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ファッションヘルスで酔っ払いに絡まれる、そしてお猫様
そんなある日のことである。
洋子がアルバイト先のファッションヘルスで酔っ払いに絡まれた。
そんなことは商売柄珍しいことではなかったが、これが性質の悪い客であった。
「姉ちゃん、フェラはせえへんのか?」
「あのー。フェラって何ですか?」
「わしの棒を手でしこしこやるだけではつまらんやろ。これを口に喰わえるんや。それで口の中に発射するんや。そんなことも知らへんのんか?」
洋子にとって体を「お触り」されることには慣れっこになっていたが、男の一物を口にくわえるなんて思いもよらないことであった。慌てて洋子は中年の男性客に言った。
「きゃー。私、そんなことしません」
「こんな所で働いとって何言うんや。ほんまに知らへんのかいな?」
「知りません」そして、次に客から発せられた言葉に洋子は我が耳を疑った。
「おっちゃんは唯ちゃんのこと何でも知ってるぞ。唯ちゃん、昼間○○商事で働いてるやろ。奇麗な顔しとって夜はこれかいな。これが会社に知られたらどないなるやろなあ?このことは誰にも言わへんから。さあ、これを口の中へ入れるんや」
男はそう言うと、洋子の髪の毛を鷲掴みにし、ジッパーを開けて一物を取り出すと、無理矢理その一物を洋子の口へねじ込んだ。
「うぐっ」
男の一物のくさい臭いがし、洋子は吐きそうになった。
男は洋子の髪の毛を掴んで無理矢理上下運動をさせ始めた。
「そうや。唯ちゃん。その調子や。後でおっちゃんとホテル行こうな」
「(こんなことするの嫌。それにしても、どうして昼の仕事が分かったんだろうか?)」
その時、洋子の脳裏にある考えが浮かんだ。
「(このお客さん、無防備や。今、こいつの一物を噛みちぎってやったらどうなるだろうか?)」
そして、洋子はこの考えを実践してみることにした。
「(このスケベ客、どないや?)」
少しだが、洋子は客の一物を噛んだ。
「わー。痛い。何するんや?この女。わしの息子が、わしの息子が---」
男の大声が店中にこだました。
次の瞬間、男はビール瓶の注ぎ口を持ってビンを割った。
「やりやがったな!この女!」
「キャー!」
洋子が大声で叫ぶ。
瞬く間に店は大混乱になった。
ボーイが飛んできた。
「唯ちゃん、逃げるんや。警察呼ぶから」
ボーイが言った。
「でも。私------」
「ええから逃げるんや」
洋子は慌てて店を飛び出した。薄いワンピースからブラジャーとパンティが透けて見える。あられもない恰好だ。
同時に何人かの同僚のホステスも飛び出してきた。
程なく警察が駆け付けた。
暴れている男はすぐに取り押さえられ警察へ連行された。
「(このままでは男が昼の仕事を喋ってしまう。どうしよう?)」
そんなことを考えていると警官の一人が言った。
「あんたも警察に来てもらう。ちょっと事情聞くからな」
店の外では一台のパトカーが待機していた。警官に言われて洋子は店を出た。商売着の下着が透けて見えるワンピースの姿だった。
「このパトカーに乗って下さい」警官は丁寧に告げた。
洋子はパトカーに乗せらようとしていた。警察で事情を聞かれるはめになるのだ。夜の仕事着のまま連れて行かれようとしていたので、洋子は警察官に言った。
「あのー。服着替えてからでいいですか?」
「ああ、ええ。早よ着替えてきて」
警察署へ着いた洋子は署内の取調室のような所へ入れられた。
そこで警察に一連の事情を話した。
暫らくしてから別の警官が中に入ってきた。
「あの男、ストーカーやった。あんたを朝からつけて行っとったみたいやなあ。そやから昼の仕事も知ってたんや。気がつかへんかったんかいな」
全く身に覚えがない。しかしストーカーに狙われるとは大阪の町も物騒になったものだ。
「知りませんでした」
「こんなアルバイトしてるからや。まあ、事情があるんやろけど、できたらこんなことやめた方がええな」
警官が言った。
「とにかく、今日は警察の方で送ったるから、家へ帰り」
そう言われたので、洋子は警察の車で家まで送り届けてもらった。
玄関先で警官が告げる。
「西成警察の者です。」
中から母親が出てきた。警察と聞いて驚きを隠しきれない様子であった。
「警察の人?一体何ですか?」
「いや、お子さんが勤め先のファッションヘルスで酔っ払いに絡まれましてなあ。危ないとこやったんですわ」
「まあ、この子、そやからあれほど夜の仕事はあかん言うたのに。」
その夜、応接間で母と娘の会談がもたれた。
「あんた、ちょっとここへ座り」
「何やねん。明日も仕事やねん」
「明日は仕事行かんでもええ。母さんが会社へ電話しといたる」
暫しの沈黙の後、母親が切り出した。
「あんた、夜の仕事いつまで続けるつもり?」
「うちにお金入れてくれ言うたんはお母さんやないの」
「また口ごたえか。神様が泣くで」
「また神様かいな」
