第九章 不幸の始まり

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第九章 不幸の始まり

 季節は夏となっていた。木曽義仲軍は連勝を重ね、ついに平家の主力がいる都に迫っていた。このとき、後白河法皇は安徳天皇と共に法住寺殿にて平家の監視の下で暮らしていた。平家からは多くの兵が戦にかりだされていたので都には十分な兵はおらず、義仲軍と戦える兵力はなかった。そこで平家はいったん自分達の拠点である西国へと逃れることに決めた。もちろん権威の象徴となりうる後白河法皇と安徳天皇を連れて。しかし、ことは思い通りにはいかなかった。法皇が隙をみて法住寺殿を脱出してしまったのである。そこで平家の総大将、平宗盛は法皇に見限られ勝ち目がなくなったことを実感し、せめて平家のものはとられまいと自らの拠点である六波羅に火を放った。そして平家は安徳天皇、その母建礼門院を連れ神器を持って都落ちした。木曽義仲と源行家が入京したのは七月のことだった。このとき朝廷には平家に味方するものはなく、安徳天皇と神器を取り戻すことは平家を討たない限り不可能だと公卿達は判断した。そこで義仲に平家追討宣旨が下った。そして朝廷は平家追討の恩賞として一に頼朝、二に義仲、三に行家と判断し、それぞれの順位に応じた恩賞を与えた。そして後日法皇と義仲が対面した。 「お前が義仲か?」 「は…い。」 御簾越しとはいえこの国で一番高貴な人間と接しているので義仲はとても緊張した。 「このたびは見事な活躍だった。朕も平家には長らく苦しめられてきたからとてもせいせいした。」 「はっ。絶対に平家を討ってみせます。そして帝も神器も必ず取り戻してみせます。」 義仲は言った。 「あぁ、そうだ。お前に頼みたいことがある。」 「はい、なんなりとお申し付けください。」 「飢饉と平家の横暴のせいで都はすっかり荒れ果ててしまった。この頃は治安もかなり悪くてのぉ。でも残された我らにそれを処理する力はないし、そこでお前に都の治安維持を命じたい。」 「わ、私めにですか?」 「あぁ。どうせ源氏の兵は他にもたくさんおるのだろう?そなたがここにとどまってもなんの問題もないであろう。それに源平の戦など朕達には関係ないし。とにかく都を元の楽しい所に戻してくれ。」 「はい。そのお役目、必ずや成し遂げます。」 義仲はそう言って二人の対面は終わった。 「都のさびれ具合は尋常でないな。あらゆるものは荒廃し泣き声が聞こえてくるし、民の顔に光がない。田舎とはいえ我らがいた信濃の方がまだ活気があった。」 義仲は屋敷に戻ると共に入京してきた樋口兼光達に言った。 「長引く飢饉や戦のせいでしょう。都で豊かなのは一部の貴族だけ。乱世が始まると一番苦しむのは民なのです。」 兼光が言った。 「それよりも殿、宮中ではくれぐれも気を抜いてはいけませんよ。宮中は足の引っ張り合いそのもの。特に貴族達はかなり日和見になっています。すぐに信用はなさらないように。」 「あぁ。でも我らに味方が必要なのも確かだ。ただでさえ貴族達は武士を嫌っているのだから。たしか…松殿親子、彼らなら味方になってくれるかもしれない。彼らは平家を恨んでいるはずだから。あとは比叡山の俊堯。先日わざわざ挨拶に来てくれたが、彼も源氏の遠い縁者である訳だし、味方になってくれるだろう。」 「私としては俊堯も正直信用しかねます。」 「あぁ。だが宮中で生き抜くためにも今は後ろ盾が必要だ。なに少しばかり力を貸してもらうだけだ。心配はいらぬ。」 「…だといいのですが。」 兼光は義仲が心配でならなかった。まるで義仲がすでに悪いことに巻き込まれているような気がなんとなくしていたのだった。  一方で義仲と入京してきた源行家は義仲の方が恩賞が上にあることに不満を感じていた。 「なぜあの義仲よりも私が下なのだ?私も共に戦ったのに。」 行家は弟にあたる志田義広に愚痴をこぼした。 「でも兄上、我が軍の総大将は義仲殿だったのだから。」 「ふん。もっといえば鎌倉に引きこもっている頼朝よりも我らの方が多く褒美をもらうべきなのだ。」 そう言って行家は立ち上がった。 「おや、もしやまた法皇のご機嫌をとりに?」 義広は聞いた。 「あぁ。法皇を味方につければ私も出世できるからな。」 行家はにやりと笑って法皇のいる法住寺殿へと向かった。行家は元々の腹黒い性格と多弁さで法皇や公卿達に近づき、法皇とはよく双 六をしていた。この話はすぐに義仲の耳にも入ってきた。