episode 4. 赤ん坊の仕事

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 鏡の中の場面が切り替わった。  黒いゆったりとしたローブをまとった老婆が、赤子をあやしている。  椅子に腰かけ、ひざに赤子を抱き上げた彼女は、赤子のおせじにも豊かとはいえない前髪を、指先でちょいちょいと撫でた。しわだらけの節くれだった指に、ほのかに温かい光が宿る。  それが魔力の光だと気づき、無名の魔法使いは「おや」と感嘆の声をあげた。 「あれはどういう魔法だ? 初めて見るものだが」  フォ・ゴゥルもその光を見た。ほんのかすかな光、それなのに胸にしみこむような温かくやさしい光の正体は。 『あれは、人間たちが“幸運のお守り”と呼ぶものですよ』  フォ・ゴゥルが答えると、その人は興味を惹かれたようだ。 「私の知らない魔法だな。人間たちは千年の知恵の積み重ねによって、新たな魔法を得たか」 『たしかに魔法には違いありませんが、効果のほどは不明です。あれは単なる愛情のしるしではないかと、私などは思っているのですが』 「愛情か……お前は難しいことを言うな。それは男女の愛とは異なるものか?」  主人の純粋な問いかけに、フォ・ゴゥルは返答に詰まった。  それは人間の本質に根差すというか、人間社会の根幹(こんかん)とでも言うべきか――とにかく、人間ではないフォ・ゴゥルには説明の難しいものだった。 『愛情には無限の種類があり、その深度もまた無限と聞き及びます。男女の愛以外にも、人間社会には複数の愛と呼ばれるものが存在しているのではないでしょうか』  ふぅん、と相槌(あいづち)を打ったその人は、じっと鏡に見入っていた。鏡の中では、赤子が緑の瞳を輝かせて笑い声をあげている。  急に、その人は立ち上がった。 『(あるじ)様?』 「せっかくだ。その愛情とやら、間近で見て来よう」  白っぽいローブを羽織ったその姿は、一瞬でその場から消え失せた。広い部屋の中、後にはただキラキラと光の粒子だけが舞っていた。
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