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第七章 大姫と義高
「一体どういうつもりなの?」
屋敷へ戻ると案の定、母政子の説教が待っていた。
「あなたはもうすぐ婚儀を挙げる身ですよ。それだけではない、あなたは大切な娘。母がどれほど心配したか…」
政子は安心したような力が抜けたかのような顔をした。
「申し訳ありません。少し外の空気を吸いにいくつもりがつい長居してしまって…」
「罰として今から反省の文を母に対して書きなさい。母が納得するまで合格にはなりませんからね。」
「…わかりました。」
一幡は渋々承知し、部屋へと戻っていった。
「もうすぐ義高殿がいらっしゃる。」
一幡が出て行った後に政子が梅に対して言った。
「私はあの子の悲しむ顔を見たくはない。全く人がこんなにも案じているというのに外に出たりして。」
政子は脇息に肘をつき、ついた方の手で頭を抱えた。政子はそんな政子をじっと見ている梅に顎で一幡についていくよう促した。梅は慌てて一幡を追いかける。
「姫様ぁ、一体どうして抜け出したりしたのですかぁ?」
一幡に追いついた梅はそう聞いた。
「…母上があんなに怒ったのは私を愛しているからなのか?」
一幡が聞いた。梅は思いがけない質問に疑問符を浮かべた。
「それはそうですよ。政子様は誰よりもあなた様を案じていて」
梅は当然だという感じで言った。
「…ここの暮らしが退屈だと思っていたけど、家族もお前も私を愛してくれている。それだけで私は幸せだ。」
一幡が言った。梅は突然のこの発言に再び疑問符を浮かべた。一幡はその時ふと、今日会った少年達を思い出した。特に自分をとらわれの姫ではないと言ったあの少年。口が悪くて無礼だったが一体どこの武家の方なのだろうか。確か婚儀を挙げるとか言っていたな。そんなことを思いながら一幡は部屋へと戻っていった。
とうとう義高一行が頼朝の屋敷に入る日がきた。とはいっても侍女達が何かとばたばたしているだけで、特にこれといった婚儀のための仕度は何もなく一幡にはいつもと変わらない日だった。正直一幡には婿の木曽義高などどうでもよかった。まだ幼い故に婚儀の意味もよくわからない所があったし、せいぜい自分よりも目上の人間が行っていることを自分もする、とだけ思っていた。そしてそうこう過ごしているうちに一幡、政子、弟の万寿、梅や何人かのおつきの侍女や家臣も母屋に集められた。おそらく義高一行を迎えるためなのだろう。一幡は黙って政子の隣に座っていた。
「殿、義高様がいらっしゃいました。」
出迎えにいった家臣がやってきて一幡の所からでは見えない、部屋の前で座ってそう言った。そしてその後ろから義高達が入ってこようとしている。頼朝以外の人々は頭を下げる。義高は頼朝の正面に座り、幸氏と重隆はその後ろに座って三人とも礼をした。
「あぁ、面を上げよ。」
頼朝が言った。一幡は頭を上げ、義高の姿を確かめようとした。そして義高達も頭を上げた。その瞬間、一幡は飛び上がるような思いをした。
「あ、」
そんな一幡の声にみんながこっちを向いた。もちろん、義高と幸氏も。そして二人もまた一幡の顔をみて目を大きくしていた。
「大姫?どうかしたのか?」
政子が一幡に聞いてくる。一幡は開いた口も狭められない様子で
「いえ、なんでもありません。」
と言った。義高と幸氏はとりあえず頼朝の方を見た。
「お前が義高だな。はるばるよく鎌倉に来てくれた。」
頼朝が言った。
「はい。お初にお目にかかります。私が木曽義仲が嫡男、義高でございます。」
義高は大人びた調子でそう挨拶した。
「そうだ、たしか後ろにいるのは海野幸氏と望月重隆とかいったかな。」
頼朝が後ろの二人を見てそう言うと、幸氏と重隆は頭を下げた。
「はい。その通りでございます。」