そのとき義仲軍は治安の悪すぎる京の警備に頭を悩ませていたため行家のその行為は義仲軍の怒りを買った。 「全く我らが大変なときにあの者は何をしているのだ。」 「殿を差し置いて自分だけ法皇に取り入ろうとするなどなんと厚かましい。」 もちろん、義仲の近臣達も怒りをあらわにした。 「だからあんなやつ、早く追い出すべきだったのです。」 今井兼平達は口をそろえていった。 「それに叔父上は此度の恩賞についても文句を言っていると聞いた。さすがにそれは自分勝手すぎるな。もう私もかばいきれない。」 義仲は行家の言動や行為に呆れ、このときから義仲は行家を遠ざけるようになり、二人の仲は冷え切ったものとなった。 「私を無視するなど義仲は礼儀知らずにもほどがある。やはり、頼朝の方が良かったのだろうか。あぁ、あいつがいい。なにせ源氏で一番偉いやつなのだから。」 そこで行家は頼朝に取り入ろうと彼に頻繁に文を送るようになった。 「ふん、また行家からだ。今までのことを謝りたいだの、何か手助けしたいだの。どうせ義仲と上手くいかなくなったから私に泣きついてきたのだろう。」 頼朝が文を片手で握りつぶした。 「全く、恥知らずにもほどがありますね。とにかく相手にはなさらない方が」 そばにいた北条時政がそう言いかけた途中で 「いや」 と頼朝が言った。 「例え粗末な小石でもうまく利用すれば鋭い凶器になれる。まぁ、あくまで道具となりうるだけだが」 そう言って頼朝がつぶした文を矢に巻き付けた。そして弓を持ち、目の前の的に向かって矢を放つとそれは見事ど真ん中に命中した。  義仲達源氏が入京してしばらくたった頃、皇位継承問題が浮上した。まずは神器が安徳天皇と共に奪われてしまった今、神器なき新帝の即位か安徳天皇を取り戻すかのどちらにすれば良いのかということが議論になった。 「神器がないまま帝が即位なさるなど、なんと縁起の悪いことか」 「しかし、帝のいない都など聞いたことがない!だから京はこんなにも荒れているのだ!」 公卿達の意見はばらばらだった。そこで九条兼実が口を開いた。 「そのことですが、私は天子の位は一日たりとも欠いてはいけないと考えております。やはり王なくして国は成り立ちません。それに神器なき即位は以前にもありました。」 兼実の理路整然とした発言に周囲は静かになった。 「兼実殿の言う通りですな。東晋の皇帝にだって神器のないまま即位した例もあるのだから。」 真っ先に兼実に賛同したのは土御門通親だった。これに周囲もうなずくようになった。 「なるほど。兼実達の申す通りじゃ。では、直ちに次の帝を決めるとしよう。」 さっきからずっと黙っていた後白河法皇が口を開いた。そして候補としてあげられたのは安徳天皇の異腹の弟にあたる三之宮惟明(これあき)親王と四之宮尊成(たかなり)親王であった。 「三之宮様の方が年長であるが、宮様の母上はただの女官だと聞く。それなら公卿の娘が母である四之宮様の方がいい。」 「しかし以仁王が戦を起こしたのはそもそも帝位につけなかったからだと聞く。帝位は年の順で継がせた方がよかったのだ!そうすれば今回のような物騒なことは起きなかった。」 意見はなかなかまとまらず、困った法皇は寵姫となっていた丹後局の所へ行った。 「あら、法皇様。」 丹後局の膝には幼い尊成親王がいた。丹後局は親王をあやしていた。そして丹後局の傍らには法皇と彼女との間に生まれた皇女がちょこんと座っていた。 「法皇様、四之宮は本当にかわいいですねぇ。この子と同じでまるで我が子みたい。」 丹後局は娘の皇女の頭をなで四之宮の頬に触れた。 「なぁ、丹後局よ。」 「はい、なんですか?」 「お前はたしか占いが得意だったな。今から占って欲しいのだ。」 法皇は座っていた丹後局に目線を合わせるようにして座った。 「占い?一体何を占うのです?」 「次の帝についてだ。ここにいる四之宮と三之宮、どちらがいいか。」 その発言に丹後局は驚いた。 「帝ですか?しかし今上帝は京にいないとはいえご健在だし神器だってないのに」 「あぁ、だが帝のいない都などあってはならないということになった。さぁ、さっさと占ってくれ。」 法皇は立ち上がって丹後局を急かした。 「占いなど必要ありませんよ。」 丹後局がどこか冷え切った声で言った。 「法皇様」 そういって丹後局は法皇の手を握った。 「それならご自身が一番扱いやすい方を帝になされば良いのです。そうすればあなたの力が衰えることはない。」 丹後局が法皇の手を自身の頬に持っていきすりよせた。 「そう、例えばあなたの手元で育った四之宮とか…」 こうして次の帝は四之宮に決まった。