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悪魔払いの教会
(四)
快速電車でどれくらい走っただろうか?大阪の町は徐々に遠くなって、ビル群も少なくなってきた。後は家が建ち並んでいる所を電車は通り抜けていった。一面田や畑のような所もあった。快速電車は神戸の町を通り抜け、まだ走っていた。やがて住宅の密集している田舎の小さな駅で止まった。
洋子は全く知らないその町の駅に降り立った。
それから、あてもなく歩きに歩いた。駅から北へ向かっていた。高速道路の高架を越えて住宅と畑がまばらにある所をただ北に向かって歩いていた。
もう大阪ではない。神戸も通り越した。どこをさ迷っているのだろうか?空腹になった洋子の目にコンビニが飛び込んできた。洋子はそこでおにぎりを買って食べた。コンビニの前にはマクドナルドもある。住宅街の中だというのにかなりのものはそろっている。しかし残念ながら一夜を過ごすところはない。まあ、夏だからコンビニの前の空き地でねむろうか?と思っていたら、住宅地の中に十字架が見えてきた。
洋子はキリスト教会なんか行ったことはなかったが、ふと思った。
「キリスト教会か。ここならかくまってくれるかも知れない」
そう思って教会の呼び鈴を鳴らした。
「はい、今出ます」
中から女の人の声が聞こえた。年の頃は母よりはかなり上だと思われる人であった。
「どちら様ですか?」
洋子は今まで起こったことを全て告げた。最後は涙声になっていた。
「それは大変でしたねえ。まあ中でお話しましょう」
牧師夫人であった。
中へ通された。
「先生、これこれこういうわけで今夜泊めて欲しいという方が来られてますよ」
「まあ教会堂の中へ」
牧師らしい。その牧師から教会堂へ案内され、次に牧師の執務室へ通された。
牧師というと優しい人かと思っていたら、少々柄が悪そうだ。しかし、悪い人のようには見えない。
教会堂は少し広くなっていてピアノや講壇があって、十字架がかかっている。その奥が執務室で、パソコンやプリンターなどが置かれていた。
その中で洋子は牧師に今まで起こってきたことの一部始終を話した。
「それはねえ。悪霊です。悪霊。大体何ですか?病気を直すと言って痰を飲ませたり裸にして水風呂へ入れたり。本当の神様はそんなことしないし、そんなことしても悪霊は出て行きません。それからお狐様やお猫様やオロチ様のことなんですが、野生の狐が油揚なんて食べ物知っていると思いますか?そんなもの悪霊ですよ。その教祖こそ追い出すべきです」
牧師は言った。
「『そんなことをしても悪霊は出て行かない』と言うのならどうやったら悪霊は出て行くのだろうか?大体、キリスト教会で悪霊を追い出すなんて映画の『エクソシスト』の世界だ」
洋子は思った。そして牧師に尋ねた。こんな問いに真面目に答えてくれるとは思ってなかったが、とりあえず尋ねてみた。
「この教会では悪霊を追い出すことができるのですか?」
「できますよ。日常茶飯事のようにやってます」
「(そんな教会もあるのか?でもまた水風呂に入れられたりしたらどうしよう)」
一抹の不安が洋子の心によぎった。
不安がっている洋子に牧師は言った。
「キリストも悪魔払いをやっていたのですよ。悪霊に取りつかれた男が墓に座っていて、その悪魔、大勢いたからレギオン(『大勢』という意味)という悪霊なんですけど、キリストがその悪魔に豚の群れに入るように命令したら、豚がみんな湖に落ちて死んだという話が出てきます。私達はイエス=キリストの名を使って悪霊を追い出すのです。この名前には力があるんですよ」
「でも、それは二千年前の話でしょう?イエス=キリストなんて二千年も前の人じゃないですか?」
「いえ。今でも起こりますよ。とにかく、痰を飲ませたり水風呂に入れたりしても悪霊は出ていきません。」
