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第六章 出会い
春になった。いよいよ鎌倉の頼朝の屋敷に木曽義高一行が入る日が迫ってきたのである。
「姫様~姫様~」
そう叫びながら梅が屋敷中をいったりきたりしていた。
「何ごとだ。」
そんな梅を見かけた政子はそう声をかけた。
「奥方様!それが…その」
梅は申し訳なさそうに下を向いた。
「どうしたのだ?はっきりいいなさい。」
「お、大姫様がいないのです!」
梅は涙目になっていた。
「大姫が?いないってどういうことなの?」
「わ、わかりません。ふと目をそらしたらいなくなってて…」
梅は心配なあまり両手を口に当て取り乱していた。
「あの子が何も言わずにどこかに行くはずない。もしかしたら何かあったのかも!とにかく手分けして探そう。」
政子が半ば頭が真っ白になっていた梅に言った。梅も政子も周りにいた女中達に呼びかけた。そして屋敷中をくまなく探させた。
「全く義高殿がもうすぐやってくるのに…」
政子は冷静さを保つ反面、少し戸惑いながら周囲の人々と共に一幡を探した。
春なだけに桜は満開に近かった。ここ鎌倉でも桜は薄紅色を帯びたまま何輪もの花が大きく開いていた。そして頼朝の屋敷から少し距離がある小高い丘には大きな桜の木があった。鎌倉に入った義高は幸氏と共に途中で滞在していた屋敷を抜け出し丘の上に来ていた。
「ここから鎌倉殿の屋敷が見えると聞いたが」
義高が幸氏に言った。
「建物は見えても誰がいるかは見えない。」
たしかに丘から頼朝の屋敷はちゃんと見えるが、義高が期待しているものは何も見えなかった。
「そりゃあ、距離はあるのだから人は見えませんよ。それに姫君ならきっと中にいるだろうし。」
幸氏は言った。
「でも義母上…巴様はいつも外にいる。」
「あの方は特殊なのですよ。」
二人は目当てのものが見えないと知ると、すぐに屋敷を見るのをやめて桜の木の下にきた。
桜の花びらはまるで可憐な舞姫のように舞い、義高はそんな桜を愛おしそうに眺めた。
「大姫か…どんな姫なのだろうか」
「たしか噂ではまだ幼いですが、品があっておしとやかで可愛らしい方らしいですよ。」
「そう、だから見に来たのだ。噂は本当かどうか。」
どうやら二人は一幡を見にきたようだった。
「でもなぁ。果たして上手くいくのだろうか。」
義高は言った。
「何を言っているのですか。」
「だって私は実質人質で、しかも相手は5歳も年下の幼子だ。上手くいくとは思えないな」
義高は桜の枝に触れながらどんどん進んだ。
「そんなことは」
幸氏は義高の言うことを否定しようとした。しかし義高はそれには答えないで
「それにしても本当に見事な桜…」
と言って目の前の枝に触れたときだった。そのとき向こうからきた手と重なった。それに気づいた義高の手と向こうの手はすぐに離れた。すると手の力で下へと沈んだ枝がまた元の所へと戻った。その瞬間向こうの手の持ち主の顔が見えた。そこにいたのはなんと一幡だった。しかし、そんなことを義高が知るはずもなく、一幡も向こうに立っている少年が自分の許嫁だとは思わなかった。
「…」
お互い黙り込んだ。そしてしばらくお互いを見つめ合った。
「し、失礼した」
一幡は先ほど触れられた自分の手の部分をもう片方の自分の手で触れた。
「あ、あぁ、すまぬ・・・」
義高は言った。義高も一幡も今まで家族や家臣以外の人間と接したことがなかったのでどう関わっていいかわからなかった。
「若?」
異変に気づいた幸氏が義高に近づいてきた。するとそこには二人よりも幼い見知らぬ少女がいたので幸氏は驚いた。
「お、お前はこの地のものか。」
義高は一幡に勇気を振り絞って話しかけた。
「若!あまり里のものと関わるのは」
