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第一章 動乱の始まり
平安の世も武士の時代へと移り変わろうとしていたあるとき、朝廷において少なくとも以前までは実質頂点に君臨していた人物、後白河法皇は住まいの法住寺殿でぼうっとしていた。そんな彼を見て彼が信頼していた臣下である九条兼実は声をかけた。
「法皇様、いかがなされました?」
法皇は兼実の方を見た。
「ほう…お前は朕に元気がないと申すのか?」
「えぇ。さっきからまるで廃人のようなお顔付きをなさっています。」
兼実は法皇を心配そうに見た。
「もし清盛…平家といった方がいいのか…彼らのことを考えているのならすぐにお忘れください。あなた様に罪がないことは皆理解しております。」
法皇はそんな兼実の言葉を聞いて鼻で笑った。
「ふん、別に清盛など憎くはない。ただあまりにも自分があわれでおかしくておかしくて。」
「…?」
兼実は法皇の言葉の意味がわからなかった。
「朕は清盛の陰謀にはまり、今では何の力もない。まことに権力とははかないものだ。そのあっけなさがあまりにもおかしくて。」
法皇はなんともいえない不気味な笑みを浮かべていた。兼実はそんな法皇に変な印象を抱いたが、すぐに法皇に向かってはっきりと言った。
「此度の鹿ヶ谷での一件はただの清盛の謀略です。全く、法皇様達がはかりごとをした証拠など何もないのに。このような行いはあまりにも非道です。そして皆は平家を憎んでいます。暴君の治世など絶対に長続きしない。きっと平家は地に落ちるでしょう。」
「そうか…それで暴君とは清盛のことか?」
「もちろんです。」
法皇は再び鼻で笑った。
「たしかに最近のあやつはつまらないな。でも昔はなかなか面白いやつだった。」
「面白い?」
「あぁ。見ていて飽きなかった。朕を笑わせるには十分過ぎた。」
「はぁ…」
兼実にとって法皇はいまいちよくわからない人物だった。何を考えているのか読めないし、こんな陰謀をしかけられたのにその首謀者を面白いというのだから。
「兼実」
「なんでしょう」
「心配しなくとも平家の命運はいずれつきるであろう。そう、少なくとも清盛がいなくなれば…」
ちょうどこの頃伊豆ではある家族が幸せな生活を送っていた。
「奥方様!奥方様!」
ある屋敷の女中が縁側にいた奥方様と呼ばれる女性のもとへかけよってきた。女中の手には桜が咲いた枝があった。
「見てください!見事な桜でしょう?お腹の子も喜ぶと思って」
女中は女性に桜を見せた。
「この子に桜は見えないわ。それに枝を折るなどはしたない。木がかわいそう。」
女性はやれやれといった感じで言った。
「あぁ、でも夢みたいです。小さい頃からお仕えしていた政子様が母上になるなんて。」
女性の名は政子というらしい。
「全く梅ったら。その話、何回目?もう聞き飽きた。」
「えぇ!いいじゃないですか。旦那様とだってあんな大変な思いまでして一緒になったのに!だから私はうれしくて」
梅は涙ぐんだ。
「ところで旦那様は?」
「あぁ、あの人ならきっと部屋で書物を読んでると思うけど」
「旦那様は物静かな方ですよね。外にも滅多にお出にならないし。武士の子っていうよりどこかの公家の若様みたい。」
「あぁ。たしかに。でもあのなんともいえない陰気な感じがあの人のいいところで…」
「なんだ私の悪口か?」
政子と梅の後ろから男が姿を現した。
「旦那様!」
「頼朝様!」
二人は頼朝の突然の出現にとても驚いていた。
「あぁ。たしかに私は陰気で引きこもりの男だ。」
「頼朝様!違うんです。梅が先に言い出したんです…」
「えぇ!陰気だといったのは奥方様でしょ?」
二人は慌てて否定した。
「いや、二人の言うとおりだ。これがあの源氏の嫡男、源頼朝だと皆は思わないだろうな。」
「そんなことありません。あなた様はとても賢いお方。世が世なら武家の棟梁にふさわしいお方です。」
政子は頼朝に言った。慰めではなく、本当にそう思っていた。
「ところでこの桜は?」
頼朝は梅が持っていた桜を指さした。
「あぁ、さっき庭でとったんです。お腹の子に見せたくて。」
「そうか…でも子供にそれは見えぬだろうな。」
頼朝は梅の手からするりと桜をとった。
「でもどうせならこの桜のように可憐な女子が生まれるといいな。」
頼朝は桜の花の香りをかぎながらいった。
「でもどうせならお世継ぎとなる若様の方が…」
梅はすかさず反論した。
「いや、私はただの流刑囚だ。世継ぎなどいらぬであろう。女子が良い。ただでさえ罪人の子供なのに、男子なんて…」
「あなた様は罪人ではありません!」
政子は頼朝の言葉を否定した。
「たまたま戦に負けただけで悪いことなんか…うっ…」
政子は苦しそうにお腹をおさえ始めた。
「政子?」
「奥方様!まさか…あ、誰か!誰か!奥方様が!奥方様が!」
政子が産気づき、すぐに部屋に運ばれた。部屋からは政子の苦しむ声が聞こえてくる。
「奥方様!もう一息です!もう一息!」
頼朝は近くの部屋で子供と政子の無事を願っていた。政子の苦しむ声が終わったと思うと梅が頼朝の元にやってきた。
「旦那様!姫様です!かわいい姫様です!」
頼朝はそれを聞いて政子の元へ行った。
「政子!」
「頼朝様!」
政子の横には生まれたての赤ん坊が寝ていた。
「女子でしたね。あなたの希望通り。」
政子は赤ん坊の顔を見て微笑んだ。
「あぁ。」
「やはり我が子はとてもかわいい。こんなにも愛おしいものがこの世にあるのですね。」
政子は赤ん坊の頬に触れた。
「そうだな。でも、こんな男が父親でこの子は本当に不幸だ。」
「何をいって…」
政子は反論しようとした。
「本当に不幸だ。でもだからこそ幸せになってほしい。流人だった私がお前に会って幸せになったように。流人の子だろうと関係ないと思えるほどに。」
「頼朝様…」
頼朝は政子の手を握った。
「ありがとう。政子。私の子を産んでくれて。これからも家族三人…いや、梅もいるか。とにかくみんなで幸せに暮らそう。」
「はいっ…」
頼朝と政子は互いに微笑みあった。この先何が待ち受けているかも知らずに。そしてこの赤ん坊がこれから先過酷な運命に振り回されることも知らずに。
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