「ふーん。(おかしな教会だ。ここでもあの『教祖』のようなことをやるのかしら?)」
「とりあえず今晩は教会堂の二階に泊まっていって下さい。それから先のことは、また明日考えましょう。あ、それから聖書を読んだことはありますか?」
「いえ、私は理系の、所謂『リケジョ』なので、そんなことに関しては全く疎くて---」
「それなら、ここに聖書があります。いきなり読むのは難しいですから、私の書いた本をあげます。布団の中で読んで下さい」
そう言って牧師は聖書と二冊の本を手渡した。
「大悪魔払い師イエス=キリスト」・「エクソシスト日記」という本であった。
「何?これ?」
最初は不審に思ったが、洋子は読んでみることにした。そしてもう一つ、疑問に思っていたことを尋ねてみた。
「あのー、私には悪霊が憑いているのでしょうか?」
牧師は断言した。
「憑いてません。憑いている人なら一目見たら分かります。あなたには(悪霊は)憑いていません!」
こうして、洋子は教会堂の二階へ案内され、そこで一夜を過ごすことになった。
教会堂の二階には布団がたたんで置いてあっただけで、他には何もなかった。ただ、壁にはキリストと十二使徒の絵が飾られてあった。それが誰によって描かれたものなのかは洋子は知らない。恐らくダ=ビンチの最後の晩餐だろうが、元々絵には興味のなかった洋子には知るよしもなかった。
洋子は電灯をつけて先程牧師からもらった本に早速目を通した。中にはとんでもないことが書かれていた。教会の歴史であろうが、酒飲みには酒飲みの霊が憑いていて、それを払うと酒飲みが治ったとか、病気の霊を払うと病気が治ったとか、あたかもあの瑞宝正法会のようなことが書かれていたのだった。
「ここは危ない教会なにかな?でもお母さんの宗教よりは『まし』や」そんなことを考えながら洋子は眠りについた。
翌朝、洋子はお経を読むような声で目を覚ました。二階から教会堂を覗くと、何人かの人達が分けのわからない言葉で祈っている。
「おはようございます」
洋子が階下の教会堂へ降りて行くと、牧師夫人が丁寧に説明してくれた。
「びっくりしたでしょう。これは異言と言って、聖書にも書いてあるんだけど、聖霊を受けたら出るようになるのですよ。誰にもわからないけど、神様の言葉なの。私達はペンテコステ派という宗派で、この異言で有名な宗派です。あなたのことも祈りましょう」
洋子は分けのわからないまま頷いた。
「何を祈ってほしいですか?」
「お母さんとお兄さんが変な宗教から抜けられるようにお願いします」
「わかりました。お祈りしますね」
そう言うと牧師夫人は洋子の背中に手をそっと置き、何か一言言った後、その異言という言葉で祈り始めた。
「最後にアーメンと言いますから一緒に言って下さい」
「はい」
「イエス=キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン」
「アーメン」
なるほど、確かにここはキリスト教会だ。
そして洋子は思いきって切り出した。
「あのー、私を暫らくここに置いてほしいんですけど、いいでしょうか?」
「そう。牧師先生に話してみますね」
洋子は教会で厄介になることになった。
朝の祈祷会にも出ることになった。
洋子は異言というものの出し方がわからなかったので、新約聖書をお祈りの間朗読することにした。洋子が初めて手にする聖書であった。
そして、聖書を読んだり、牧師の説教を聞いたりしているうちに、あの「瑞法正法会」が間違っていることに気がつき始めた。
「お母さんもお兄ちゃんも騙されているんや」
そのことがおぼろげながらも分かってきた。
また、日本には二十万団体も宗教団体があると聞く。母も兄もそんな中で変な宗教に取りつかれてしまっているようである。
「(いつのことになるかは分からないけど、お母さんやお兄ちゃんを救けてあげないと)」
そんなことも考えるようになってきた。
