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第三章 頼朝
「旦那様!旦那様!大変です!」
梅が血相を抱えて書物を読んでいた頼朝のところにきた。
「なんだ。騒がしい。」
「あの旦那様!行家様がお見えになってて…」
「え?叔父上が?」
頼朝は驚いた。伊豆にきてからというもの親類が自分を訪ねてきたことは一度もなかった。部屋へいくとそこには叔父、行家が座っていた。
「これはこれは叔父上、よくきてくれましたね。」
「いやぁ、たまたま伊豆を通りかかって。それでたしかこの辺にそなたの屋敷があったことを思い出してな。」
行家は笑っていたが、それはどこか味気ない笑みだった。
「それで何の用です?」
「以仁王のことは聞いておるかな?」「えぇ。たしか平家追討の令旨を出されたとか。あの平家を相手にずいぶん勇気ある行動ですね。」
「しかし、我ら源氏が協力し合えば怖いことはない。」
行家は頼朝を鋭い目つきでみた。
「何がいいたいんです?」
「今、源氏の多くが挙兵した。もし直系のそなたまでもが挙兵すれば源氏の勢いはたちまち巨大になる。」
「なるほど。その面倒ごとに手を貸せと。…くだらない。」
頼朝は退席しようとした。
「父親の恨みを晴らしたくはないのか?」「あいにく私は報復はしない主義なので。」頼朝は部屋を出ようとした。
「あなた様は平穏になど暮らせない。」
行家は言った。
「源氏の嫡男に生まれた以上、絶対に。」
頼朝は行家のその言葉に答えないで部屋を後にした。
「行家様がそんなことを…」
その夜頼朝は政子に今日あった出来事を話した。政子の膝には一歳になる娘の大姫こと一幡がいた。
「反乱を起こすときは嫡男を利用するのが一番だ。どうせ叔父上も私を利用したいだけなのだろう。」
頼朝は大姫の頭をなでた。
「私にはそなたとそして一幡がおる。父上や家族は戦のせいでみんな不幸になった。表舞台に出るとはそういうことなのだ。私はお前達と幸せに暮らしたい。」
それは頼朝の本心だった。このまま静かに家族と暮らしていたかったのだ。
「…あなたは才覚がある。」
今まで黙っていた政子が口を開いた。
「あなたは頭も良くて回転も速い。あなたのようなすごい人が今の生活に本当に満足しているとはとても思えません」
「何が言いたい」
「いいえ。でもなんだかもったいなくて。あなたは表舞台に出ていけば絶対にすごい人になる。よくわからないけどそんな気がするのです。」
政子は無意識に熱意をもって話していた。「すごい人か…たとえそうであったとしても富や名誉なんて今の私には無意味なものだ。」
それからしばらくたった日の夜のことだった。頼朝は自分の部屋で静かに書物を読んでいた。外はいたって静かで虫の音も風の音もしなかった。するとなにやら人の気配がした。よくわからないが、妙に自分の心臓の奥深くまで、まるで猫がネズミを狙うかのような視線でみている、そんな感覚だった。
「誰かいるのか?」
すると二人の男が物陰から出てきた。二人とも覆面をしており鼻から下が見えない。
「こいつか?源氏の嫡男は」
男の一人が頼朝をネズミを仕留めるかのような目つきでにらみながらもう一人に聞いた。「あぁ間違いねぇ。こいつを殺せば反乱は鎮まるはずだ。」
二人は鋭い剣の刃を頼朝に向ける。そして二人は頼朝に斬りかかってきた。頼朝は隙を見てそれらをよけ二人の刃はカチャと音を鳴らし合った。頼朝はその合間に部屋にあった剣を手にとった。二人は体勢を直すとまた頼朝を攻撃してきて今度は頼朝は卓を投げつけた。そしてその隙に頼朝は敵に襲いかかったが相手はすぐに気づき、相手にけがを負わせる程度に終わってしまった。
(先程反乱を鎮めるといっていた。まさか平家の刺客か?)