「何言うてるの。祐輔兄ちゃんもあんたも神様のおかげで大学受かったんやで。そやのにそれも二人とも辞めてしもて」
「うちに金がないから授業料払われへんようになったんは誰のせいよ」
「うるさい!お金は神さんを拝んでいたら必ず戻って来ると言ったやないか。ええい、これは洋子の声やない。悪霊や。悪霊!出て行け!今から祝詞を上げる」
「都合悪なったら悪霊かい」
「お兄ちゃんにもあんたにも悪霊が憑いているんや。そやなかったらこんな口ごたえせえへん。高天原に神つまりまします皇睦カムロギ、カムロミの命もちて---悪霊よ出て行け!八百万の神達を神集いに集いたまいて。---悪霊、出て行け!」
それからしばらく母親の祝詞とマントラが続いた。
「もういい。私寝る」
「お待ち。洋子。悪霊を払わなあかんねん。お待ち。えーい、ノーマクサンマンダノーマクサンマンダ悪霊退散」
洋子は馬鹿らしくなってきたが、ここで逃げ出したらまた悪霊扱いされるのだ。そこで母の祝詞とマントラをじっと聞いていた。目は母を凝視したままだ。「こんなこと馬鹿馬鹿しくてやってられるか」と思いながら聞いていた。
やがて母のマントラが終わった。
「母さん、悪霊とやらは出ていったの?」
「何?その口の聞き方?ああ、まだ悪霊がいるんや。この子は可哀想に。悪霊に取り憑かれて地獄行きよ。あんたは---」
「そうそう。分かったわ。とにかくもう寝るから」
これが洋子の日常であった。だから洋子にとって日常以上に恐ろしいものはなかった。
母のために二つの仕事を掛け持ちし、身も心もくたくたであった。
それも母が瑞宝正法会という新興宗教にどっぷりと両足を浸かっていたためであった。
洋子はつくづく情けなかった。涙を止めることができなかった。
「私は何のために夜の仕事をしていると思っているの?」
そう母親に訴えたかった。
*
その頃であった。母親の飼っている猫(両方とも雌で既に避妊手術が施してある)のうちの一匹が病気になった。母親は大騒ぎである。
「大変やー。洋子、洋子、お猫様がー」
瑞宝正法会では先述したように動物も人間も同じ霊を持っているのだ。だからこの宗教の信者はみんな動物を飼っていた。
母親の猫なんかは良い方で、信者の中には「おトカゲ様」や「オロチ様(蛇)」なんかを飼っている家もあった。
母親が余りにも叫ぶので洋子は何事かと台所へ降りて行った。そこでは猫の尚子が息をハーハー言わせて、それを心配そうにもう一匹の猫の知子が見守り、知子が一生懸命尚子の体を舐めていた。
「お猫様が大変や。洋子、病院、病院」
母はパニックになっている。お猫様を死なせたらどんな祟りがあるか知れないのだ。しかし、それならば最初から猫なんか飼わなければよかったのにと思う洋子であった。
「こりゃひどいわ。母さん、病院へ連れて行くの?」
「当たり前じゃ。お猫様も人間も一緒なんや。あんたは今日は会社を休んでお猫様を籠に入れて病院へ連れて行っておくれ」
一体、猫のために娘に会社を休めなんて言う親がいるだろうか?
しかし母親に逆らってはまたもや悪霊扱いだ。
「わかった。母さん。二人で車に乗って行こ」
こうして猫を無理矢理猫籠に入れて母の車で犬猫病院へ行くことになった。運転は洋子がした。母親は病院に着くまで籠にすがりついて「お猫様、お猫様」と言っている。
車は病院へ到着した。病院の玄関を入るなり、母親は獣医に告げた。緊急事態の発生で慌てている。「(私が病気になっても母はこんなに慌ててくれるのだろうか?)」そんな疑問がふと洋子の脳裏に去来した。
「大きな猫ちゃんや。これはかなり弱ってますね。手術しないといけないかも知れません」
「そうなんですか。できる限りのことはしてやって下さい」
そう母が言った。
「(ああ、また手術代を私にせがむんだわ。一体いくらかかるのかしら?)」そう思って洋子は医者に尋ねた。
「あのー、料金はいくらくらいでしょうか?」
「まだ分かりません。でもこれは肺に水がたまっていますから入院ということになります。手術代と入院費で二十万くらいでしょうか?」
その会話に母親が割り込んだ。
「助かるなら手術して下さい。お金は払います」
「(お金は払うって、それも私が出すのよ)」
洋子はため息をついた。誰のお金だと思っているの?
そうして二日後に獣医から電話がかかってきた。リンパ腫で一ヶ月ももたないということであった。手術代と入院費で二十万取られた。
その後、猫が亡くなった。教組を呼んで猫のために葬儀が執り行われた。その葬儀代も洋子の負担であった。母は泣いていた。
「(ばかばかしい。こんなことに付き合っていられるか?)」
洋子は葬儀の間中そう思っていた。葬儀には瑞宝正法会の信者が数名駆けつけてくれた。葬儀代に五十万も取られた。それも洋子の金であった。
そんな折、引き籠りの兄に母親の宗教が刃を向けた。
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