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第四章 人質
頼朝と政子の娘、一幡が生まれて五年あまりの歳月がたった。源氏と平家の戦いは相変わらず続いていた。そんななか源行家は自分の軍だけで戦い続けついには平家に負け続けていた。どうにか逃げてきた行家はこれからは頼朝に頼ろうと鎌倉の頼朝の屋敷を訪れた。
「殿、行家様がお目通りを願っているのですが…」
頼朝の家臣は頼朝にそう伝えた。頼朝は行家の名前を聞くと眉間にしわをよせた。
「勝手に戦をしといて勝手に負けたのだから自業自得だ。それを今更助けてくれなど…今すぐ追い返せ!」
頼朝は激怒した様子でそう言った。
「くそ、あの男。叔父を助けないなんて礼儀知らずにもほどがある。」
頼朝に追い返された行家はそう言ってかんかんになって鎌倉をあとにした。また、同じく頼朝の叔父にあたる志田義広も神社の土地を勝手に押領したことで頼朝の怒りを買っていた。それに加えて義広は頼朝に戦をしかけ返り討ちにあった。行き場を失った二人は木曽義仲を頼ることにした。木曽義仲は、頼朝にとっては従兄弟にあたり、以仁王の子、北陸宮を奉じて信濃に居を構えていた。
「話はわかりました。これからは私の所にいてください。」
義仲は二人の叔父を受け入れることにした。「おお…なんとありがたい。」
行家は勢い余って義仲の手を握った。
「いえ、我らは同じ源氏です。困っていたら助けてあげるのが道理です。」
義仲はにこやかに答えた。義仲は親切心で二人を自分の元においたが、これが頼朝の怒りを買った。
「源氏の足を引っ張るどころか私にはむかってきたやつをそばにおくなんて何事か!」
頼朝の怒りは頂点に達し、それは義仲のところにも伝わってきた。
「あの二人を追い出した方がいいのではないですか?」
「そうです。特にあの行家殿は信用できません。あなた様の身のためにも今すぐ追い出してください!」
そう義仲を心配したのは義仲の乳兄弟である今井兼平とその兄の樋口兼光だった。
「だが、お二人ともとても困っていらっしゃった。それに今は源氏同士で対立しているときではないだろう。」
義仲は優しい口調でそういった。
「他人思いなのは殿のいいところですが、鎌倉殿(頼朝のこと)を敵に回すのは危険です!」
義仲の側室でその家臣、または幼なじみにあたる巴御前は言った。そうこうやりとりしているうちに叔父行家と義広の二人が向こうからやってきた。
「あぁ、義仲殿!」
行家は機嫌良く義仲に挨拶をした。
「あなた方のせいで殿は頼朝殿の怒りを買ったのに。それなのに普通に挨拶してくるなんてどういう神経をしているのかしら。」
巴は嫌みっぽく言った。
「巴!」
義仲は巴を注意した。
「あぁ、それは申し訳なかった。そう、それだ。私は義仲殿に助言をしにきたのだ。」
行家は薄っぺらい謝罪をしてへらへらと話した。
「助言?」
義仲は聞いた。
「頼朝の怒りを買ったのだろ?だったらほら、たしかお前には息子がいただろう?その子を頼朝に差し出すといい。」
行家が名案だという感じで言った。
「なんと無礼な。殿に御子を差し出せなどと。」
今井兼平がすぐに反論した。
「もう我慢できませんね!そんな勝手なことを言って!」
巴は思わず剣の鞘に手をかけ、慌てて義仲が止めた。
「巴殿の言うとおり。行家、確かに勝手すぎる発言であるぞ。」
義広は静かな顔で行家に言った。
「しかし、怒りを買ったならば人質を差し出すのが一番。それが古来より同盟の証。そうではないのですか?兄上」
行家は義広に言った。
「だからといって若はまだ幼いのに!」
巴は反論した。
「殿!いきましょう!」
巴はかんかんに怒って先へ進んでいった。「巴!おい!待てよ!」
義仲は巴を追いかけた。
「全く、生意気な女子だ。義仲殿はあんな勝気な女子のどこがいいのだろう。」
行家はやれやれといった顔をした。
「でも、とても美しい女子だ。あんな美人、そうそういない。」