相手はなかなか強くさすがに頼朝一人では限界だった。頼朝が前からの攻撃を止めている背後からもう一人が頼朝を斬ろうとする瞬間だった。その男の腕が斬られた。男は苦しそうな声をもらし、頼朝と剣を交差させていた男も腕を斬られた。頼朝を助けてくれたその剣の持ち主を見るとそれは政子の父、北条時政だった。
「時政殿!」
頼朝は非常に驚いた。
「わしは殺生はすかぬ。命が惜しいなら今すぐ去れ。」
時政は二人にとげのある鋭い声で言った。一人は腕をおさえながら斬りかかろうとしたがもう一人が「いや、もうよい。」といって二人は一目散に走って逃げた。
「時政殿、どうしてここに」
頼朝は時政に駆け寄った。
「近頃伊豆にも平家の間者が送られてきています。いつかあなた様の身も危なくなると考えてずっと監視していたのです。」
「そんな、なんとお礼をいっていいか…」
頼朝は自分の知らない所で時政が自分を守ってくれていたことになんともいえない感激を覚えた。
「礼には及びません。それよりも平家の手が迫ってきている。今後も刺客が、いえもしかしたら適当な理屈をつけられてあなた様は亡き者にされるかもしれない。」
「それは…つまり私の命が危ないと…」
そのとき頼朝の脳裏に行家の言葉がよぎった。
「あなた様は平穏になど暮らせない。」
(自分に普通の平穏な人生はありえないというのか…)
「逃げてください。我が北条家が絶対に守ってみせます。もうそれしかあなたが助かる道はないのです。」
時政は勢い余って頼朝の両肩をつかんでいた。頼朝は必死に考えた。政子や一幡と幸せに暮らしたかった。もう源氏だろうと戦だろうとそんなものに惑わされずに。でも自分の宿命がそれを許さないのなら、平家を倒さないと幸せになれないのなら…
「時政殿…」
「何でしょう?」
「これから私がやることについてきてほしいのだ…」
頼朝はもう迷わなかった。
その後、頼朝が板東の豪族に協力をよびかけ挙兵したのは八月のことだった。そして伊豆を平定し十月には鎌倉に本拠地を構えて鎌倉殿と呼ばれるようになった。
「最近、あなた様はどこか恐ろしく感じます。」
ある日,鎌倉の屋敷で政子が頼朝に言った。「鬼になるしかないのだ。平家を倒さねばそなたや一幡も幸せにはなれない。」
頼朝が自分に言い聞かせるかのような口調で言った。
一方朝廷では高倉上皇の病状が悪化の一途をたどっていた。安徳天皇はまだ幼く、政治を動かすには後白河法皇の力が必要だった。そこで法皇は呼び出され、松殿父子も召喚された。これには清盛も認めるしかなかった。そして年が明けると高倉上皇は崩御した。しかもなんとそれからまもなく清盛までもが亡くなったのであった。
「悲しいものだな。」
その日、後白河法皇は空を見ながらつぶやいた。
「はい?」
そばにいた九条兼実がきょとんとした。法皇の隣には丹後局がいた。
「清盛が死んだことだ。」
「…なにゆえ法皇様があの者の死を悲しむのですか?あの者は散々法皇様を苦しめてきたのに」
兼実には法皇が清盛の死を悲しむ気持ちがわからなかった。
「朕は清盛と初めて会ったときとても奇抜で新しいやつだと思った。故にあの者が愉快であった。そしたら案の定面白いことをしてきた。まさかこの世に武家政権をもたらすとは」
法皇は腹を抱えながら笑った。兼実にはその笑いの意味がやはりよくわからなかった。「あれぐらいぶっ飛んでいるのがちょうどいい。舞台がとても面白くなる。」
「法皇様はどうして清盛を憎まないのですか?」
兼実は法皇の笑いに不気味さを感じながらも恐る恐る聞いた。
「朕は何をされようと面白さを追求する。それは、笑っている方が楽しいからだ。」
法皇は今まで兼実に背中を向けていたがこのとき体の向きを変えた。兼実にはやはり法皇の心情がよくわからなかった。
「朕は、権力などいらない。朕の家族を苦しめた権力よりも自由気ままに笑っていた方が幸せだとそう感じるのだ。」
兼実はそのまま黙って法皇の言葉を聞いていた。
清盛の死後、跡を継いだ清盛の子、宗盛は法皇に恭順を示し、治承三年の政変で解官された人々を呼び戻した。この頃から貴族達は日和見になっていった。しかし、兼実は中立を保ち、なるべく平家とは関わるまいと朝廷にもほとんど出仕せず基通にも教示しなくなった。しかしその姿勢が逆に平家側の人間と見なされ、法皇達との仲が冷え切るようになるのであった。一方この年、京も含めた西日本全体に飢饉が起こった。世に言う養和の飢饉であった。この飢饉が後に一幡の不幸を呼ぶ原因の一つとなるのであった。
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