大体、不思議な現象を目の当たりにすると、それで信じ込んでしまう人が多い。しかし、あらゆるところで「不思議」は起こっているのだ。簡単に信じ込んではいけない。
そう言うようなことも牧師から聞かされた。
洋子は近所のコンビニでアルバイトも見つけた。そして、宿泊代として給料の一部を出すことになった。勿論、水商売からは一切手を引いた。
こうして何もかもが上手くいくように思えたのだが---。
*
洋子は何よりも道場長の影に怯えていた。
道場長は元警察官である。居場所なんかすぐに見つかるかも知れない。
そして、その不安は後日的中する。
とにかく、洋子は大阪方面へ行くことを極端に恐れていた。
ある金曜日、牧師が言った。
「わしらは釜が先で伝道してるねんけどなあ、一回来てみるか?」
釜が先とは、大阪の西成にある西日本最大のホームレスの街である。
「絶対に嫌です。西成へは死んでも行きたくありません」
そう。洋子の家も教団の道場も西成にあるのだ。あの道場長に見つかっては大変だ。
しかし洋子は成程と首肯した。
この牧師は釜が先で伝道しているのか。それなら並みの神経ではできまい。だから、少々表現は悪いが、牧師にしては「柄が悪く」見えるんだなあ。と思った。
また、日曜日は信者が多く集まって礼拝が持たれていた。教会なので当たり前のことである。ただ、異言で祈ったり、手を叩いて聖歌を歌ったり、思っていたキリスト教のイメージとはかけ離れていたので、最初は少々とまどった。
そして何よりもこの教会で「悪魔払い」をやっていると聞いて驚いた。洋子は、その「悪魔払い」に二度出くわしたことがある。
日曜日の礼拝中であった。ちょうど牧師がルカ伝の中からキリストの「悪魔払い」の箇所を説教していた。
突然、一人の女性信者が悲鳴を上げた。
「うわー!そこを読むのはやめてくれ!お願いだからやめてくれ!」
教会の礼拝はストップした。
牧師が、その女性信者に近寄って大声で言った。
「悪しき者!イエス=キリストの名で命じる!この者から出て行け!」
女性信者は床に倒れて動かなくなった。それを何人かの男性信者が運んでいった。
こんなこともあった。教会に洋子よりも少し年輩の男の人がやってきた。いつものピアニストの女性が、その男を連れてきた信者の男性に言った。
「あの人、いっぱい悪霊が憑いていたわよ」
そしてその男性の悪魔払いが始まった。
悪霊が男の口を借りて話し始めた。
「お前はだーれだー?何の権威でこんなことをする?」
牧師と悪霊との死闘が始まる。
「イエス=キリストの御名によって命じる!悪霊、この者から出て行け!」
「嫌じゃー、わしはこいつの中にいる時が一番気持ちがいいんじゃー」
「もう一度イエス=キリストの御名によって命じる!悪霊、この聖霊の宮から出て行け!」
「嫌じゃーお前こそ誰だー?」
「イエス=キリストに仕える者だ!」
「イエス=キリストなら知っている。お前は誰だー?」
「お前こそ誰だ?」
しばらく悪霊は押し黙ったが、観念したのか、呟いた。
「わしは、わしは、ベルゼブル」
ベルゼブルというのは聖書にも出てくる悪魔の名前である。この男にはそんな大物が憑いていたらしい。しかし悪霊というのは時々嘘をつくので信用してはいけないと牧師は言っていた。
どうも、こんなことをやっている教会のようだ。
だから、最初の間は気味悪かったが、ピアノを弾いている女性信者や牧師夫人がいつも祈ってくれるので、安心感が生まれ始めた。
あの瑞宝正法会にいた人達とは全く違う。
しかし、ある日、洋子の最も恐れていたことが起こった。
洋子がいない間であったが、教会に教団から電話がかかってきたのである。
「もしもし、○○キリスト教会ですか?私は瑞宝正法会の戸田瑞宝と申しますが、そちらに川本洋子さんと言う方が御厄介になってませんか?」
牧師が応対した。
「知りまへんなあ、全く知りまへん」
