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そんな贅沢はせずに、せっかく入ったお金なのだから、弟妹がちゃんと学校へ行けるよう、仕送りができるようにお金を貯めておくべきではないのだろうか。
アントーネには、生きていくため以上の”趣味”にお金を使うことは、やはりとても悪いことのような気がした。
絵具を買うことは、家族の期待を裏切る、自分勝手な行為に思えた。
「だけどさ」
ファミルは真面目な顔で言った。
「俺たちだって、字も読めないんだ」
文字の読めない工員は、いつまで経っても重労働の下働きしかさせてもらえず、給料も上がらないことはアントーネも知っていた。
「『できることからやる』んだろう。
だったら、少しは自分のためにお金を使おうよ。
おまえなら絵描きになれば、収入にだってなるよ。
看板に絵を描く仕事だってできるかもしれない。
そしたら、仕送りだって、もっとしてやれるかもしれないじゃないか」
アントーネは水瓶の女性像を見つめながら、じっと考えた。
そのとき不意に、後ろから知らない男の人の声がした。
「『まずできることからやることだ。さすれば幸運は泉のごとく湧き出す』。
水瓶にはそう書いてあるんだ」
いつの間にか、ずんぐりした知らない男性が二人の後ろに立っていて、そう言った。
アントーネが驚いているのにかまわず、その人は言った。
「だが幸運は、我々が掬い取らなければ、水のように流れて去ってしまう」
水瓶からは、滔々と水があふれ出している。
「どうする?」
ファミルがアントーネに訊いた。
「……」
罪悪感は、アントーネの心から消えはしなかった。
「幸運をすくい取れ」と言われれば、罪悪感はかえって重く、心に圧し掛かってくる。
自分だけ幸運を手にしていいのだろうかと。
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