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第十章 訃報
所変わって鎌倉では一幡が昼なのに灰色で雲が粘土のように重なっていた空を見ていた。
「姫様、どうかなさいましたか?」
梅が一幡に聞いた。
「いや、なんだか天気悪いなと思って」
一幡が答えた。
「一幡!」
すると向こうから義高と幸氏がやってきた。
「義高様!」
一幡は顔をぱっと輝かせて義高の元へとかけよった。
「ずっと書物を読んでいて暇だったから姫に会いにきた。」
「はい!じゃあ、また義高様の話、たくさん聞きたいです!」
義高と一幡は縁側に腰掛け、お互いの話を色々と話し始めた。
「その巴様っていう人、私も会いたいです。」
「いつか会える。少なくとも此度の戦が終われば。それと父上や兼光達にも会わせてやるよ。」
二人は日が暮れるまでおしゃべりをしたり遊んだり散歩をしたりすることが毎日あった。それくらい二人は非常に仲睦まじかったのである。
「父上達は今頃何をしているのだろうか。気軽に文も書けないし…」
義高がそう言いながら灰色の空を眺めた。
「元気にしていますよ!絶対に」
一幡が言った。
「あぁ、でもなぜだか胸騒ぎがする。」
曇天を見る義高の顔はこわばっていた。
九月半ば、ついに法皇は義仲を呼び出した。
「お前が上洛してきて二月たつが、未だに天下は鎮まらないし、平家もまだ討てていない。いくらなんでも役に立たなすぎだ。」
と法皇は義仲をいさめた。
「しかし、京の治安の乱れは長引く飢饉が原因で二月やそこらで解決などできません!ましてや平家討伐と並行してこの問題に取り組むのはいくら私でも不可能です!それに法皇様はかつて京の治安回復の方に専念して欲しいとおっしゃったではありませんか。」
義仲が言った。
「あぁ。でもそれはお前が京の治安回復しながら他の源氏の者を動かして平家討伐してくれると思って言ったのだ。」
法皇は膝にいた飼い猫をなでながら言った。
「それならば法皇様自らが命を出して他の源氏、特に鎌倉殿の軍を平家討伐に行かせれば良いのでは?」
義仲の手はわなわなと震えていた。
「朕が討伐を命じたのは頼朝ではない、お前だ。よって源氏の要はお前なのだ。…あぁ、そうだそうだ。朕はお前にいい物を渡したかったのだ。」
そう言って法皇は立ち上がり手元にあった剣を持って義仲の前へ来た。
「こ、これは…」
義仲はその剣を見て驚いた。
「朕がお前のために剣を用意した。平家は今、屋島辺りにいるらしい。そこにいる平家を倒すのだ。お前が平家をさらに西へと追いやれば朕はお前を再び信用してやろう。」
法皇はふんと鼻で笑いながら剣を差し出した。義仲は小刻みに震える手でそれを受け取った。
「お、お任せくだ、さい」
不思議と義仲の言葉は震えてしまっていた。法皇直々に剣を渡された義仲はそのまま自分の屋敷へと戻っていった。
「殿!」
義仲が戻ってくるのを見て兼光ら側近達は義仲にかけよった。
「心配していたのです。法皇様に呼ばれたって聞いて」
今井兼平が言った。
「で、法皇様はなんと?」
兼光が口を開いた。
「出陣命令だ。今すぐ京を出て屋島の方へ行くぞ。」
そう言って義仲は弱々しく法皇にもらった剣を見せた。
「それは…?」
兼光が心配そうに聞いた。
「法皇様からいただいた。今度の戦は勝つしかない。法皇様の信頼を取り戻すためにも…」
義仲は出陣の報告とは思えないくらい弱々しくそう言った。側近達もそれを感じ取ったようでしぃんとした。
「でもなぜ急に出陣を?法皇様は殿に京のことだけ考えろと」
海野幸広が口を開いた。義仲は何も答えなかった。ただ顔を下に向けたままだった。
「とにかく我らは出陣の準備をしよう。なにせ法皇様の命令だ。」
義仲の様子を見て兼光が言った。
「はい。じゃあ他の者にも出陣のこと、伝えてきます。」
巴がそう言って向こうの方へ言った。兼光以外の他の側近達もみんな巴の後を追うように向こうへ行った。
「屋島か…おそらく平家が得意な海上戦になりそうですね。京にいる我ら源氏はとてもまとまっているとはいえないし、正直作戦を上手く練らないと…」
兼光はぶつぶつ言って考えこんだ。
「どうして頼朝は鎌倉にいたままなのだろうか。」
義仲はぼそっとつぶやいた。