幸氏が慌てて2人の間に入った。
「…は、はい」
一幡は答えた。
「この桜は見事だ。いや、この桜だけではない。鎌倉は良い桜がいっぱいある。」
義高は言った。
「それは違うと思います」
「え?」
「桜は自然のもので鎌倉のものではないと思います」
一幡は頭上に広がる桜を見ながら言った。
「…」
義高は幼い少女の思いがけない返答に言葉を返す気力が出なかった。そのときだった。
「若!幸氏!」
遠くから声が聞こえてきた。義高は直感的に声の主が望月重隆であることを悟った。
「重隆だ!幸氏、逃げるぞ!」
義高は隣にいた幸氏に言った。そして声が聞こえてくる方とは反対方向に駆け出した。ぎゅっと一幡の手を握りながら。一幡は見知らぬ少年に手を引かれて走る現状に混乱した。そしてしばらく走ってきたところで
「は、離して下さい」
と義高に言った。
その声で義高は初めて少女の手をとって逃げてきたことに気がついた。
「あぁ、すまぬ。」
義高は慌てて一幡の手を離した。
「格好からみてどこかの武家の殿方に見えるけれど、いきなり女子の手を握ってくるなんてどういうつもりですか」
一幡は義高を非常識だといわんばかりの目で見た。
「それは、その、思わずというか…だ、大体手を握られたぐらいで動揺しすぎだ。お前のような幼子の手などなんとも思わない。」
義高は自分をそんな目で見てくる一幡にかちんときたのかそう言い返した。
「幼子ですって?たしかにまだ小さいかもしれないけど、私はもうすぐ婚儀を挙げるのですよ。だから十分大人です!」
「お前みたいな生意気な女子が嫁だなんて相手がかわいそうだな。」
「なっ…」
このとき一幡は目の前にいる男を無礼なやつだと思っていたし、義高も目の前にいる女子を自分の言うことに生意気に言い返す無礼な女に思えた。
「でも、先ほどお前が言ったことには感心した」
二人のやりとりを聞いていた幸氏が口を挟んだ。
「たしかに桜は誰のものでもない、自然のものだ。山だって土だって木だって。」
幸氏は一幡に微笑みかけながらそう言った。
「…はい…」
一幡は義高に言われたことに対してすねているのか素っ気なく返事をした。一幡が二人から目を背けたときだった。目の前に市場が広がっていることに気づいた。道の両脇には建物がずらりと並んでおりめいめいで何かものを売っていた。売り子と思われる人はその売り物の美点を言い立てていて中には売り物をごろごろと荷車で運びながら売る人もいた。売り子だけではない。店が建っていないところでは踊り子や琵琶を弾く人が幅をきかせていた。
「ここが、町か…」
無論、一幡は屋敷から外に出たことがあまりなかった。それ故に庶民の暮らしを見るのもこれが初めてであった。
「まぁ、とにかく私に付き合ってくれたことは感謝する。そうだ、何か欲しいものはあるか?あるなら買ってあげよう。」
義高が子分に褒美を与えるような感じで一幡に言った。
「あなたなんかに買ってもらわなくたって私は物をいっぱい持っております」
一幡がぷいっと顔を背けた。
「かわいくないやつだな。」
「ふん」
一幡は今まで家族や侍女、家臣ぐらいとしか接したことがなかったので外の人と接するのは義高と幸氏が初めてだった。今まで接した人々は比較的自分に優しくしてくれていたが、今目の前にいる男は勝手に手を握ってきたり幼子などと悪口を言ってきたりする。一幡には義高がとても生意気で勝手な男にしか見えなかった。
「…仕方がない」
義高がすねたままでいる一幡を見てため息をついた。
「幸氏、少し行ってくる。」
そう言って義高は向こうの方へ行った。
「はい。若」
幸氏が答えた。そして幸氏と一幡の二人だけになった。
「あなたはあの人のことを若と呼んでいるけど、やはりあなたもあの人もどこかの武家の方なのですか。」
