episode 5. 閉ざされた森の塔

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 無名の魔法使いがそれを思い出したのは、人間の世界にたちの悪い(やまい)が流行したからだ。有効な薬が見つからず四苦八苦する一方、移動用魔法陣(テレポーター)の発達により遠くの町まで一瞬で移動できる時代となった。病の広がりは、人間たちをほとんどパニックに陥れようとしていた。  そこで、病に有効な薬を開発しようと考えた無名の魔法使いは、まずどこかで薬草園を栽培することにした。魔法で治療する方法を見出したところで、複雑すぎると使える人間が限られる――あるいは使える人間が存在しない可能性もある。薬草の調合のほうが、人間世界に普及するには都合がいいのだ。  そして、長らく放棄していたこの土地を思い出したというわけだ。  人間の立ち入らない深い森の中なら、姿を隠すことなく自由に薬草の栽培ができる。汚染物質を片付ける手間はあったが、緑が深く厳しい自然を、無名の魔法使いが気に入ったこともあって、ここに薬草園を作って世話をする日々が続いていた。  フォ・ゴゥルは、森に満ちる魔力を使って、手下となる白い獣をいくつか呼び出し、畑の世話を手伝わせた。その白い獣は、じゃがいものような顔に人間の体がくっついたようなもので、国によっては「妖精」などと呼ばれているようだ。特に大きな魔力も持たず害の少ない連中である。手足があるから、農作業の手伝いにはもってこいだった。 (あいつも、いろいろと楽をする方法を考えるものだな)  フォ・ゴゥルの行動をそんな風に評価しながら、数日間、天日干しにした薬草をすり(ばち)ですりつぶしていく。これを先日こしらえておいた複数の粉末と組み合わせることで、病の進行を遅らせ、軽度のものならば自然治癒力を高めて治癒させる薬が、理論上出来上がる予定だった。  フォ・ゴゥルに探させていたのは、実際に薬の効き目を試すための、小さな村の診療所だった。いくつかの地域から選択し、治療に使えと送りつける。本来ならあやしいことこの上ないが、“名前のない魔法使い”の名が、こんなときには威力を発揮する。それは、千年の昔から、人間世界に大いなる災厄が訪れた際、幾度となく手を差し伸べて来た偉大な魔法使いの名だと、人間たちは記憶に刻んでいる。人間世界に多大な影響力を持つ魔導士協会も例外ではなかった。 (人間を救うことは私の使命ではないが、世界をことが私の使命だからな)  流行り病で地上のすべての人間が死に絶えるとは到底思えなかったが、この病が孤児院や、そういった特に弱い人間たちの頭上にも降りかかったら――そう考えたとき、無名の魔法使いは、治療薬を作ることを決心していただのだった。
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