「さぁ、戦が得意ではないとか東国支配の安定のためとか色々言っているようですが」
兼光は言った。
「そもそも京の治安の悪さは我らの手には負えないくらいだった。そう、二月で回復できるはずがない。法皇はたしかにまともな方ではないがそれくらいわかっているだろう?いや、こんなのただのへりくつだ。あの男、いやあの者達の真の狙いは」
義仲の頭には法皇と頼朝の顔が浮かんだ。
「私だ」
義仲は自我を失ったかのような顔で言った。
「最初からこれが狙いだったのだ。法皇も貴族達も今はみな日和見で、今の京ではささいなことが命取りとなる。だから頼朝はあえて自分から平家を追おうとしなかったのだ…」
「なるほど。たしかにこの源氏には殿を始めとした秀でた武者がいますからね。そしてこの戦が終わり頼朝が真の意味で武家の棟梁となったとき優れた者は邪魔になる。」
義仲と兼光の間に沈黙が流れた。
「兼光」
義仲が切り出した。
「お前は京にとどまれ。そして法皇を監視しろ。」
「…はい、殿。そしてどうかご武運を」
兼光はそのまま静かに礼をした。
一方その頃源行家はなにやら武士らしき男とこそこそ話していた。
「いいか?義仲軍に加わって後は作戦通りにするのだ。」
「はっ」
そのまま男は走り去った。
「ふん、あの義仲ももう終わりだ。」
行家はにやりと笑った。
そうして義仲達は平家討伐のために京を出発した。そしてそれとちょうど入れ替わりで頼朝から朝廷に申状が届いた。その内容は平家横領の神社仏寺領の本社への返還、平家横領の院宮諸家領の本主への返還、降伏者は斬首に処さないというものだった。
「やはり鎌倉殿は義仲とは全然違うな。」
「あぁ。信濃の田舎者である義仲と違って幼少期を京で過ごした頼朝は道理をよくわかっているのだ。」
と公卿達は申状を見て頼朝を絶賛した。
それから何日たったのだろうか。一幡や義高、幸氏達は義仲の身に起こっていることなどつゆも知らず、鎌倉で平穏な毎日を過ごしていた。あるとき幸氏は黙って縁側に一人で座っていた。
「若はどうしたのだ?」
幸氏の後ろから重隆が声をかけてきた。
「若なら姫様のところにいらっしゃいます。」
幸氏が答えた。
「お前は行かぬのか?」
「姫様と若の周りには侍女もいるし問題ないでしょう。」
幸氏が生返事をした。
「そうではない。姫の監視を怠るなといっているのだ。」
「監視?」
「あぁ。言ったはずだ。ここは敵地で若は人質だ。あの幼い姫だってどこで何をしてくるか」
「姫様は若にひどいことなんてしません!」
幸氏は無気になって言い返した。その様子を重隆は黙って見ていた。
「…お前も若も姫の肩を持つのだな。
「…」
「…全く、あれほど親しくなるなと言ったのに」
重隆はそう言ってため息をついた。
「重隆様!幸氏様!」
義高の侍女、舞が息を切らしながらやってきた。
「どうした?そんなに慌てて」
重隆が息継ぎをする舞を見ながら言った。
「今、他の侍女からある噂を聞いたのです。実は先日殿が戦をなさったらしくてそれでそれで」
舞の目には涙があふれていた。
「は、早く言わぬか!」
重隆が言った。
「備中の水島にて海野幸広様およびその他多くの家臣が犠牲になられたそうです!」
舞はそのまま膝をついて泣き崩れた。幸氏もまた突然の兄の死の知らせに呆然としていた。
「戦とは?殿は京にいらっしゃるはずだろう!」
重隆が舞の両肩をつかんで言った。
「それがその侍女が言うにはこの間突然法皇様から殿に出陣命令が出たとかで…」
「出陣?しかし鎌倉殿が言うには殿は京の治安回復の役目を引き受けたからしばらくは京に留まるはずだって…」
「ど、どういうことだ…」
振り返るとそこには義高と一幡がいた。
「戦?幸広が亡くなった?どうしてそんな突然…」
義高も呆然としていた。
「あ、兄上…」
幸氏の目からは大粒の涙がぼろぼろと流れていた。
「幸氏!幸広のことはきっと何かの間違いに決まっている。父上がいるのだ。きっと守ってくれるさ。だからそんな顔をするな。」
義高が幸氏のもとへ行って両肩を抱きながら幸氏を慰めた。しかし、突然の知らせにその場にいた全員が凍りついていた。
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