一幡は先ほどの少年が若と呼ばれたことが気になった。
「あ、あぁ。まぁ、そんな所だ。」
幸氏が答えた。なにせ逃げ出している身である上に外にいるので迂闊にどこの者かといった詳しいことは言えなかった。
「お前も」
幸氏が一幡を見た。
「こうしてみるとお前もなかなか良い身なりをしている。それに言葉遣いの感じから見て、きっとそれなりの身分なのだと私は思うのだが。」
幸氏が言った。実際幸氏から見ると一幡はあきらかにそこら辺の民よりも良い着物を着ているし、それでいてさっきの発言といい、聡明そうな雰囲気を醸し出していた。少々勝ち気ではあるが男相手にもはっきりとものを言うところはまるで巴御前を思わせるような強い女性に思えた。
「…」
「そうだとしてなぜこんな所に一人でいるのだ?」
「…」
一幡はそっぽを向いた。そして特に面白くもないので帰ろうかなとふと思った。すると頬をつつく人の手のような感触を覚えた。一幡はそのような突然の感触に跳ね上がるような思いを感じ、ぱっと後ろ向きにしていた体を前に向けた。するとそこにはさっきの無礼な少年こと義高が立っていた。そしてその片手には串が握られていて焼いた餅のようなものが刺さっていた。この状況を見ると一幡の頬をつついたのは串が握られていない義高のもう片方の手なのだろう。
「あなたっ…」
「これは一緒に逃げてくれたお礼だ。」
そう言って義高は一幡にその餅を突き出した。
「いらない。こんなもの…」
一幡は義高が持ってきた餅を見て言った。
「私がお前を勝手に振り回したのだ。お礼ぐらいさせてくれ。」
義高が一幡の手を取って餅を手渡しさせた。一幡は渋々受け取り、餅を一口食べてみた。
「おいしい…」
焼きたてなのかほかほかで炊いた穀物を練ってできた餅で、もっちりとはしていないが、かみやすい。たれは甘くよく餅に染み渡り、たれの成分はいい感じで混ざっていてそれが餅全体のおいしさを引き立てた。さっきまですねていた一幡の顔は餅のおかげで可愛らしい笑顔になった。
「食べ物で機嫌を直すなんてやはり幼子だな。」
義高はそんな一幡の顔を見てふっと笑った。
「なっ…」
また無礼な男が幼子と言ってきたので一幡は何か言い返そうとした。でも、口に餅があったので上手く話せない。一幡はなんとか言い返そうと慌てて飲み込もうとあたふたした。
「こら、慌てて食べるのは危険だぞ。」
義高はそんな一幡の頭にぽんっと手を置いて言った。一幡は子供をあやすように頭をなでてくる義高をやはり無礼者だと思ったがなぜかその義高の温かい手の感触に心地よさを感じた。
(もし私に兄がいたらこんな感じなのかな…)
一幡はふと思った。そして餅を半分食べきったところであることを思い出した。
「そうだ!はい。」
一幡は残った半分の餅をさっきから二人を黙って見ていた幸氏の前に突き出した。
「え?」
幸氏は餅と一幡の顔を交互に見て目を丸くした。
「あなたにも一緒に逃げてくれたお礼。」
そう言われてますます幸氏は目を丸くした。その様子を拒否と受け取った一幡は
「あ、私が口つけたものなど嫌か。じゃあ今すぐ新しいの買ってくる。」
と言った。幸氏はそれでようやく一幡の意図を知った。
「いや、大丈夫だ。えっと…礼を申す。」
幸氏は一幡から残り半分の餅を受け取り、それを食べた。幸氏は義高の家臣として今までももちろんこれからも振る舞っていたのでまさか自分もお礼が受け取れるとは思わなかった。それとともにまさか自分よりも年下の少女からそのような心配りをされるとも思わなかった。
「私のことさっきから幼子というけど、あなただって十分子供です」
口の中のものがなくなり解放されたので一幡が義高に言った。
「お前、年は?」
「…まだ五つです…」
「私は十だ。私の方がどうみても大人だ。」
「たしかにあなたの方が上ですが、私は婚儀を控えている身です。だから私は大人です」