行家とは逆に義広は巴の容姿を褒め称えた。たしかに巴は女武者とは思えないほどの可憐で天女のような見た目をしていた。
「姿が美しくとも、中身があれなのだから見かけ倒しとはまさにあのことだ。」
行家は鼻で笑った。
「巴殿は義高様を実の子のようにかわいがっている。怒るのは無理ないでしょう。」
樋口兼光が行家に言った。そして兼光と兼平もその場を離れた。
一方、鎌倉で多忙な日々を送っていた頼朝は久々に奥に訪れた。そこには政子と成長した一幡がいた。一幡は長女という意味で大姫と呼ばれていた。
「あぁ、久しいな。」
「殿は今まで懸命に戦をなさっていたのですから。」
政子は言った。
「それにしても大姫はしばらくみないうちに随分美しくなったな。」
頼朝は一幡を見て言った。
「はい!大姫様はそれはそれは聡明で、とても素晴らしい姫君です。万寿様もすくすくと成長なされて…」
梅は誇らしげに話した。ちなみに万寿とは去年、頼朝と政子との間に生まれた長男である。ちなみにこの万寿が後の源頼家だった。「梅、またそんなへらへらと…それは私の台詞ですよ?」
政子が言った。
「あ、」
梅は口を押さえた。
「いや、やはり梅は面白いな。お前のようなやつが家臣にいてくれたらどれほど心がなごむか。」
頼朝は笑った。
「そんな、殿ったら。」
梅は頬に両手を合わせて照れ笑いをした。「政子、少し話がある。向こうの部屋へ。」頼朝が急に真面目な顔になって政子に言った。政子は部屋を出る頼朝の後についていった。
「良かった。久しぶりに夫婦でゆっくり話ができるなどなんて喜ばしい。」
共に部屋を出て行った頼朝と政子をみて梅がつぶやいた。
「それはどうだろうか」
すぐに一幡が反応した。
「きっと普通の話ではないと思う」
「え?」
「父上の顔、見なかったのか?あれは何か企んでいる顔だった」
一幡が言った。
「企むって何を?」
梅は目を丸くした。
「知らない。そんなの。」
一幡は不思議そうな顔をする梅に言った。
別室では頼朝と政子が向かい合っていた。「さっきの大姫、まだ五つにしてはなかなかよくできている。」
頼朝は言った。政子は頼朝の腹をさぐるような目で話を聞いた。
「あれなら嫁として申し分ない。」
「え?」
政子は驚いた。そして意図を理解した。たった五つの子をもう嫁に出すということなのだろうか。
「と、殿、もしかして大姫をどこかに嫁がせると?」
なぜという感じで政子は聞いてみた。
「そうだ。まぁ、正確には婿をとるということだが。」
「む、婿をとるのですか?そんな一体どこから…」
政子はますます驚いた。もし、大姫を嫁に出すなら嫁ぎ先は力を得るのに利用しやすい家にするはずだろう。しかし、婿をとると言われても相手が皆目見当がつかなかった。
「木曽義仲の嫡男、義高だ。」
頼朝が相手の名を告げると政子は青ざめた。嫌な感じがしたのである。
「た、たしか義仲殿と殿は仲違いされたとか。それで嫡男を差し出すというのは…つまり…」
政子は震えた。
(まさか殿は…いや、まさか。殿が娘にこんな仕打ちをする訳が…)
「そうだな。人質という形にはなるであろう。」
頼朝のその言葉を聞くと政子はあぁ、やはりと泣き崩れるような調子でこう言った。「殿!いけません!人質は人質でしょう?何も大姫を巻き込む必要はないでしょう?」
「義仲は義仲で我が源氏の即戦力だ。あの者とは協力する必要がある。そこで和睦の印が必要なのだ。」
「だからって!もし義仲殿が裏切ったらどうなるかわかるでしょう!大姫は悲しい思いをしなければならないのですよ?」
政子は両手で顔を覆って泣いていた。
「大姫はまだ幼い。まぁ、幼い頃の思い出など大きくなればすぐに忘れる。」
頼朝は冷淡にそうつぶやいた。
「それは…どういう意味なのですか…」
政子のその問いかけには答えずに頼朝は鋭い目つきをしていた。
「ついにきてしまった…」
義仲は頼朝からの文を見て震えた。
「殿、まさか…」
そう言った巴の顔も青ざめていた。巴だけでなくその場にいた義仲の側近達も嫌な予感を感じ取っていた。