義高が言った。
「二人ともとても良い家臣だということは噂に聞いておる。まことに義仲がうらやましい。」
「恐れ入ります。」
「あぁ、そうだ。お前が一番みたいのは我が娘大姫であろう。大姫、挨拶しなさい。」
頼朝が言った。一幡は呆然としていたが義高と目が合って思わずあたふたとしてしまった。
「お、お初におめにかかります。お、大姫と申します。」
一幡が義高をじっと見つめた。義高もまた驚きを隠せない様子で見つめ返してきた。
「これはこれはなんと初々しい。大姫も義高殿もとても緊張しているのね。」
そうした二人のぎこちない様子を恥ずかしがっていると受け取ったのか政子がそう言った。
「長旅で疲れたであろう。とにかく今はゆっくりして休まれよ。」
頼朝が義高達にそう言った。義高は、では後ほどと言ってその後幸氏達と部屋を出ていった。
一幡はそのとき初めて木曽義高について考えた。
(あのお方が義高様?私の旦那様?あんなに無礼な人が?あの人が夫だなんて…しかも5つも年上の相手…上手くいくとは思えない…)
一幡は青ざめた。
その夜、一幡と義高の婚儀が執り行われた。といっても義高達と一幡達家族が一緒に食事をしただけであった。このとき一幡は義高のことが気になって気になってしょうがなかったが、相手は特に何も反応を示さなかった。一幡は大人達の言うことに従っていつもより綺麗な着物を着て儀式用の酒を一杯飲んだ。でも正直幼い一幡には退屈なことが多く、隣にいた義高への意識もだんだん薄れて眠くなっていた。そうこうしている内に婚儀も終わり、義高と二人だけの時間となった。侍女達が下がると一幡の眠気はなくなり、代わりに緊張が頂点に達した。
一幡は義高と目が合わないようにじっと下を見ていた。
「なんだ、今日は大人しいな」
義高の方から声をかけてきた。一幡はびくっとした。
「おかしいな。昨日の様子からして静かな女子には見えなかったが」
その言葉に一幡は反応し、がばっと頭をあげた。
「お…覚えていたのですね」
一幡が青ざめながら言った。
「まぁ、最初は人違いだとは思ったのだ。大姫様はまだ幼いけれど愛らしくおしとやかで賢い女子だと聞いたから。それがまさか昨日の生意気な女と同じ人物だとはとても」
義高が笑った。そのおかげで一幡の緊張が解けた。
「あなた!昨日からもう本当に腹立つ!」
一幡が義高の方に行って彼の頭を両の拳でぽかぽかとたたいた。義高はそのような一幡の手を握って自分の胸の所に持ってきた。
「まぁ、いいではないか。私とお前は夫婦になったわけだし。年上の女の方が好みだが子守りも嫌いではない。」
義高が笑みを浮かべて言った。
「なっ…子守りだなどと、なんと無礼な。」
一幡は握られていた手を振り放した。
「私達はまだ幼いから夫婦らしいことができない。だから私はお前が大人になるまではせいぜいお前の世話しかできぬのだ。」
「世話をするだなんて…犬猫ではないのだから」
「いや、犬猫の方が幼子よりまだ扱いやすいな」
義高がふっと鼻で笑った。
一幡がぷんすかと腹を立てながら席につき、その後義高の方など見ずに黙っていた。二人は、というよりも一幡が険悪な雰囲気になっている中で侍女が来て2人はそれぞれ自分の部屋に戻った。
幸氏は縁側で弓張月となった月を見ていた。
「お前はここで何をしているの?」
背後から声がしたので幸氏は驚いて後ろを見た。するとそこには一幡がいた。
「大姫様。なぜここに」
「今、食事が終わって暇だからうろうろしていた」
一幡が幸氏のそばに座った。
「姫様は今お一人ですか?それならば早く戻った方が」
「いやだ。」
一幡がそっぽを向いた。二人の間に少々沈黙が訪れた。
「お前はたしか海野幸氏とかいったな?」
一幡が切り出した。
「はい。」
「お前はあの人と随分親しいみたいだけど、あの人はいつもあんなにひどい方なのか?」
