第十二章 粟津の戦い

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第十二章 粟津の戦い

 義仲が帰京してから法皇と義仲の対立は決定的となった。法皇は義仲に対抗するべく延暦寺の僧兵や浮浪民、他の源氏一族などを味方につけ、法住寺殿を武装化した。そしてとうとう義仲に最後通牒を出した。 「ただちに平家追討のために西下せよ。院宣に背いて頼朝軍と戦うなら宣旨によらず義仲軍一身で戦え。それに加えてもし京に留まるなら謀反とみなす。」 法皇の言葉を伝え聞いた義仲は法皇と戦う決心をかためた。 「殿!ここはむやみに頼朝と戦をすべきではありません!我々の目標は打倒平家でしょう?なぜ鎌倉殿や法皇様と戦う必要があるのですか?」 巴がそう言った。 「その通りです!なぜ殿が謀反人になる必要があるのです?」 今井兼平、志田義広、他の家臣達も口をそろえてそう言った。しかし兼光だけは黙っていた。そしてそれを聞いて義仲は静かにまぶたを閉じた。 「確かにな。お前達の言うとおり普通はここで平家討伐にいくべきなのだろうな。でも、もうどの道私には助かる道などないのだ。」 周りの人々はしぃんとした。 「たとえ法皇のいうことを聞いて平家討伐に行ったところでそのときは命が助かっても、どの道頼朝に消される運命が待っている。惨めに殺されて最期を遂げるよりも戦で散った方が私にはとても名誉なことなのだ。」 義仲の目には一見見えない程度に涙が出ていた。巴は涙が抑えられずに鼻をすすっていた。 「私の命運はここまでだが、お前達には未来がある。寝返りたい者がいるのならばいくらでもここを去ったって構わない。」 義仲がそう家臣達に言った。そう言われて家臣の何人かはその場を後にしたが、ほとんどはその場に残った。こうして義仲軍は反撃にでた。十一月十九日の夜、義仲軍は法皇やその側近達、天台座主である明雲などがいる法住寺殿を襲撃した。激しい戦いの中、明雲を始め院側の有力者のほとんどが戦死した。そして法皇は捕らえられ幽閉された。見せしめに明雲の首は川に投げ捨てられ、院側にいた者はみなさらし首にされた。こうして世にいう法住寺合戦は義仲側の勝利に終わった。それから数日たつと義仲は松殿基房と連携して政を行うようになる。まず松殿師家を内大臣兼摂政にし、近衛基通の家領八十余所を義仲のものとし軍事の全権を掌握、俊堯を天台座主とした。こうして義仲の傀儡政権が生まれたのである。  そして後日、義仲は法皇のもとを訪ねた。 「お久しぶりです。法皇様。」 「ふん、朕を罪人のように捕らえたくせによくもそんな猫かぶった挨拶ができるな。」 御簾越しで法皇がそう答えた。 「まぁまぁ。ところで早速ですが法皇様にお願いしたいことが」 「あぁ。わかっておる。頼朝追討の命が欲しいのだろう?」 「はい。話が早くて助かります。」 義仲がにっこりと微笑んだ。 「まぁ、どうせ断っても力ずくで宣旨を出させるのは目に見えているが」 法皇はぼそっとつぶやいた。義仲はそれには答えなかった。 「それにしてもお前の目は闘志に満ちていないな。どちらかといえば落ち着いた目をしている。」 法皇は言った。 「哀れなやつだ。前に出すぎたばかりに。きっと後世でお前は反逆者として名が刻まれるだろう。」 義仲はそれを聞きながらまぶたを閉じた。 「他人からの評価など私には何の価値もありません。嫌われ者となった今でも私には私に従う家臣がいるのです。自分を認めてくれる人間が一人でもいるのならば私はそれで十分です。」 義仲はきっぱりとそう言った。法皇はそれには答えなかった。こうして頼朝追討の命が下された。そうこうしているうちに年は明け、源義経軍は美濃まで迫ってきていた。そして義仲は兼光に河内(今の大阪府あたり)にいる行家を討つべく出陣を命じる。 「殿、」 兼光が河内へ発つ日、兼光は思わず義仲の名を呼んだ。 「あぁ、兼光。行家のことは頼んだ。」 義仲が静かに言った。 「殿、私は無念でなりません。殿をお守りできなかったことを私は一生後悔するでしょう。」 兼光の目からはうっすらと涙が出ていた。義仲は涙をためる兼光の手を握った。 「なぁ、兼光。私は物心ついた頃にはすでに親はなく、天涯孤独だった。でもそんな私が連れてこられた信濃で幼少期を楽しく過ごせたのは乳兄弟である兼平、幼なじみの巴、そして兄も同然であったお前がいたからだ。私には信濃で一日中お前達と遊んでいた日々が昨日のことのように蘇る。だからありがとう、兼光。そして生まれ変わったらまたお前に出会いたい。」 「殿…私も必ず後を追います。」 兼光は目をつむり、二人は手を離し、兼光はそのまま振り返らずに京を離れた。  そして一月の半ば、義仲は征東大将軍に就任した。しかし、このとき義経軍は京のすぐ近くまできていた。義仲軍はすぐに京都に閉じ込められてしまい、京都の宇治で義経軍を迎え撃つしかなかった。