「頼朝殿が…その、ど、同盟の証としてよ、義高と大姫様の婚姻はどうかと」
義仲は震え過ぎたために文をくしゃくしゃにしてしまった。
「実質、人質ということか」
義仲の重臣、望月重隆がつぶやいた。
「い、今すぐ行家殿と義広殿のお二人を追い出しましょう!そうすれば鎌倉殿の怒りも収まりこの話はなかったことになります!」
兼平は義仲に訴えた。その意見に兼光や巴も同意した。
「いや、これはそう簡単な話ではありません。あちらから縁談を持ちかけられた。縁談とは同盟の証。そしてこちらにそれを断る理由はない。どのみちこの話がなくなることはないということです。」
重隆は落ち着いた口調で言った。
「じゃあ、若を差し出せというのですか!」巴は目にうっすら涙を浮かべていた。
「それにこのご時世です。例え我々に非はなくても何か理由をつけられてやられることもあるかもしれない!」
「そうです!特に殿のような優れた方は鎌倉殿からみたら邪魔者以外の何者でもない。いずれ源氏が天下をとったときにはもしかすると…」
兼光、兼平兄弟もこぞって反対した。「まぁ、まぁ、重隆殿なりにきっと考えはあるのだと思いますよ。」
そう言ったのは義仲の家臣、海野幸親だった。
「もうたくさんです。私は亡き北の方様から若を頼まれたのに、それなのに…とにかく私は反対ですからね。では。」
巴はそう言って泣きながら部屋を出て行った。そして廊下をどんどん進んでいくと子供二人の声が聞こえてきた。
「幸氏!腕をあげたな!」
「いえいえ、若の方がきっと強いですよ。」その子供達の姿が見えると二人は剣の取っ組み合いが終わったのか剣を置いて汗を拭っていた。巴は二人を見ると涙が引っ込み笑顔になった。
「若!幸氏殿!」
巴は二人に声をかけた。二人は巴に気づいた。
「義母上!」
「巴様!」
「相変わらずお二人は仲良しなのね。」
巴は笑いかけた。
「はい。幸氏は大切な友達です。」
若こと木曽義高はそう答えた。
「若!友達だなんてそんな恐れ多い。」
幸氏は義高の発言に恥じらいを感じた。
「お前は友達だ!家来だなんて思ってない!」
義高は当然だという顔つきできっぱりと言った。海野幸氏は義仲の家臣、海野幸親の子供で同じく家臣の幸広の弟にあたる。幸氏と義高は同い年で幼ななじみでもあった。二人はとても仲がよく背格好も似ていたためまるで双生児のようだった。義高は幸氏を友として見ていたが、幸氏は立場も身分もわきまえているのかあまり義高と親しくならないようにと気を遣っていた。巴は小さくなっている幸氏を見て言った。
「たしかにお前は幸氏にとって家臣かもしれないけど同時に友でもあるの。そのことも覚えておきなさい。」
「…はい。」
幸氏は小さく返事をした。
「お前達を見ていると幼い時の私と殿を見ているみたいだ。」
巴は愛しそうな目をしながら言った。「あぁ、聞いたことあります!義母上は昔からやんちゃだったって父上が言ってました。」
義高が言った。
「殿がひ弱だったのがいけないの。昔は剣術でも私に負けてばかりで」
巴が答えた。義高と幸氏と同じで義仲と巴も幼なじみだった。幼いときはよく剣の稽古をしたり野山を駆け巡っていた。
「へぇ。殿にもそんなときがあったんですね。」
幸氏が信じられないといった顔つきで言った。
「そう。今でこそ立派な武者だけど…」
巴はなんだかわからないが嫌な予感がした。もう今までの幸せが続かないかのような感覚、もうみんながいなくなってしまうようなそんな感じがしたのだ。
「義母上?」
義高も幸氏も様子が変わった巴を案じた。「義高、幸氏…」
巴はそう言って義高と幸氏を抱きしめた。二人は突然の行動に目を丸くした。
「これから何があっても私達は一緒よ。あなた達も殿もみんなも。それに少なくとも私は二人の味方よ。それは忘れないで。」
そう言った巴の目には雨粒のような涙が見られた。その夜、義高は幸氏を連れて義仲の部屋へと向かった。
「若、どうして急に殿のところへ?」
幸氏は慌てて義高の後へついていった。
