第二章 法皇と清盛

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第二章 法皇と清盛

 高倉天皇は後白河法皇の子にあたり母は平清盛の正室、時子の妹である建春門院であった。それに加えて高倉天皇は清盛の娘徳子を妻に迎えており平家の強い後ろ盾を受けていた。そのため平家と対立していた父、後白河法皇とは次第に疎遠になってしまい心を痛めていた。そしてちょうどその頃あることが起きた。前摂政ですでに故人である近衛基実に嫁いでいた清盛の娘、盛子がなくなったのである。そしてかねてから清盛は盛子が准母(実の母親ではないが、公的に母親と認められた立場の人)になっていた基実の子、基通に盛子が継承した摂関家領を継がせようと思っていた。しかし、基通はまだ十代の後半ですでに年若い基通の中継ぎとして関白になっていた松殿基房をさしおいて継承はできなかった。この盛子の死は清盛の計画をぶち壊しにしたのである。そこで清盛は盛子がこれまた准母となっていた高倉天皇へ伝領した。これに基房は不満を感じた。 「関白は私で実質摂関家の氏長者なのにどうして私が継承できないのだ。例え中継ぎでもいったん私に継がせるのが筋じゃないのか。」 基房は後白河法皇に泣きついた。法皇も平家のこのやり方をとがめた。結局法皇は摂関家領を自分の管理下にした。もちろんこれはますます法皇と清盛の仲を悪化させた。 「法皇様、恐れながらあまり平家を敵に回すのは避けた方がよろしいかと」 兼実は法皇を案じた。 「お前はいつから平家の味方になったのだ?」 法皇は鼻で笑った。 「いえ、そういうわけでは…ただあなた様の身を案じているのです。」 「味方だけだとつまらない。」 「え?」 「逆らう者がいるから世の中は面白い。そうは思わないか?」 法皇はこの緊迫した状況には似つかわしくない笑みを浮かべた。  そしてこの後さらに法皇と清盛の仲が悪化させる出来事が起こった。なんと法皇は基通を無視してまだ八歳だった基房の子、師家を権中納言にして摂関家領を継承させたのである。清盛率いる平家はたいそう立腹した。 「そもそも基通殿に継がせなかったのは基通殿が年若かったからなのに、それを幼子に継がせるなんて。そもそも松殿は中継ぎで摂関家嫡流は基通殿なのだぞ。いくらなんでもこれは見過ごせん。」 業を煮やした清盛は早速高倉天皇に文を送った。 「これは…」 清盛からの文を受け取った高倉天皇は震えた。 「帝、どうかしたのですか?」 そう声をかけたのは高倉天皇の側近、土御門通親だった。 「清盛が,父上と松殿が平家や平家側についた者を排除していると。困っているからどうにかしてくれと文に書いているのだ…。」 高倉天皇はおびえていた。 「それは…まさか」 平家のことだ。単に助けを求めているわけではないと二人にはよくわかっていた。 「おそらく清盛は、松殿と父上を…その、排除しろと…」  その意図を読み取った高倉天皇は宣命、詔書で松殿父子を罷免した。天皇の後ろ盾で天皇のおかげで権力を握られる上皇という立場にいる以上、後白河法皇は天皇の命には逆らえなかった。そして法皇は今後二度と政務に介入しないことを伝えた。これが世に言う治承三年の政変であった。そして法皇は洛南の鳥羽殿に幽閉された。 「これが、逆らった者の末路か」 法皇は自分の現状を鼻で笑った。 「末路かどうかはわかりませんよ。」 1人の女がそう言って入ってきた。 「平家が、いいえ、権力は長続きせぬものですから。」 「何者だ?女官にしてはずいぶん美しい姿をしておる。そう、まるで天女のような。」 実際に女はまるでこの世のものとは思えないくらいの美女であった。 「申し遅れました。丹後局と申します。本日より法皇様のお世話を頼まれました。」 「あぁ、もしかして業房の…」 「はい、平業房の妻でございます。まぁ、夫は流罪に処され、殺されましたが。」 丹後局は下を見ながら答えた。 「…さっきの話だが、お前は平家が失脚するといいたいのか?」 「物事の道理を申したまでですが、それと同時に私の希望でもあります。夫の仇ですから。」 「なるほどな。まぁ、確かにお前のいったことは正しい。朕は今まで失脚した権力者を何人もみてきた。その度に思ったものだ、力ははかないものであると。だから朕は誰の味方でもない。ただ気ままに楽しく世の中という舞台を見ていたいのだ。」 そう言いながら法皇は持っていた杯の酒を縁側から外に注いだ。 「…私と法皇様はとても好みが合うと思います。」 丹後局が口を開いた。 「なんだと?」 「私もこの世を楽しく見たい。もし、私と法皇様に好みの相違があるのならば、私の場合はできればその楽しい舞台に自分自身もいることでございましょうか。」 「ほう…さっき天女といったがそれは違うな。」 「と申しますと?」 「お前は蛇だ。美しい皮を身にまとい、とてもしたたかに生きる蛇だ。」 「蛇ですか?それは褒め言葉と思って良いのでしょうか?」 「さぁな。でも朕は嫌いではない。」 そう言われて丹後局は微笑んだ。そして法皇のそばにいき法皇の杯に酒を注いだ。   その後、平家との板挟みに参ったのか高倉天皇は徳子との間に生まれた皇子に譲位した。その皇子こそ安徳天皇であった。安徳天皇の摂政には近衛基通が選ばれたが、彼は経験不足と若かったためか失態をおかすようになる。そこで九条兼実がその補佐をするようになった。しかし、ちょうどこの年に世を揺るがす事件が起きてしまった。なんと法皇の皇子にあたる以仁王が平家打倒を掲げて全国の源氏に令旨を出したのである。そしてこれは平穏に暮らしていた頼朝達一家の人生を大きく変えることになるのであった。
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