episode 7. 新しい名前

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 彼女は、エメラルドのような温度のない緑色の瞳でヴェルデを見下ろした。そこに歓迎の色がないことを読み取り、ヴェルデは小さく身をすくませる。 「あなたのこれまでの生き方に興味はありません。これからは、グランミリアン家の息子としてふさわしい名前と行いを身につけるのです」  言い残し、夫人は今度こそ去って行った。  代わって後ろから現れたのは、くすんだ金髪と大きな褐色の瞳をした若い女性だ。ヴェルデの育った孤児院で、もっとも若い職員がこのくらいの年齢だった。  彼女の隣に立ち、ヴェルデをここまで連れて来た壮年の紳士が紹介した。 「彼女は、これからあなたの世話をするエミリー。なにか困ったことがあれば、ひとまず彼女を頼るといいでしょう。申し遅れましたが、私の名はサミー。グランミリアン家の執事です。どうぞよろしくお願いいたします――ヴィルジニー坊ちゃん」 「初めまして。よろしくお願いします。ヴィル坊ちゃんとお呼びしていいかしら?」  サミーのほうは淡々としていたが、エミリーは背を屈め、人懐こい笑顔で握手を求めた。ぼうっとしていたヴェルデは、慌ててその手を握り返した。 「ぼく……ぼく、そんななまえじゃないんだけど」  すると、エミリーは悲しげに眉を下げた。 「それが、今日からあなたの名前になるの。突然のことでびっくりするとは思うけど、どうか受け入れてね」  そう言われては、「イヤだからこれまでどおりで」とも言えなかった。  ヴェルデはもやもやとした気持ちを抱えながら、エミリーに連れられて玄関ホールを後にした。  鉄鍋をじっと(のぞ)き込んでいた無名の魔法使いは、「なんだ、あの女狐は」と不機嫌そうに吐き捨てた。 「ちょっと行って、重しと一緒に川底に沈めてやろうか」 と言うもので、 『それで秩序が保たれるなら、そうなさればよろしいのでは』 とフォ・ゴゥルは答えた。  無名の魔法使いはむすっと黙り込んだ。ひとつの命のために、ほかのひとつの命を奪うことは、無名の魔法使いが定めた秩序を乱す行為だった。秩序の番人である無名の魔法使いがそんなことをできるはずもない。  主人にそっけなく答えたものの、フォ・ゴゥルも心情としてはグランミリアン夫人を殴ってやりたいところだった。幼児の心をあまりにも(ないがし)ろにしている。 『あの子ども、これからうまくやっていけるんでしょうか』  無名の魔法使いは答えず、長い廊下を悄然(しょうぜん)と歩く幼い横顔を見つめていた。
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