「ひどい方ではありません。少し口が悪いだけで。それにあなた様と一緒にいるとき若は楽しそうにしていると思います。」
「それはない。私の方が幼いからって子供扱いしてくる。」
一幡は慌てて否定した。
「それは気に入っているからですよ。嫌いな相手ならまず声はかけません。」
幸氏は不満そうな顔をする一幡に優しい笑みを返した。
「…きっと無理だ」
「何がです?」
「私、あの人に散々憎まれ口を聞いてしまった。もうあの人と仲良くできる自信がない。大体、あの人は口も悪くて年も離れているし…」
一幡は落ち込んだ様子で目を下に向けてうた。
幸氏はそんな一幡を心配そうに見つめた。
「和歌を送ってみたらどうですか?」
幸氏が提案してきた。
「え?」
「姫様は若と親しくしたいのでしょう?そういった内容の和歌を送るのです。」
「え?和歌?」
「宮中で和歌は出来て当然のものです。あっちでは求婚するときにも和歌を用います。それに素晴らしい歌を詠んだ者ほど人に好かれます。」
「そんな、素晴らしい歌だなんて…和歌など作ったこともないのに」
「お気持ちさえこもっていればいいのです。それに私がお二人の仲立ちをします。私がいるからには絶対にお二人に仲違いさせません。」
幸氏が言った。
「わかった。とにかく和歌、作ってみる」
一幡が言った。幸氏はそんな一幡を目を細めて見ていた。
「?どうかした?」
その視線に一幡は気づいた。
「いえ、あなたのような方が若のお相手で本当に良かったと思って」
「え」
「さっきも言ったように若はあなた様といるときとても楽しそうだから…」
幸氏は昨日会った少女を見て義高のためにも許嫁である大姫がこの少女のように義高の心を和ませてくれる人だといいなと思っていた。それがなんと昨日の少女と大姫が同一人物だったのだから幸氏はそれがとてもうれしかった。
「…私で良かったと思うのは、私をすばらしい女子だと思っているからか?」
一幡が幸氏をじっと見つめた。幸氏は一幡の自分をまっすぐ見る目と唐突な質問に思わず目をそむけた。
「はい。義高様はお立場がお立場です。やはりその正室は義高様ご自身がお気に召す方でないと」
「こんな所にいたのか」
幸氏と一幡が会話をしていると義高が廊下の向こうからきた。
「侍女達が心配していた。早く部屋に戻れ」
義高が一幡の腕を取り、そう言った。
「ちょっとあなたには関係ないでしょ」
一幡はむすっとした様子で顔を背けた。
「幸氏だって迷惑に思っている。」
義高は言った。
「でも、あなたより幸氏の方が優しいです。」
一幡はそう言い返した。
「幸氏は誰にでも優しいのだ。ほら」
義高が一幡の腕を引き、一幡を立たせようとする。すると幸氏が立ち上がった。
「若、申し訳ありません。あろうことか若の奥方様を引き留めてしまうなんて。では、私はこれで。」
幸氏は礼をして向こうへ去っていった。一幡はしばらく幸氏の後ろ姿を眺めていた。
「ほら、いくぞ」
義高が一幡の手を引いて歩いていく。しばらく二人の間には沈黙が流れた。
「ひ、一人でも歩けます。」
「…手を離したらお前のような幼子はどこかにいってしまうだろ」
義高の手は少し冷たかった。しかし、その冷たい手の奥には温かさがどことなくあり、それがじんわりと感じられた。細くて長い指に一幡と同じ特に苦労が感じられないきれいですべすべな義高の手。一幡にはそれがどことなく居心地良く感じた。
(そうだこの人へ送る歌…この人と会ったのは満開の桜の下。牡丹色の花びら。それにあのときもあの人はこの冷たい手で私を包んでくれた…)
自分よりも何寸も背が高い義高の背中を見てそのようなことを考えた。
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