episode 8. 幸運のお守り

5/5
前へ
/70ページ
次へ
「おじいさん、だれ? ここでなにをしているの?」  しわがれた声が答えた。 「わしは庭師じゃよ。花の手入れをしておる」  庭師の老人は、パンパンと音を立てて衣服をはたいた。葉っぱや茎がはらはらと舞い落ちた。  ヴィルジニーは老人に駆け寄って、お尻についた葉っぱを払ってやった。 「ありがとうよ、お若いの」  老人はそう言って、ヴィルジニーの頭に大きな手を置いた。  彼はしばらくそうしていたが、ふいに一本の黄色い花を取り出し、ヴィルジニーの手に預けた。 「お前さんに、幸運が訪れますように」  それは孤児院でもなじみの言葉だったので、ヴィルジニーは嬉しくなってにっこりと笑った。 「おじいさん、ありがとう」  ヴィルジニーは老人の腕を引っ張っると、(かが)んだ彼の頬にチュッと音を立ててキスをした。自分の幸運を祈ってくれた人にはそうやってお礼をするのが孤児院のしきたりだった。  このときの老人は意外に若い声で「まいったな」と呟き、もう一度ヴィルジニーの頭を()でた。  風に乗って青空に舞い上がった無名の魔法使いは、長い髪をたなびかせながらもう一度「まいったな」と呟いた。  その頬には、常人には見えないくらいの小さく淡い魔法の光が宿っていた。  その優しい光が、ズキズキと胸を刺す。 (これが、人間の魔法の力か。人間にしか使えない、魔法の力……)  本当は、あの子どもにこの魔法をかけてやろうと思っていた。だが、どうしても出来なかった。大いなる破壊も癒しも難なく操ることのできる魔法使いが、この小さくてささやかな魔法だけは使うことができなかった。それは、人間の心が生み出す魔法だったから。  だから、一輪の花に願いを託した。  どうかこの子どもに幸運が訪れますように、と。  そのつもりだったのにお礼に魔法をもらってしまい、魔法使いは苦笑した。 (まいったな。人間のほうが、こうもたやすく魔法を操るとは)  足元を見下ろすと、花と緑に囲まれた石造りの立派な屋敷が佇んでいる。  どうかここでの暮らしが幼い子どもにとって優しいものであるようにと祈りながら、無名の魔法使いは青空に溶け込むように姿を消した。
/70ページ

最初のコメントを投稿しよう!

57人が本棚に入れています
本棚に追加