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洋子さん逃げる
やがて兄の帰る日がやってきた。
「ただいま。洋子、母さん、生き神さんから許しもらって帰ってきたで。二、三日やっかいになるで」
久々に聞く兄の声である。引きこもり時代と違って声に張りがあった。生き神様の下で修行して元気になったと手紙にしたためてあったが、確かに元気そうだ。
母親が玄関を開けた。見ると今まで伸び放題になっていた髪も髭も奇麗になっている。また、髪はスポーツ刈りになっていた。
「祐輔か。えらい逞しなって。まあ上がり。生き神様からどんなこと話してもうたか聞かせて」
母が言った。
「お兄ちゃんお帰りなさい」
洋子も玄関で出迎えて言った。こうして久々に親子三人で食事をすることになった。
三人で食卓を囲むのも二年ぶりである。否、兄は引きこもって居る間は自室で食事をしていたので数年ぶりである。
「祐輔、どないやった?」母が尋ねる。
「ああ、生き神様からえらいよくしてもうた。体も元気やで」
本部で何をさせられたかは分からなかったが、確かに元気になっていた。半袖のカッターシャツから祐輔の腕が丸出しになっていたが、かなり肉付きが良くなっていた。力仕事をさせられたのであろう。
目つきも変わっていた。「眼光鋭く」というのはこのことなのか、その目は獲物を狙う猛禽類のような目つきであった。
「今日帰ってきたのは他でもないねん。洋子のことや」
「洋子がどないしてん?」
「母さんも知ってる通り、また大阪の道場に教祖さんが来られとるねん。それで洋子を連れてきたらどないかて言うてはるんや」 「(冗談じゃない。誰があんな教祖のところなんかいくか。あの教祖のために私のお金はみんな吸い上げられているんや)」
洋子は思ったが、それを察知したように母親が言った。
「そらええわ。この子は何ぼ言うても言うこときかんで、なかなか道場へ行くと言わへんねん。あんたからも何か言うたり」
「あのな、洋子、ええか。お前には悪霊が憑いているんや。わしにも憑いとった。でも教祖さんの言う通り本部で修業させてもろてこないに元気になったんや。悪霊も払ってもろた。ところでお前、まだファッションヘルスでバイトしよるんか?」
「ああ、してるよ。(何を偉そうに言ってるんや。私がファッションヘルスで働いているのは家にお金入れるためなんよ)」
「そら、あかんわ。昼の仕事もあるのに何でや?」
「(それは三年間あんたを食べさせるためと、教団にお布施するためやないか)」
と言葉にでかかったが、止めた。母が泣くと思ったからである。
「まあええわ。明日休みやろ。いっぺん兄ちゃんが道場へ連れてったる」
「嫌や、そんなとこ行かへん」
母が口を挟んだ。
「またそんなこと言うてお母さんを困らせる。それだけやない。祐輔を見てみい。本部行ってこんなに立派になって帰ってきたやないか」
そして洋子は母と兄から道場へ来るように執拗に迫られた。
そして、根負けした洋子は翌日道場へ行くことになった。
そして翌日、母の車で洋子と母と兄が道場へ出かけた。小さな道場に到着すると、既に十数名のご婦人の信者が来ていた。講壇にはあの屈強な道場長と教祖(生き神様)がいる。
「では、祝詞をあげます」
道場長の先導で祝詞が詠み上げられる。
それと同時に全員が立ち上がり、祝詞を奏上する。
「---かしこみかしこみも申す」
祝詞が終わると全員が正座した。
「皆さん、今日はご存じの通り、生き神様であられる戸田瑞宝先生がいらっしゃいましたので、お話を伺いましょう。では、先生どうぞ」
拍手の中、教祖がマイクを握る。既に道場には何十人もの信者が集まっていた。
「戸田瑞宝です。今日は新しい方がお見えのようです。川本さんの娘さんの洋子さんが初めて道場に来られました。それから、本部からも、そのお兄さんである川本祐輔さんも来られています。川本さん、お子さんが来られるようになってよかったですね」
その後、長々と生き神様の説教が続いた。
「親に逆らう者は等活地獄に落ちる」とか、「教団に寄付をすればするほど霊挌が上がる」とか、洋子にとってはどっちでもいい話である。しかし、気のせいか、「水商売で男に体を触らせたら、男の悪霊がうつる」と言われた時には自分のことを言われているように感じた。
そして最後に「川本さんのお嬢さんは少しお残り下さい」と締めくくった。
講和が終わると信者は一人去り、二人去りしていき、洋子と母と兄と教祖と道場長だけが残った。
「洋子さんでしたね、覚えていますか?」
忘れるわけはない。兄を強制連行していったおばさんである。
「あなたは、長年の水商売で悪霊が沢山憑いています。今からお清めをしますが、よろしいですか?」
「それは、また今後のこととして下さい」