義仲は軍を三つに分け、兼平が率いる軍を源範頼が構えている瀬田(滋賀県)に、もう一つを義経がいる宇治に出陣させ、そして義仲自身は院御所を守った。しかし、義仲達の兵の数はすでに義経軍に比べて少なく、もはや兵力は低かった。義経は軍勢を率いて宇治川を突破し、京に入ってきた。院御所を守っていた義仲の率いる軍は義経達と激突し、結局義仲は敗れ、兼平と合流すべく瀬田に向かった。義仲は敵の目をごまかすためにも残った軍をいくつかに分け、自身は巴と数人の兵と共に山の中を瀬田の方角へと向かっていった。 「とにかく早く兼平と合流しよう。でもその前にお前は馬を飛ばして逃げるのだ。お前なら女子だから見つかってもきっと許してもらえる。だから」 義仲は巴にそう言った。 「嫌です!私も行かせてください。私も家臣なのだから。」 巴は義仲に必死になって言った。 「巴…」 義仲は疲れた顔で巴に何か言いたげなそぶりをした。  その内一行は近江の粟津(滋賀県)に着いた。すると懐かしい声が聞こえた。 「殿!」 義仲が振り向くとそこには擦り傷でぼろぼろになっていた兼平だった。兼平は馬を進めて義仲のそばにかけよった。 「よかった。ご無事だったのですね。宇治は敵に制圧されて都にも敵がせめてきたって聞いたから…とにかくご無事でよかった。」 兼平は微笑んだ。 「とにかく北陸の方へ逃げましょう。あっちへ逃げればきっと援軍だって得られるはずです。」 兼平は息切れしながら言った。そうは言っているもののもうどうみても自分達が助かる方法などあるはずがなかった。義仲達が北陸の方角へ進むと案の定矢が飛んできて敵がせめてきた。 「義仲がいたぞ!」 敵も義仲達が北陸方面へ行こうとしていたのは知っていた。敵は次々と襲ってくる。義仲は後ろを見ると付き従っていたはずの家臣はいなく変わり果てた姿で地面に横たわっていた。義仲、巴、兼平は必死に抵抗して襲ってくる敵を次々と倒した。義仲がふと巴をみると巴の背後から巴を狙う矢が見える。すると義仲の体は自然と動いた。 「うっ…」 巴の背後へかけよった義仲はなんとか落馬せずに済んだものの胸の辺りに広がる痛みに顔をしかめた。 「殿!」 巴は驚いて後ろを向き隙をついて攻撃してくる敵を追い払い、兼平もまた周囲にいる敵をある程度追い払った。そして三人は茂みの方へ入っていった。山へ入るとちょうど隠れるには最適な洞窟があった。そこへ入り馬から下りて馬をつないだ。巴と兼平は義仲をすぐに座らせた。巴は義仲の鎖骨辺りにささった矢を抜いた。そして止血しようと布を巻いた。 「申し訳ありません。私のせいで」 巴の目には涙が流れていた。義仲はぜぇぜぇと苦しそうに息をしていた。 「泣くな。お前が無事なら私はそれで満足だ。」 義仲が微笑んだ。 「無理にしゃべらないで!話したら傷口が広がります!」 巴の布を巻く手は震えていた。布が巻き終わると巴は立ち上がった。 「とにかくここで休みましょう。そして隙を見て逃げましょう!」 巴は言った。 「いや」 義仲が制止した。 「もう私は手遅れだ。私を置いてお前達だけで逃げなさい。」 義仲が息も絶え絶えに言った。 「そんな!諦めてはだめです!殿!」 巴は泣きながら義仲の両肩を抱いた。そんな巴を義仲は優しく弱い力で抱きしめた。 「ありがとう。巴。お前を守れて本当に良かった。あとはどうか、義高を」 義仲が言った。そしてそのまま義仲はまぶたを閉じ、巴を抱きしめた手も地面へと落ちた。 「殿!」 巴が義仲の両肩を抱いてさすった。義仲はぴくりとも動かなかった。 「殿!殿!」 巴はもう動かない義仲の胸に頭を預け、声も出さずに泣いた。 「巴」 しばらくたって兼平が巴に声をかけた。巴は頭を上げた。目は赤くなっていた。 「お前は早く逃げなさい。」 「…兼平殿は?」 「私はここで自害する。」 兼平はそう言って短刀を取り出した。 「じゃあ、私も死にます!私だけ生き残る訳にはいきません!」 巴は立ち上がってそう言った。 「わからないのか?殿がどんな気持ちでお前をかばったか。殿は幼い時からお前を愛していた。身分違いで正妻にはできなかったけど、それでもお前を誰よりも大切にしていた。きっと殿はお前に生きて欲しいと願っている。」 兼平は言った。 「私だって殿のことをずっと…殿がいない世など生きていけません。」 巴がうつむいて泣いていた。 「殿は死んでも義高様はまだ生きておられる。だから義高様をお助けするのだ。」 巴が義高という名を聞いてはっとした。 「行け!早く!」 兼平が声を上げて言った。巴は馬にまたがり振り返らずに去っていった。巴を見送ると兼平は義仲に近づいて言った。 「生まれ変わっても私はあなたのそばにいたいものです。」 そう言うと兼平は義仲の前に座った。そして短刀を首筋に当てた。それから何時間かたって敵の兵が洞窟を見つけたときには一人は壁によりかかってもう一人はそれに向かって座ってお辞儀をするような姿勢で息絶えていた。
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