に言ってくれる人は今の学校には一人もいない。  それどころか、私が『日向ツバサ』であることに気付いた生徒すら殆どいなかった。学校では本名で通しているとはいえ、メイクや髪型も芸能活動をしている時のそれと比べて随分大人しめにしているとはいえ、それでも驚くほどに誰も私に気付かなかった。中学校に入学した時は初日から大騒ぎだったのに。  ……それは、明らかに蔭地マコトの存在によるところだった。  彼女がそこにいる以上、春木谷女学院において私はただの端役のひとりだったのだ。曲がりなりにも時代のトップアイドルと呼ばれる者として、私は自分の不甲斐なさを恥じるべきなのかもしれない。だけど、他でもない彼女を相手にして、そんな気持ちは微塵も沸いてはこなかった。誰であれ、彼女の前では脇役に成り下がる。それは仕方のないことだと思った。  ……いけない。私は再び気を引き締める。  学校ではどうあれ、今の私は現代最高のアイドル、『日向ツバサ』なのだ。今更、私が本心からそう思えるハズもなかったけれど、今はそう思わないと。そう思わなきゃ、ここにいる人たちに失礼だ。  私は残る行列に目を向けて決意を新たにする。  そうだ。この人たちのためにも『私』は『私』でいなきゃいけない。  ―◆―  握手会のあの日から数日後。  居ても立っても居られなくなった私は単身、普通科の教室に乗り込んだ。  昨日見た少女が本当に蔭地マコト本人だったのか。本人だとしたら、一体どうして私の握手会なんかに来たのか。確かめずにはいられなかった。そして、何より、あの時見せた彼女の笑顔が、私の胸に張り着いてはなれなかった。それは、『完璧』には程遠い不格好な笑顔であったけれど、私にとっては入学式のあの時よりも、廊下で見かけたあの時よりも、グラウンドで見かけたあの時よりも……  いや、それは後回しだ。  彼女は教室でクラスメートに勉強を教えていた。彼女の周りには人だかりが出来ている。  悪いとは思いながら、私は人混みを掻き分けて彼女の前に立った。驚いた素振りもなく彼女は視線をこちらに向ける。その余裕ぶった表情が無性に気に食わなかった私は、強引に彼女の手を引いて教室から飛び出した。彼女は抵抗する様子もなく、むしろ、騒めくクラスメートたちを宥めるような身振りをしていた。 「……はぁ……はぁ」  カフェテリアスペースの中でひと気の少ない座席を見つけて私たちは腰を下ろした。 「私に何か御用ですか?」  息も絶え絶えな私に対して、マコトは落ち着いた様子で、堂々と、入学式でのスピーチのように気品を伴ってそう問いかけた。 「……」  私は思わず口を噤む。  とてもじゃないが、私に握手を求めた彼女と同一人物には思えなかった。 「ああ、その……えっと……」  言い淀む私を、彼女は冷静に見つめている。 「あなた……この間、日向ツバサのイベント会場にいたわよね?」  やっとのことで私がそう口にした瞬間。マコトの表情が一変した。 「…………え?」  それは、あの日、あの場所で私が見た顔だった。  そして、彼女は不格好にテーブルから身を乗り出しながら、「あなたも、ツバサさんのファンなんですか?」と言った。 「いや、その……ファンというわけではないのだけれど……」  まさか、本人だと言うわけにもいかず私は言葉を濁す。  しかし、こうして面と向かって話していても私が『日向ツバサ』であると気付かないなんて。よほど、『日向ツバサ』を妄信しているのか、『私』自身に興味がないのか。どちらにせよ、彼女にとって、今、目の前にいる人間は『日向ツバサ』ではないのだろう。 「そうなんですか? 残念です。すごく素敵な人なのに」  そう言うと、彼女は私の返答も待たずに続ける。 「『まほうつかいの憂鬱』という映画をご存じですか?」 「……え?」  突然、良く知った作品の名前を聞かされて私は困惑した。  だけど、知っているに決まってる。それは私が大昔に出演した映画のタイトルだ。 「もう十年近く前になると思います。初めて画面越しに見かけた時の彼女は、『まほうつかいの憂鬱』という映画で神童と呼ばれる天才ピアニストの少女を演じていました。その映画の中で彼女がピアノを弾く姿はとても魅力的で、その演奏は言葉にならないほど感動的で……それで、どうしても彼女みたいになりたくって、両親に無理を言ってピアノ教室に通わせて貰ったんです」 「……そう、なんだ」  しかし、教室に通ったからといって一朝一夕で身に付くものじゃない。  私は以前音楽室から聞こえてきた彼女の演奏を思い出した。あのレベルの演奏が出来るまでには一体どれほどの練習を積み重ねたというのだろうか。 「一生懸命頑張ったんですけどね。