一幡が言い返した。
「それなら私も同じだぞ。私だってもうすぐ妻ができる。」
義高が得意そうに言った。一幡は特に言い返せる話の材料がなかったのでぐぬぬという感じで悔しそうに義高を見つめた。そのときだった。
「ちょっと!そこのお嬢ちゃん!」
突然見知らぬ中年の男が義高、一幡、幸氏の三人に近づいてきた。お嬢ちゃんというからには一幡に話しかけたのだろう。案の定そうだった。
「あんた、いい着物を着ているな。しかも顔も上玉だ。」
男は一幡をじろじろ見てきた。義高も幸氏もそんな男に警戒心を抱きさっと一幡の前に出た。
「おっと、別に怪しいもんじゃねぇ。」
前に出てきた二人の意図に気づき両手の手のひらを前に出して弁解した。
「これからあっちの広場で戦大会があるんだ。おれはその大会の責任者でよぉ。」
男が向こうを指さして言った。
「戦大会?」
三人が声を合わせて言った。
「そうそう!源氏と平家が戦っているのを真似してな!そこでとらわれの姫役がいたんだが、そいつが病になっちまってよぉ。」
本当に困っているのか男は頭をかいた。
「つまりこの娘に代役頼みたいと?」
男の意図を読み取った幸氏が男を見て聞いた。
「あぁ!その通りだ!だから頼む、嬢ちゃん。代役をしてくれ!駄賃もやるから!」
男は必死に両手を胸の所に合わせて頭を垂れた。
「そんなこと突然言われても」
義高が断ろうとしたときだった。
「わかった。引き受けよう。」
一幡が答えた。男は助かったと言って非常に喜んでいた。義高が思わぬ一幡の返答に驚き、ぱっと一幡の方を見た。
「おい!代役なんかできるのか?第一知らない大人とは関わらない方が…」
義高が一幡の耳元でこっそりとつぶやいた。
「でも困っているから。」
「は?」
「この人、困っているから助けないと。」
一幡は当たり前だといわんばかりの顔で言った。
「とらわれの姫って何をすればいいの?」
一幡が男に聞いた。
「あぁ、ただ座ってればいいのさ。あとちょっと走るくらいで。」
男はよっぽどうれしかったのか、にたりにたりと笑いながら言った。
「じゃあ、簡単だな」
一幡ははりきりながらそう言った。そんな一幡をみかねて義高は男に聞いた。
「その戦大会ってどんな大会なのだ?」
「あぁ、まず中央にとらわれの姫がいてその姫の手をとって一緒に終着したらそいつの優勝。賞品は米俵一俵だ。」
男はへらへらと話した。
「それなら私でもできるな。よし、私も参加しよう。」
義高が男に言った。
「若!」
幸氏がそんな義高を慌てて止めようとした。
「あぁ、大歓迎だ!」
男は一石二鳥といった感じでますます笑顔になった。
「幸氏、よし、お前もでるぞ。」
「え?…あぁ、まぁ、若が出るなら」
「ちょっと!なぜあなた達まで」
一幡が口を挟んだ。
「お前一人では心配だ。それに戦ごっこならば楽しそうではないか。」
義高は笑った。
そうして三人は会場である広場へ連れていかれた。広場には多くの見物客が周りを取り囲み中央には出場者とみられる十から十五歳くらいの少年達が木の棒を持って立っていた。一幡は広場のど真ん中にある茣蓙の上に座らされた。一方で義高と幸氏は他の少年達が持っているのと同じ木の棒を渡された。そのうちさっきの男が観客達がいる向こうの方で両手で手をたたきながら話し始めた。
「ほら、集まった集まった!姫役も見つかったことだし、戦大会を始めるぞ!」
観客達は盛り上がった。中には出場者の親らしき連中が我が子に声援を送っていた。
「内容は簡単さ。中央にいるお姫様の手をとってこの線を踏んだらそいつの優勝さ。」
男は自分の足下にある、板を地面に打ち付けて作った線を足で踏んで見せた。
