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「30分くらいは大丈夫だな」
下草が妙に柔らかくて気持ちいいのだ。
空気が綺麗で美味しいのだ。
図らずも手に入れた極上の静寂は体の隅々まで清浄になるような気がする。
あまりにも気持ち良くて5時起きの反動か、うつうつと甘美な誘惑が襲って来る。
ここで昼寝なんてまずいってわかるけど、時間はまだ9時とか10時とかその辺だ。
それに、今は誰もいないけどそのうちに誰かが要らぬ「音」を運んでくるだろう。
頭と体の欲するままに目を閉じた。
サク、サク、と砂を踏む「音」が聞こえた。
どれくらい経ったのか、連れ去られた意識の中で「あれ?」って驚いてる誰かの声が聞こえた。
驚かせてすいません。
もう20歳になりますが俺はただ今迷子です。
何故、どうして、どうやって、どこにいるかはわかりません。
参加したイベントは2万人が走る有名なマラソン大会です。
当然誰もが知ってるし、ゼッケンを付けてるからランナーだってわかると思う。
そしたら驚くよな。
何でこんなとこにいるんだってなるよな。
どんな顔をしているのか……見るのは怖いけど、もう呑気な眠気は吹っ飛んでしまった。
関係ないかも知れないけど、こっちに向けられた驚きじゃ無いかもしれないけど。
適当な言い訳をフルで考えながら、恐る恐る目を開けると、やっぱりと言うか、当然と言うか、若い男が驚きに目を丸めてこっちを見ていた。
そして、やっぱり倒れていると思ったのか、サクサクと砂を踏んで近寄ってくる。
「あの……俺は…大丈夫です」
「君は……どうしてここに?」
「さあ?どうしてでしょうね」
ハハハと笑うしか無い。
しかし笑ってる場合じゃ無い。
スポンサーの名前が入ったマラソンのゼッケンを付けてスポーツウェアを着ているのだ、倒れていると思われては大事になる、ふわふわの草布団が名残惜しいけど体を起こそうとすると、男は目を丸めたまま手を貸してくれた。
「すいません、でも俺は体調不良とか疲れたとかそんなんじゃ無くて、ただ迷っただけみたいなんです」
「うん、そりゃ見たらわかるよ」
……でしょうね。
呆れると思うし、面白いだろうなとも思う。
見知らぬ男は穏やかに笑いながらも少し困ったような顔をした。
そして「時々いるんだよなあ」と髪を混ぜた。
それは俺と同じようにコースを外れる奴が「時々」いるって事で、有名且つ大規模なこのマラソン大会はあってはならない迷宮を抱えているって事だ。少しホッとしたし、遅いタイムの言い訳も出来た。
だから詳しく聞いておく。
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