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第二十八章 京
その夜、月は見えなかった。一幡は縁側に座って空を見上げていた。
「そっか…満月が過ぎたからもう月は見えないのか…」
一幡はそのとき夜桜の下で最後に話した蒼華を思い出した。
(義高様が桜の精なら蒼華…あの人は夜桜の精。どちらも私を明るい色で包んでくれる…)
「…変な話だ。私は義高様が好きなのにこんなにあの人のことも温かく感じるだなんて。こんなにもあの人がいない夜空をさみしく感じるだなんて…蒼華…」
一幡は星だけが散らばった夜空を当てもなく見つめていた。
一方そのとき蒼華は木に登って夜空を眺めていた。
「今日は下弦の月だから月はないのか…」
蒼華はぼそっとつぶやいた。
(そういえば、姫様と最後に話したのもこんな夜だった…)
蒼華は目を静かに閉じた。
(…会ったばかりのあの方がほっとけないのは何でだ?どうしていつもあの方を見ると自分自身がこんなにもいっぱいいっぱいになるのだろう…)
そのときふと蒼華の頭には一幡の顔が浮かんだ。思い出されるその顔は自分と過ごした短い時間でも泣いたり笑ったり色々な表情をしていた。
「…何はともあれ変な姫様だった…」
蒼華はそうつぶやいて微笑んだ。二人はお互いのことがなんとなく忘れられなかった。それが何でなのか問われてもきっとお互いが答えられないくらいに。
ちょうどその頃京では九条兼実が自分の部屋で文を読んでいた。
「…全く飛翔のやつも随分勝手だな。新月を呼び戻そうとするとは…」
兼実はそうつぶやくと開いた文を二本の指で静かになぞってこう再びつぶやいた。
「…新月と一緒に住む若造か…」
そのとき兼実は脇息に止まっている小バエに気づいた。
「…まずはあの男だな。あいつが…鎌倉殿がいつまでも味方な訳がない。」
そう言うと兼実は手で小バエを静かにたたいた。
「とにかく様子を見よう…隙を見て仕留められるように。」
またもや同じ頃鎌倉では頼朝が一人自分の部屋で考え事をしていた。
「…大姫が戻ってきた。そして行動にするなら今だ。きっと成功させてみせる。帝をもしのぐ力を手に入れるために。」
年も明け、建久六年(1195年)となった。一幡はあの武蔵での滞在から多少体調を崩すこともあったが、以前に比べれば大分元気になっていた。
「京に?私が?」
政子から話があると言われてやってきた一幡はその突然の知らせに目を丸くした。
「あぁ。東大寺の落慶供養があってそれで私達も招かれたみたい。」
政子が言った。
「でも驚きました。父上はともかく母上や私、頼家までもが招かれるなんて…」
一幡が言った。
「そうだな。大体私、京はおろか伊豆から西には行ったことがないからもう何を持っていけばいいのやら。」
政子が困り果てたように言った。
「それにしても乙姫(三幡、一幡の妹)や千幡(後の源実朝、一幡の弟)はまだ幼いから京に連れて行ってはだめだと言われてしまって…この子達としばらく会えなくなるなんて耐えられない。」
政子は隣に座っていた三幡、乳母に抱かれていた千幡を見て言った。
「でもいいではないですか。京ってこの国の都なだけあって、それはそれは由緒正しい所なのでしょう?私も行けることになって実はとてもうれしいのです。」
梅が嬉しそうに言った。政子はやれやれと言った感じでため息をついた。そのときずっと政子の隣に座っていた三幡が立ち上がって一幡のそばにやって来た。
「姉上、本当にお体は大丈夫なのですか?」
三幡が一幡の手を握って言った。
「私よりもお前の方が心配よ。大丈夫なの?この間も熱が出たと聞いたけど」
一幡が三幡の手を握り返して言った。三幡は生まれつき病弱でよく体調を崩していた。政子達にとっては一幡と同じくらい三幡が悩みの種であった。
「もう平気ですよ。それよりも姉上と久しぶりに遊びたいです。」
三幡が一幡の手を引っ張った。
「はいはい。」
一幡がそのまま立ち上がり、三幡の部屋で人形遊びをして時間を過ごした。
「姉上、そういえば幸氏はどこにいますか?」
三幡が人形遊びの手をやめて一幡に聞いてきた。
「幸氏?幸氏なら今は仕事をしていると思うけど…」
一幡が答えた。
「…そうですか。」
三幡がしゅんとした顔をした。
「幸氏に会いたいのか?」
三幡の様子を察して一幡が聞いた。
「はい!幸氏は弓が上手だし、素敵で…私の憧れなのです。」
三幡が顔を輝かせながら言った。
「そうか。三幡は男を見る目があるのだな。」
一幡が三幡の頭をなでながら言った。
「はい!私、幸氏と一緒になりたいです。」
真剣な顔でそう言った三幡を見て一幡は思わず吹き出しそうになった。
「そう。しかし、幸氏はいい年して妻の一人もいないからなぁ…まぁ、ちょっと難しいかもしれないけど三幡みたいな子と一緒になったら私も安心だ。」
一幡はそう言って笑った。
「姉上には好いている方はいないのですか?」
三幡が言った。一幡はそれを聞かれて一瞬、固まった。
「私の場合、一番好きだった人も今気になっている人ももう私の手には届かない…」
一幡が言った。三幡はそんな一幡の言葉が理解できずにきょとんとしていた。一幡は三幡の頭をなで続けた。
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