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第四話
「聞いて聞いて! アキちゃんがね、フラれちゃったの!」
さも大ニュースという口ぶりで雪野さんが電話してきたのは、新歓合宿の一週間後だった。
「あれ? アキちゃんって、恋人いたんだっけ?」
僕は顔も知らないけれど、雪野さんの話には何度も出てくるアキちゃん。感覚としては、小説の登場人物のようなものだろうか。
「あら、違うわよ。『フラれた』っていうのは、そういう意味じゃなくて……。思い切って田辺先輩に告白したら、断られたんですって!」
「へえ、それは驚きだねえ」
田辺先輩に告白するのは、むしろ雪野さんが起こす行動だろうに。
そう思ったが、当然、口には出さなかった。
「でしょう? 田辺先輩、別の大学に恋人がいるんですって! それも、高校時代からのラブラブ! そういうのは、もっと早く教えて欲しかったわ……」
いやいや、そこまで後輩に話す義務はないだろう。今回のように、告白された時点でキッチリ説明すれば十分であり、むしろ誠実な対応だ。僕としては、初めて田辺先輩に好感が持てたくらいだった。
「それでね。泣いてるアキちゃんの背中を『よしよし』って慰めてたら、ちょうど田辺先輩が通りかかって、こっそり私に『雪野さんもゴメンね』って耳打ちしてきたの! ねえ富田くん、これ、どういう意味だと思う?」
「えーっと……。雪野さんはアキちゃんを世話してたから、その意味では? 面倒をかけてゴメンね、って感じの」
違うと思いつつ、そう言っておく。
「普通に解釈したら、そうよねえ。でも……」
珍しく、雪野さんが言い淀んだ。電話越しでも、困っている顔が目に浮かぶくらいに。
「……もしかしたら田辺先輩、私の気持ちに気づいてるのかも。それでアキちゃんと同じ意味で『雪野さんもゴメンね』って言ったのかも」
「ああ、そっちの意味だろうね」
言われて初めて気づいた、という口調で返してみたが。
そもそも最初から、それが田辺先輩の発言の真意だろう、と僕は思っていたのだ。
そして僕の返事は、雪野さんには、別の意味で意外だったらしい。
「あら? 富田くん、全く驚いてないけど……。実は私も田辺先輩を好きって、もう知ってた? 私、そこまで話したっけ?」
「いや、でも何となく……。そうじゃないかな、って思ってた」
正直、この発言は、僕自身の胸にズキッと突き刺さった。好きな女の子には好きな男の人がいる、とハッキリ認めることになるのだから。
「そっか……。わかりやすかったんだ……」
しみじみとした口調で呟いた後。
雪野さんは、田辺先輩の件から現実逃避するかのように、珍しく僕自身のことを尋ねてきた。
「そういえば、富田くんにも好きな人っているの?」
「えっ、僕は……」
予想外の質問に意表を突かれて、素直なリアクションを見せてしまったらしい。
「あらあら、その反応……。富田くんにもいるみたいね、片想いの相手が」
面白がっている声。もう『片想い』と決めつけているところが、雪野さんらしいというか、僕を理解してくれているというか……。
「ねえ、誰? 言っちゃいなよ。私だって好きな人の名前、明かしたんだから!」
「いやいや、それは……」
「どうせ私の知らない人でしょう? だったら言いやすいよね? どういう知り合い?」
「いやいやいや……!」
知らない人どころか!
雪野さん本人なのに!
「えっ? その大げさな態度……。もしかして、私も知ってる? じゃあクラスの子? 伊藤さん? 岡本さん? それとも……」
一人ずつ、クラスの人名を挙げていく雪野さん。
こうなると、特定するまで彼女の追求は続くだろう。
ならば、いっそのこと……。
電話の向こうで彼女が列挙する間に、僕は大きく深呼吸して。
それから、思い切って宣言した。
「雪野さん。僕が好きなのは、あなたです。僕と付き合ってください」
僕が告白した途端。
雪野さんは、口を閉ざしてしまった。
面と向かっての会話でも沈黙は嫌なのに、電話では尚更だ。相手の表情は見えないし、下手をしたら、電話口から立ち去った可能性もある……。
そう思った僕は、静寂を打ち消したくて喋り続けた。
「付き合ってほしいというのは、その、一緒に話をするとかデートするとか……。いや今だって二人で話してるけど、こういう電話じゃなくて、ちゃんと顔を合わせて会話を楽しむのは、また少し別な気が……」
自分でも、何を言っているのだろう、と思った。でも『ちゃんと顔を合わせて』というのは本心であり、強い願いだった。クラスコンパの席で感じた彼女の髪の匂いを、ふと僕は思い出す。
そして。
僕の発言を堰き止めるかのように、雪野さんは口を開いた。
「ごめんなさい。好きな人がいるから、富田くんとは付き合えないわ」
「……うん」
と言うしかない僕に対して、
「……だよね。この断り方は、少し変かな? 田辺先輩のこと、話した後だもんね。そうじゃなくて……」
雪野さんも、うまく伝えられない気持ちを、口に出すことで整理している感じだった。
「……富田くんのこと、そういう目で見てなかったから。これからも、そういう相手として考えられないから。だから付き合えません。……って言えばいいかな?」
「……うん」
ありがとう。真剣に考えてくれて。
そう言いたかったが、言葉にならなかった。
一方、雪野さんは、これで『おことわり』は終わった、と思ったらしい。続く口調は、少しサバサバしていた。
「でもショックだなあ。富田くんが、私のこと、そういう目で見てたとはね。じゃあ、もう終わりかな?」
「……え?」
彼女が何を言い出したのか、僕には一瞬、理解できなかった。
それは雪野さんの方でも気づいたようで、すぐに言葉を補足する。
「ほら、今まで長電話に付き合ってくれたのも、私を口説き落とすためだったのよね? でも失敗した以上、もう続けたくないでしょう?」
「そんなことないよ! 雪野さんと話をするのは、楽しいから! だから、何も変わらない!」
いつになく大声で叫んでから、声のトーンを戻す。
「雪野さんだって、田辺先輩に恋人がいるって判明しても、今まで通り口をきくよね?」
「それは……。田辺先輩は同じサークルだから、変にギクシャクしたくないし……」
「それを言うなら、僕と雪野さんは同じクラスだよ?」
「うーん……。そうだけどさ。私は女の子だから、付き合えなくても好きでいられるけど、でも富田くんは男の子だから『ただ好きなだけ』っていうのは辛いよね?」
「女とか男とか関係ない。僕は雪野さんを好きで、だから雪野さんとの長電話も好き。……それじゃ駄目かな?」
「そうなの? じゃあ、今まで通り……?」
「うん」
すると。
一瞬だけ黙った後、雪野さんは、わざとらしいくらいに改まった口調で、宣言するのだった。
「わかりました。では、これからも良い友人ということで……。よろしくね、富田くん!」
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