「その子は悪霊が憑いてるんや。こちらでお清めしている最中に逃げ出したんや。お母さんも心配しているので戻して下さい」
「悪霊が憑いてるなら、うちで払えます」
「生き神様」はそう言われて言葉を失った。
「悪霊を払う教会って?」
その夜、洋子は毅然として言った。
「今度電話がかかってきたら私が出ます」
そして日曜日に電話がかかってきた。
洋子が出た。
「私、お母さんの所へは絶対に戻りません。これは私の意志です。私はもう二十歳を超えています。子供じゃありません」
と言い放った。
(五)
こうして洋子のことが発端となって教会と生き神様との対決が始まった。
ここは大阪西成にある瑞宝正法会の道場。生き神様は腑が煮えくりかえる思いであった。信者をキリスト教会なんかに取られたのだ。怒るのも当然であった。戸田瑞宝は道場長と洋子の母親と洋子の兄を前にして怒りのたけをぶつけていた。
「これは何としたことじゃ、おい、鍋島、我々八百万の神がたった一人の、それも西洋の神に負けるというのか?答えよ!鍋島!」
「申し訳ありません。これも悪霊の仕業かと思います。必ず川本洋子をこの教団に取り返してきます」
「ええい、お前の言うことなんぞ信用できん。そこな母親、何ということじゃ?」
「申し訳ありません。洋子は私が必ず連れ戻します」
「お前は口だけではないか?最近はお布施も滞っているではないか?一体どうしたのじゃ?オロチ様はお祀りしたのか?」
「ははー、お祀りしようにも、もううちにはお金がありません」
「そんなもの淫乱娘に借りたらいいではないか?お前は地獄へ行きたいのか?」
「いえ、滅相もありません」
「それから川本祐輔!お前は八百万の神がたった一人の神である耶蘇に負けるとでも思っているのか?わしの恩を忘れたのか?」
「いえ、生き神様のご恩は忘れたことがありません。しかし八百万の神はたった一人しか神がいないアメリカと戦争をやって負けました」
「屁理屈を申すでない!お前はこのわしが耶蘇なんかに負けると思っているのか?」
「滅相もありません。生き神様が負けるわけはありません」
「ならばわしがその耶蘇の坊主に手紙を書く。決闘状じゃ。いいな?」
「はい、勿論です」
こうして牧師に戸田瑞宝から手紙(決闘状)が差し渡された。
「真藤牧師様
私はあなた方が誘拐して匿っている川本洋子の母と兄が信仰する瑞宝正法会の教祖です。世間では私のことを『生き神様』と呼んでいますが、私にはもっと多くの神がついております。八百万の神であります。この神々はあなたに負けるような神ではありません。よろしかったら大阪まで来て頂いて法力合戦をしようと思うのですが、いかがでしょうか?そしてこの合戦に負けたなら川本洋子を我々に返してもらうということでよろしいでしょうか?
勿論お断りになっても結構です。その時にはあなた方の神のことを我々は大いに笑うでしょう。卑怯者が逃げ隠れしたと。
お受けになりますか?ご返事をお待ちしております。
瑞宝正法会、教祖、戸田瑞宝」
これを受け取った教会は大騒ぎ。手紙は信者にコピーして回された。信者達は口々に言った。
「エジプトの魔術師め、やっつけてやりましょう。モーセのように」
「そう、ヨシュアのように果敢に闘いましょう」
そして今度は牧師から手紙がしたためられた。
「戸田瑞宝様
洋子さんは誘拐されたのではありません。自らの意志でこの教会へやってきたのです。これは正確に言うと『神の意志』です。この神の意志を何人も曲げることはできません。あなた様が法力合戦をしたいと言うのなら受けて立ちましょう。ただし、戦うのは私ではありません。イエス=キリストです。この方に逆らったらあなたは地獄行きですよ。
では九月十一日の金曜日に我々も西成へ行きますので、そこでお会いしましょう
○○キリスト教会、真藤泰利」
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