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1.犠牲と新生
ある年、世界中が大不況に陥った。
急に発生した想定外のウイルスが原因だった。
世界中で多くの人々が亡くなった。
また、国境でのウイルス感染騒ぎが引き金となって、世界のあちこちで戦争が勃発した。
どの国も疲弊してしまった。経済的にも。文明的にも。
その国は工業国としては世界一だった。しかし、大不況でモノが世界に売ることができなくなり、たちまち金がなくなった。
食料品は他の国々から買って輸入していたのが、買えなくなった。
「食は生活の基本」である。これが枯渇することは餓死を意味する。
その国の人々は考えた。
まずは身の回りにある無駄な食料品や食材を出し合った。それらは
食料品が全く足りていない家庭や人々に無償で配られた。
「食」は数年間はなんとかこのまま確保できそうだ。
同時にこれまで疎かにされていた、農業や漁業などが見直され始めた。
不況によって職を失った人々が中心となって、これらの産業に参入した。
過疎化した地域に人々が集い、都心から離れれば離れるほど活性化した
地域が国内のあちこちで目立ち始めた。
都市部は都市部で、もはや無人となったビルの内部を改造して、人工光と水耕栽培による農作物を作れるようにした。食料加工品を製造するビルもできた。
それらの結果、数年後には農林水産業や酪農業が確実に根付いたために、その国の食糧自給率は飛躍的に向上し始めた。他の国から食料を輸入する必要がなくなった。
あくまでも国内需要ため、人々の生活を保障するため、という視点で生産されたこれらの農作物や食品は、生活の全くといっていいほど負担にならない価格で流通された。
金がなくなって、医療も大打撃を受けた。
「医療は健康的な生活維持の基本」である。これが崩壊することは生活の崩壊につながる。
人々は考えた。
高度医療技術の開発や維持管理には金がかかる。
それらは最も必要とされる、一部の患者に限定された。
代わりに、病気にならないことを目的とする予防医学が注目された。
農業の生産物の中に薬草もあった。漢方薬のさらなる開発と研究が進められ、症状が軽いうちに治癒させる考え方が主流となった。
別のデータによると老若男女問わず、「自らを健康と思う」と感じる
人々が確実に増加した。農地開拓やそのための住居といった環境整備に従事する人々である。適度な肉体労働が適度がトレーニングにもなった。
例えば午前中は農業に従事し、午後からデスクワークという兼業者も普通に見られるようになった。
金がなくなって、教育の位置づけも変わった。
「教育は文明の基本」である。
これが疎かになると社会の腐敗につながる。
人々は考えた。
そして、これまでの教育にまつわる人生観に変化が生じた。
誰よりもいい学校に入って、一流企業に入れば一生安泰。という考え方は一蹴され、そのための単なる暗記科目と化していた学問はなくなった。
人と競い合って、より贅沢な人生を送ることが目的だった点数を取るためだけの受験勉強はナンセンスという考え方が、全員が貧乏になったために浸透したわけだ。
その代わり、自然界との共生という視点に立った理系科目やそれらに基づくテクノロジーが積極的に取り入れられた。
歴史や文学、芸術、音楽といった文科系学問は教養を高めるための講座として、いつでも誰でも自由に受けられるようになった。
結果的に人は誰でも、いずれかの分野で天性の才能があることが広く理解されて、自らの得意分野をそのまま職業とするスタイルが当たり前になり始めた。職業が生きがいとなった。
金はなくなったが人々は残った。
金がないので工夫が生まれた。それは技術となった。
金はないが知恵はあった。
金がなくて生活は質素になったが、崩壊はしなかった。
生活は最低限保証されたので人々の心に「ゆとり」が生まれた。
やがてそこから「希望」が育つだろう。
金はなくなったが、自分が自分たる職に就くことによって、
生活の「充実感」を得た。
金はなくなったが、小さいながらも「幸福感」を手に入れた。
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