「今日の義母上、変だった。きっと何かあったんだ。」
天女のように美しい見た目とは裏腹に誰よりも凜々しく男らしい巴御前が泣いていた。これは義高にとっては衝撃的な出来事だった。(絶対に何かあったのだ。あの義母上が困惑してしまうほどの何かが。)
二人は義仲の部屋へと入った。義仲は寝間着姿で退屈そうにあぐらをかき座っていた。そして部屋に入ってきた二人に気づいた。
「あぁ、義高に幸氏。どうしたんだ?もう寝る時間だろう。」
義仲は二人に言った。
「父上に話があります。」
義高が目をまっすぐに見据えて言った。
「なんだ?申してみよ。」
「今日、義母上の様子が変でした。人前では全然泣かない人なのに今日はとても泣いていました。誰かが意地悪でもしたのですか?それとも泣かせたのは父上なのですか?」
息子の鋭い質問に義仲は驚いた。そしてこう答えた。
「たしかに、私が泣かせたも同然だ。私のせいでこうなったのだから。」
「こうなったとは?」
父の言葉に義高はつっこんだ。
「いや、お前に話すことなど何もない。お前にはまだ理解できないことだ。」
義仲はどうにか義高を追い返そうとした。人質にされ、命の危険にさらされること。こんな残酷なことを義仲は我が子に告げたくなかった。
「私はもう元服しました。父上が知らないだけで残酷なことも知らないこともたくさん知っています。だから教えてください。どんな話でも私は耐えられます。」
義高は義仲を真っ直ぐ矢を射るような目で見た。その真っ直ぐさに義仲は圧倒された。どの道耳に入ることなのだ。そう思って義仲は口を開いた。
「か、鎌倉の頼朝公が娘に婿がほしいと。それでその婿はお前がいいと。そう言ってきたんだ…。」
「婿?たしか父上と頼朝様は対立なさっていると聞きました。ということは同盟の証、ということですか?」
「あ、あぁ。」
「でも、なぜ婿なのです?別にあちらから嫁にくればいい話でしょう。それともあちらに跡継ぎの男の子がいらっしゃらないとか?」「…」
義高から鋭いところをつっこまれ義仲は黙るしかなかった。一度話すと決めたものの人質などという残酷なことを我が子に告げるのは酷であった。
「…もしかして人質なのですか?」
義高の発言に義仲はため息をついた。
「…そうなんですね?」
義仲はそれには答えなかった。しかしその様子から義高は自分が言ったことが間違いでないことに気づいた。そばにいた幸氏はとても驚いていた。
「お前を人質になんかさせるものか。とにかくお前は気にしなくてよい。さぁ、早く寝なさい。」
義仲はそう言って義高と幸氏を追い出した。「人質か…」
義仲の部屋から自室へ戻る途中、義高がつぶやいた。
「若が人質なんて私は嫌です。」
幸氏が悲しそうな顔でうつむいた。
「ところで幸氏」
「なんです?」
幸氏は下に向けた顔を上げた。
「最近、お前は私に冷たくなった。」「え?」
毎日家臣として義高の世話をしている幸氏にはその発言の意味がわからなかった。
「お前は前みたいに仲良くしてくれない。最近は私に遠慮してばかりだ。」
義高は不満そうな顔で幸氏に言った。
「え、遠慮?私は私なりに若にお仕えしているつもりなのですが…」
幸氏は慌てて言い返した。知らないうちに義高に無礼を働いていたのかと思って。
「それだ。お仕えしているとか、その他人行儀なところが嫌なのだ。」
「え?」
「言っただろ?お前は家臣じゃない。友だ。それを否定しないでほしい。」
「…」
寝床についた幸氏は今日義高に言われたことを必死に考えていた。たしかに幼い時は義高を友だと思っていた。彼に遠慮なんかせずにへらへらと話をしていたし、毎日一緒に走ったり騒いだりしていた。でも大きくなるにつれて自分と彼の身分の違いを理解できるようになった。義高は友ではなく主なのだ。自分は家臣に過ぎないのだと。
「私は若が大事だ。その気持ちだけは変わらないのに。」
幸氏はそうつぶやいてまぶたを閉じた。
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