episode 11. 麦酒のゆうべ

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 旧時代のテクノロジーとして電気エネルギーに着目するのはいいが、それが伸張すればいずれ原子力に辿り着く。世界の秩序を担う者として、それを看過するわけにはいかないのだ。 「私は思うんだが。旧時代のエネルギーシステムより、現代に普及した魔法のほうがよほど公平で効率のいいエネルギーだと思うぞ。富める者にも貧しき者にも等しく扱える力、環境を汚すこともない。それで満足していればいいではないか」  リチャードは顔を赤くしたまま、にやりと笑った。 「やはり、あなたも旧文明をよく研究していらっしゃるようだ。とてもお詳しい……だから言えるのですよ、魔法だけでいいと。それは知識のある者だけが言える言葉なのです」 「……どういうことだ?」  リチャードは微笑み、上半身だけで後ろを振り向いた。娘のリザーナが、カーテンに隠れるようにして、テラスで飲み交わす大人たちを見ていた。リチャードが手招くと、トトト……と軽い靴音を響かせて駆け寄り、父親の太ももにしがみつく。視線は、無名の魔法使いに向けられていた。 「無知は知識欲の前身です。知らないから知ろうとする。知らないものに対して、恐れと同時に好奇心を抱く。ちょうど、今の娘のようにね。あなたは知らない人だ、だから怖い。でも興味を()かれる、近づいてみたい。だからこうして首を突っ込んでくるのですよ――握手してやってもらっていいですか?」  無名の魔法使いが頷くと、リチャードは娘を膝に座らせた。 「ほら、リザ。仲良しの第一歩だよ、右手を出してごらん」  父親に導かれて、リザーナは小さな手のひらを差し出した。 「……わたしのなまえは、リザーナ・アストンです。どうぞよろしく」  たどたどしい言葉遣いで自己紹介すると、吸い込まれそうな大きな瞳で無名の魔法使いを見つめる。  無名の魔法使いは口元を緩めると、白い右手を差し出した。 「よろしく、小さなリザーナ譲。あいにくと私に名前はないが、お近づきになれて嬉しいよ」  無名の魔法使いの言葉は、まんざら社交辞令でもなかった。緑の瞳の子どもがまだ小さかった頃を思い出して、微笑ましく思える。  あなたは――とリチャードが言いさしたので、自らの唇に人差し指をあててそれを押しとどめた。リチャードは頷いて、続くセリフを飲み込んだ。  そこへ、妻のマーサが現れた。 「あなた。飲むのはそれくらいにして、夕飯を片付けてちょうだい。お客さまにもお酒しかお出ししないなんて、失礼よ」  腰に手を当てる妻の横で、夫は小さくなっている。似合いの夫婦だ。
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