「ここにいる若武者達の目的は一つ。姫君を救うこと。もちろん戦わずにさっさと姫君の手をとっていくのもありだが、なにせこんな開けた戦場だから邪魔なんかいくらでもできる。つまり戦わずして勝利なしということさ。」
男は戦に例えながら巧みに解説をした。
「戦う方法としては木の棒を使う。これが胸に当たったらそいつの負け。もちろん戦いの最中に武器を落としたり尻もちをついても脱落だ。それ以外のこともちゃんと見ているから不正は許されないぞ」
たしかに周りは見物客に囲まれていたし、男以外にもこの大会の運営者と思われる男達が何人かいた。
「それじゃあ、始め!」
男は手をたたき、太鼓の音も鳴った。義高と幸氏は本物の武家、しかも源氏の武士ということもあって他の人よりも明らかに剣の腕がよかった。そのため開始からわずかで義高と幸氏、それとあと数人となった。
「あの小僧二人、けっこう強いな」
「しかも二人ともなかなかの美男子ね」
見物客は義高と幸氏について噂した。一方でとらわれの姫役の一幡はずっと二人を見ていた。
(すごい。剣の扱いに慣れている。やはりこの二人、どこかの武家の人間なのだな)
そして幸氏と義高とあと一人になった。残った少年は荒技に出た。少年は砂を手に持って二人に投げつけた。これには観客から「卑怯だ」との声もあったが規定では必ずしも武器は手持ちの棒だけとはなっていない。義高と幸氏は目を思わずつむる。少年はその隙に一幡の腕を強引につかんだ。そして一幡の手を引いて終着点にいこうとした。すると脇から幸氏が来て一幡の腕をぐいっと引っ張り少年から引き離す。少年が幸氏の方を向いた隙に正面から義高が来て木の棒が少年の胸に当たった。少年を倒した後、依然一幡の腕をつかんでいた幸氏の方に義高は棒を突きつける。
「なぜそのまま終着点にいかない?」
「え?」
幸氏は目を丸くした。
「だって若を差し置いて私などが優勝など」
「気にくわない」
間隙をいれずに義高が言った。
「ここは戦場で我らは敵同士。遠慮などいらぬ。」
義高が声を大きくして言った。
「でも」
「幸氏!遠慮などするな。剣の腕はそなたの方が上だと私は知っている。私は強くて賢いお前が好きなのだ。」
義高の目はぎらぎら燃えていた。それに幸氏も圧倒されたのか
「はいっ…若!」
幸氏は一幡の手をとって終着点へいこうとした。しかしもう片方の一幡の腕を義高がぐいっと引き寄せる。これでは決着がつかないと思った二人は一幡を離してお互いに向かい合い、棒を交差させた。義高が見事な棒さばきを見せてもそれは幸氏には届かない。また、幸氏の方が若干腕があるのか幸氏の棒さばきに義高は圧倒されそうになった。しかし義高は体勢をすぐに立て直した。そのときに幸氏はちらっと一幡の方を見た。すると義高はそれを見逃さずに幸氏の胸に棒が当たった。観客の歓声が頂点に達した。幸氏はそのまま柔らかい笑顔で棒を地面に置いた。義高はそばで二人の戦いを見ていた一幡に手を差し出す。一幡は二人の白熱した戦いぶりに思わず見とれていた。
「ほら、いくぞ。」
「え…はい。」
一幡もぎゅっと義高の手を握る。二人はそのまま終着点に向かって走って行き、線を踏んだ。
「決まった!優勝はこいつで決まりだ!」
男が大声で叫んだ。
「早速優勝賞品を…」
男は同業者の男に米俵を持って来させようとした。
「いや、米俵はいらない。」
義高は言った。
「むしろ大事なお米だ。それはお前達で分けてくれ。」
「え…」
男は変なのといった顔付きをしたがすぐに気を取り直して
「まぁ、あんたがそう言うのなら。よし、戦大会は終わった!優勝はこの小僧だ!」
男は義高の腕をつかんで上へ振り上げた。すると再び歓声が頂点に達した。
「よ、喜ばしいことで…」
その後、一幡が義高にぼそっとつぶやいた。
「褒めてくれるのだな。幼子のくせに」
「ま、またそんなこと!」
「姫」