いくつかのコンクールで賞を貰うことは出来ましたが、どうしても彼女のようにはなれませんでした」  マコトは悔しそうにそう言う。  当たり前だ。あれは映画だ。フィクションなのだ。私の演技だけじゃない。プロの音楽家のサポートや音響、別録りされた音源、様々な演出が組み合わさって作り上げられた『天才ピアニスト』の偶像。あれは、スクリーンの中にしかいない存在なのだ。 「他にも陸上選手の役だとか、十歳で大学を卒業した天才少女の役だとか、ツバサさんはなんでもこなせちゃって。すごいなあ。私もそうなりたいなあって。それに、なによりステージの上の彼女は誰よりも格好良くて、輝いていて……そんなツバサさんに少しでも近づきたくって、勉強を頑張ったり、身だしなみに気を付けたり、体を鍛えたり、色んな習い事に通わせてもらったり、何度も、何度もツバサさんの映像を見て、彼女の立ち振舞いを真似てみたり。私なりに頑張ってきたんです」  そして、彼女は「でも」と前置いてからこう言った。 「まだまだ、ツバサさんみたいにはなれません」 「……」  私は言葉を失った。  どれもこれも、確かに私がこれまで演じてきたものだ。だけど、それはあくまで演じただけ。どれも本当に成し遂げたものじゃない。私自身の演技、演出、カメラワーク、共演者たちのサポート、それらすべてが組み合わさって作り上げられた『偶像』だ。……なのに、それに憧れて『本当』にしてしまうなんて狂気の沙汰だ。  背筋が凍るようだった。  私が『完成された偶像』なのだとしたら、彼女は『完成された実像』だ。これまで私が作り上げてきた偶像が、巡り巡って、ひとりの少女の中で誇大化し、こんな悍ましい実像を作り上げてしまったというのか。 「あなたは、その『日向ツバサ』という人が大好きなのね」  そう言うと、マコトは恥ずかしそうに微笑んだ。  その時、胸の奥がズキリと痛んだのが分かった。  ああ、そうだ。私はこの顔を見たかったんだ。彼女がああなった理由なんて、本当はどうでも良かったんだ。ただ、私は彼女を覆いつくす『完璧』の外套を取り去って、もう一度彼女の素顔を見たいと思ったのだ。  不格好ではあるけれど、『完璧』なんてものとは程遠いけれど、私はあの握手会の日からずっとこの笑顔を追い求めていた……だけど、私は知っている。この無邪気な笑顔が『私』に向けられたものではないことを。  そんなことを考えていると、マコトは腕時計に視線をやってからこう言った。 「ごめんなさい。私、そろそろ行かなきゃ」 「あ……私の方こそ、ごめんなさい。時間を取らせたわね」 「いいえ、お話し出来て嬉しかったわ」  そう言うと彼女はまるでコートでも羽織るかのように、再び『完璧』を身に纏い席を立った。それは決して偽っているわけでもなく、気取っているわけでもなく、きっと私たちが朝起きて髪を整えるような、彼女にとっては当然の身嗜みなのだろう。  彼女は「それじゃ」と言い残して立ち上がり、くるりとこちらに背を向けた。  颯爽と立ち去っていく、私がこれまでずっと思い描いてきた後ろ姿。私に言わせれば、『日向ツバサ』というアイドルを最も体現しているのは彼女だ。再び『完璧』を身にまとった彼女の姿は、私が頭に描いてきた『日向ツバサ』そのものだった。ひとつの理想が作り出した虚像と、実像。それが私たちふたりなのだと思った。だけど、私は……  私は彼女の背中に向かって、思わず声を上げた。 「私は……私の名前は、天羽コトリ!!」  振り返った彼女は、余裕を湛えたまま頬を緩めた。  それは、先程までの不格好な笑顔とは似ても似つかない、とても、とても美しい微笑みだった。再び胸が痛んだ気がした。分かってはいたけれど、先程までの彼女の笑顔はすべて『日向ツバサ』に対して向けられたもので、決して私に向けたものではない。  私は、彼女の素顔をもう一度見たいと思った。そのためには……  勝ち取るしかない、よね。  私は胸の中で独りごちた。  そうだ。奪い取ってやる。彼女の心を、現代最高のアイドル『日向ツバサ』から――  いつか、振り向かせてやる。私が、私自身の手で。  まったく、馬鹿げた話だ。  これまで必死に作り上げてきた最高の『自分』が恋敵だなんて。笑い話にもならない。敵は、私とあの子の理想が作り上げた現代最高のアイドル『日向ツバサ』。  ――望むところだ。相手にとって不足はない。  私はマコトが去った後の誰もいない空間に向けて決意を固める。  こうして、『私』と『日向ツバサ』の戦いの日々が幕を開けたのだった。
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