episode 9. 夏の庭

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 無名の魔法使いは、白くしなやかな指をあごに当てて、じっと鏡を(のぞ)き込んでいた。そこには、グランミリアン家の外観が映し出されていた。 (この小さな家の中でも、人間たちの考え方はそれぞれに異なっている)  貴族の邸宅であっても、無名の魔法使いにとっては人形の家よりも小さな家に思われた。その人がいつも見渡しているのは、世界という単位であったから。  無名の魔法使いは、当主アルベールの無関心と女主人キャロリーヌの身勝手さに腹を立てていたが、エルマディ少年との関係を見直して、少し考えをあらためた。  ヴィルジニーの立場に立ってみれば彼らは冷淡な養い親であるが、エルマディにとっては優しく立派な両親だった。少々の問題があったとしても。  使用人の立場も単純ではなかった。嫡男(ちゃくなん)のエルマディの教育係であるカペル夫人は、女主人とエルマディの意志を最優先にして動いている。執事であるサミーは、何よりも当主であるアルベールの意志を尊重している。ヴィルジニーづきの侍女であるエミリーは、女主人の怒りに触れない範囲でヴィルジニーの環境を気遣っている。 (興味深いな。まるで国家の縮図のようだ)  複数の勢力が存在し、その中で自分の、あるいは自分の属する勢力にとっての善悪あるいは損得を勘定して人間たちが動いている。その様子が、王宮や議会の様子と重なって見えたのだ。  無名の魔法使いは、部屋でうずくまる眷属(けんぞく)に声をかけた。 「なぁ、フォ・ゴゥル。お前も私も、人間を弱く愚かな生き物だと思っているが……」 『否定はしません』 「人間というのは、私たちが思っているよりも複雑でしたたかな生き物なのかもしれんな」  フォ・ゴゥルからの返事はなかった。  無名の魔法使いはそれ以上語らず、鏡の外から人間観察を続けた。
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