急に義高が真面目な顔をして一幡を見つめてきた。その真っ直ぐすぎる熱い瞳に一幡はどきっとした。
「え、なに…」
「まっ、優勝できて良かった。」
義高は笑いながら一幡の頭をなでた。
「もう、」
一幡は目を細めて義高を見た。すると周りでは多くの他の出場者が親のところに戻ったり用意された手ぬぐいで体を拭いたりしていた。そして幸氏はさっきから一人で立っていた。
「汗はかいていませんか」
一幡はどこからか借りてきた手ぬぐいを片手に幸氏のそばにかけよった。幸氏は一幡の方を見る。
「あぁ、じゃあもらおう。」
そう言って幸氏は一幡から手ぬぐいをもらい、額をぬぐった。
「あなたは優しいのですね」
一幡が幸氏に言った。
「さっきあの人と戦ったときあなたは途中で手を抜いていた。それにわざとこっちの方をよそ見していたし…」
「あぁ、いや、…そんなことはない。」
「でも、父上が言っていました。どんなときでも主人を思いやるのが臣下というものだって。だからあなたの行動は素晴らしいと思います。」
一幡は幸氏に微笑みかける。幸氏もその温かい笑顔を見て自然と笑みがこぼれた。
「お前は鎌倉の者なのか?」
幸氏が一幡に聞いた。
「えぇ、まぁ…」
「お前がきっとどこかの家の姫君だということはわかっている。もう帰った方がいい。女子一人が外にいるのは危険だから。」
幸氏が微笑むのをやめてそう言った。
「え?家に?」
一幡は正直家に帰りたくなかった。帰ったってまたいつもと同じ単調な毎日が繰り返されるだけだ。それよりもここでこの少年達と共にいた方が刺激的でよっぽど楽しい。
「あなたたちは、ここの人?」
一幡は話を切り替えた。
「いや。さっき若が言っていただろう?婚儀を挙げるって。だから私達は鎌倉に来たのだ。」
「そう。」
さみしそうな一幡の声が響く。
「私は、ずっと良い子を演じてきました。おしとやかで美しい姫の振りをずっとしてきたのです。父上も母上も喜ぶから。でもつまらない。私だって本当はとらわれの姫ではなくて二人みたいに自由に戦いたかった。」
一幡は下を向きながら話した。
「お前はとらわれの姫ではないと思う。」
幸氏が暗くなっている一幡の肩に手で触れた。
「私が思うにお前は」
幸氏がその続きを言おうとしたときだった。
「お前は勝ち気だ。」
義高が一幡と幸氏の話が聞こえていたのかそう言って向こうからやってきた。幸氏は一幡に触れていた手を離した。
「あと、生意気でとにかく無礼な女子だ。」
幸氏が続けた。
「無礼って、それはあなたの方でしょう?」
一幡がやっぱ嫌なやつという感じで言い返した。
「でも、物をはっきりと言う、堂々とした女子だ。とらわれの姫ではなく、お前にはちゃんとした意志がある。」
義高が言った。一幡はそれ褒めているの?といった顔をした。義高は一幡の頭をなでた。
「そうだ。お前、名はなんと申すのだ?」
義高が一幡に聞いた。
「え?…私は」
「姫様―」
向こうの方から梅の声が聞こえた。
「若!幸氏!」
重隆の声も聞こえてくる。
「やれやれ戻るとするか。」
義高が幸氏に言った。
「ではな。お姫様」
義高は一幡にそう言って幸氏に目で合図をとると義高と幸氏の二人はそのまま走り去っていった。
「大姫様!」
二人と入れ替わりで梅と何人かの家人がかけよってきた。
「探したのですよ!屋敷の中にはいなかったから町に出て聞き込みをしたらここであなた様に似た方を見たっていう人がいて」
梅は安心したのか一幡の両肩をつかんでそのまましゃがみこんだ。
「とにかく無事で良かった。」
よく見ると梅は涙を流している。それを見ているとなぜだか一幡の心から家が嫌だなどという気持ちが消えていった。一幡はそっと梅の背中をさすった。
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