episode 1. 赤子の泣き声

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「今にも命の灯が消えそうだというのに、のんきなものだ」  無名の魔法使いの言葉には侮蔑が含まれていたが、赤子はそんなことは気にせず、「あー」と言いながら右手に握ったものを差し出した。 「おや、シロツメクサか」  赤子が握っていたのは、道端に生えていたシロツメクサだった。一部が枯れてみすぼらしいそれを、何故かこちらに向かって懸命に振る。  その行動に、無名の魔法使いは苦笑した。 「いらぬよ、そんなもの。お前にやろう。ついでに、その命、拾ってやる」  このままここに転がしておけば、赤子は母親と同じ運命を辿るだろう。だが無名の魔法使いの魔力(ちから)を以ってすれば、消えかけた命の灯を再び燃え上がらせることなど容易(たやす)い。  左手で赤子を抱えると、右手で包み込むように赤子の痩せた腕を握った。  その箇所から、魔力が赤子の体内に流れ込む。赤子の体を壊さないようゆっくりと時間をかけて魔力を注げば、栄養状態は改善され、死の足音は遠のいていった。 (まぁ、こんなものか。あとは、これをどこへやるかだが……)  無名の魔法使いは顔を上げ、森の向こうに続く道を、その道が刻まれた丘を、その丘の向こうに存在する村を視た。肉眼ではなく、魔力で透視したのだ。おせじにも、豊かな村とはいえないようだ。おそらくこの子の母は村から来たのだろうが、そこへ赤子を送り返しても、同じように死の危機を迎えるだけだろう。  無名の魔法使いとしては、気まぐれとはいえせっかく救った命であるからには、長生きしてほしいと思った。 「仕方ない。南の豊かな村へ連れてゆくか。おい、空の上でぎゃあぎゃあ泣くなよ」  そう釘を刺し、赤子を抱いて再び空へと舞い上がる。  言葉が理解できたわけではないだろうが、赤子はおとなしく抱かれていた。相変わらず興味津々のまなざしで、無名の魔法使いを見つめていたが。 「やれやれ、好奇心は猫を殺すという、古い言葉を知らんのか?」  問いかけた直後に「知るはずがないか」と独語した。赤子の好きにさせるほかなさそうだ。  空を南下していた無名の魔法使いは、やがて緑の大地に、石造りの建物を見つけた。この国有数の大きな孤児院で、教会に併設されている。 (この教会も、五人の魔法使いを祀っているのか)  教会の門の上に、赤、青、黄、緑、黒の五色の旗が掲げられている。これは新時代を作ったとされる「始まりの五人の魔法使い」を表す色で、現代ではこの五人を聖人として信仰する宗教が圧倒的に普及している。  自然崇拝やその他の神を祀る宗教もないではないが、数は少ない。宗教と武力が結び付くとろくな結果を生まないため、いくつかの宗教団体や国をあげてそれを信じる国家については、無名の魔法使いがせっせと滅ぼしてきた歴史がある。  かといって五人の魔法使いをあがめる宗教を精励しているわけでもないが、消極的な選択の結果、この宗教が信仰を集めるにいたったようである。五人の魔法使いは、無名の魔法使いとは浅からぬ縁がある。無名の魔法使いとしては「あの五人をあがめるのもどんなものかな」と思うのだが、秩序を乱すものでない限り、人間たちの信仰を否定するつもりはなかった。
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