と洋子が言うや否や、教祖の罵声が飛んだ。
「この淫乱娘が!お清めするチャンスですよ。この機会を逃したらあなたは一生悪霊に憑かれたままで地獄行きですよ!」
「教祖様もああおっしゃっているんや。潔くお清めを受けなさい」
と母親。
「そうや。受けなさい」
と兄。
その途端、生き神様は道場長に命令する。
「鍋島、この子の服脱がせ」
屈強な道場長がいきなり洋子に払い腰をかけて畳の上にあおむけにさせた。
そして着ていたワンピースのボタンを引きちぎった。
「何するねん、この変態!」
洋子が叫ぶ。
「ご家族の方も協力して下さい」
道場長から言われた兄と母は洋子の手足を押さえた。
「洋子ちゃん、今から生き神様が悪霊を払って下さるからな」
母が言った。
瞬く間に洋子はパンティとブラジャーだけの姿にさせられた。
「まあええわ。今から水垢離や」教祖が告げた。
「なんですか?水垢離言うのは?」
「滝に打たれるのと同じや。今は夏やからええやろ。生き神様なんか私達の幸せを祈って冬でも滝に打たれてるんやで」
と兄が言う。
そして、道場長に連れられて洋子は風呂場まで「連行」された。
既に水がいっぱいになっている。今日、これをやるつもりだったのだ。用意周到である。
「さあ、水に入り」
そう教祖が言うが早いか、道場長が乱暴に洋子をバスタブに放り込んだ。
「嫌よ、何するのよ?」
道場長が洋子をはがいじめにし、教祖は洋子の髪の毛をわしずかみにして頭を水に沈めた。
「悪霊退散、悪霊退散」
教祖の言葉に先導されて母と兄が唱え始める。
「悪霊退散、悪霊退散」
「離せえ、このき○がい。私に悪霊なんか憑いてない!」
「そない悪霊は言うんや」
そう言って教祖は、また洋子の頭を水に浸ける。
「悪霊退散、悪霊退散」
そして、教祖は数珠を持って、またマントラを唱え始めた。
「ノーマクサンマンダー、ノーマクサンマンダー。悪霊め。出て行け!ええい!ノーマクサンマンダー。しつこい悪霊め。早く出て行け」
そして洋子の頭を何回も水に沈める。
そして三十分くらいこの異様な儀式が続いたかと思うと、また教祖に何物かが乗り移った。
「わしは蛇じゃ、白い蛇じゃ。この娘の水商売がうまくいくように店に祀られている蛇じゃ。ああ、男が欲しい、男のエキスを吸ってみたい」教祖はそう叫びだした。すると道場長が蛇の乗り移った教祖に尋ねる。
「あなたは巳様、お蛇様ですね。いつこの娘に憑いたのですか?」
「こいつが水商売を始めるようになってからじゃ。ううん、苦しい、こら!卵をお供えしろ!この娘の家の神棚に卵をお供えするんじゃ」
その時、頭を何度も水に沈められた洋子が恨みがましく教祖と母を睨んだ。その目を見て教祖は言った。
「この目じゃ。何という目じゃ。これはオロチの目じゃ。確かにこの娘にはオロチ様が憑いておる。おい、鍋島、もっと水に沈めるんじゃ!」
そして洋子はまたもや道場長に髪の毛を握られて教祖によってバスタブに頭を沈められた。
「やめて下さい。私には蛇なんか憑いていません」そう洋子は哀願したが、教祖は情け容赦なく洋子の頭を何度も水に沈めた。
そして、このとんでもない儀式は一時間も続いた。
「教祖様、悪霊は出ていきましたか?」
母が尋ねる。
「いや、まだや。この淫乱娘の悪霊はかなり強いぞ」
「もうやめて。明日また来ますから」
息も絶え絶えに洋子が懇願する。
「そうやなあ。死んでしもたら何にもならんし、また明日にするか」
教祖が答えた。
そこで、この儀式は一旦は打ち切りとなった。
実は、顔を沈められながら洋子は考えていた。
「(もう逃げよう。家出しかない。こんな気○がいと一緒にはもう居たくない)」
そう。家出の算段をしていたのだ。
「(今までは母のことが心配で家に一生懸命お金を入れてきた。それがこんなことに使われるなんて、もう嫌。こんな母と兄は見捨てて私は家を出る)」
そう決心を固めていた。
「(それにしても、この家族はどうしてこんなになってしまったのだろう?父親がまだ生きていた頃はごく普通の家庭だった。それが、母が変な宗教に引っかかってしまってから、全ては神様。良いことがあると神様のおかげ、悪いことがあっても神様が良くして下さる。こんな馬鹿げたことにつきあっていられるか。それに、私が仕事をかけもちして稼いだお金もみんなこんな神様の所へ行ってしまっている。もう嫌)」
その夜、洋子は自分の預金通帳と少しのお金を持って電車に飛び乗った。行くあてもなかったが、とにかく西に向かって電車は動き始めた。
電車の中で洋子は人目もはばからず泣きに泣いた。
お母さんに連れられた少女が洋子を指さして言う。
「あのお姉さん泣いてるよ」
「しっ、見ないの」
その子の母親は見ないふりを決め込んだ。
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