この四之宮こそ後鳥羽天皇であった。一方で兼実は優柔不断な法皇の態度に不満を抱いた。 (此度の皇位継承問題、なんでも法皇様は占いに頼ったと噂に聞く。全くあきれたものだ。そういえば四之宮への譲位には丹後局の進言があったと聞く。丹後局…なんとなく嫌な感じのする女だ…。) 兼実は頭の中に子がいるとは思えないくらい若々しくて美しい、それでいてどこか棘のある丹後局の姿を思い浮かべた。        そして事はまもなく起こった。義仲に接近していた比叡山の僧侶、俊堯が法皇達にとんでもない発言をしたのだった。 「えぇ、ですから北陸宮様を帝とすべきです。平家さえいなければお父上の以仁王が帝位についていたはず。それに義仲殿が錦の御旗に奉じた北陸宮様を帝にすれば源氏の支援も受けられるでしょう。」 俊堯は得意そうに言った。こう進言すれば義仲に気に入ってもらえる、そう思ったのだ。 「先帝の皇子がご健在だというのに…」 「大体我々が四之宮様にと決めたのだ。なぜ武士ごときに口出しされねばならぬ。」 公卿達は怒り、これは俊堯と親しかった義仲の意見だと思い、その怒りは義仲に向いた。それから数日たった時、義仲は貴族達が自分に対して冷淡になったのを感じた。義仲が挨拶をすると無視をして通り過ぎたり義仲を見て何かひそひそ話をしたりした。そして義仲はようやくその原因を知ることになる。 「北陸宮様への譲位を訴えたとは一体どういうことだ」 義仲は俊堯を呼び寄せて怒鳴った。 「それは、我々が錦の御旗にと奉じているのは宮様ですし、宮様が帝位についた方があなた様のためになるかと。」 俊堯は義仲の怒りを感じ取り冷や汗をかきながら言った。 「なんてことを…私がいつそのようなことを頼んだのだ!」 義仲は頭を抱え、怒る気力も失っていた。 「…この者を連れていけ」 義仲はそうぼそっとつぶやき、家来達は俊堯の腕をつかんで立たせ、俊堯はそのまま部屋を出された。 「だから言ったのです。あの者は信用すべきでないと。」 兼光が部屋を追い出された俊堯を見て言った。 「あぁ。だがまさかここまで愚かだったとは…ただでさえ貴族達は我ら武士を快く思ってはいないのに…きっと今回のせいでますます我らに不信感を抱くようになるだろう…」 義仲は大きなため息をついた。そして頭で必死に考えた。 (今すぐにでもあの俊堯とは縁を切りたいが、我らにはあの者と松殿以外これといって強い味方はいない。こうなったらさっさと京の治安回復という役目を無事に終えなければ…なに、それまでの辛抱だ。せめてこの手柄を立てればきっと法皇や公卿の信頼も取り戻せるし、それに加えて平家追討の役目も果たせば朝廷はもちろん、頼朝にだって許される。義高、絶対に助け出してみせるからな。) 義仲は心の中でそう強く思った。  その後、義仲達はいつものように京の警備の仕事に回った。 「殿…こちらの方の仕事もなかなか上手くいかぬものですな…」 兼光が口を開いた。 「あぁ。」 義仲は暗めにそう答えて民の住む所へ見回りに来た。 「きゃあっ…」 向こうの方から女の悲鳴が聞こえた。見てみるとある一人の武士が女性の家から一かご分の野菜を持って帰ろうとしていた。 「うちの食料はそれだけなんです!どうか返してください!」 女性は引き留めようと武士の腕を引っ張った。すると武士は女性を振り払い、女性はしりもちをついた。 「黙れ!この飢饉で俺らも食いもんに困ってんだよ!それに俺たちは戦をしねぇといけねぇんだから」 武士は女性をにらみつけた。 「そんな…じゃあ、せめて子供達の分だけでも置いていってください!」 女性は泣きながら言った。 「この女!なんてずうずうしい!」 武士は女性を殴ろうと手を上げた。 「そこまでだ!」 義仲が大声で言った。 「と、殿!」 武士は義仲の姿に驚き、手を引っ込めてお辞儀をした。 「あきれたものだ。大の男が民に、いや女に手を上げるなど。少しは恥を知った方がいい。それを返してやれ」 義仲は武士の手にあった野菜入りのかごを指さした。武士は慌ててかごを地面に置いた。 「この者に罰を。さっさと連れていけ。」 義仲は冷たく言い放ち、家来達は武士の腕を引き、向こうへと連れていった。 「私の仲間が無礼をしてすまなかった。怪我はなかったか?」 義仲がしゃがみ込んで女性の着物についた砂を手で払った。 「よかった…」 女性が義仲をみて笑って言った。 「え?」 「武士にもあなたのような優しい方がいたのですね。ここ最近、お侍様は私達の物を奪ったり子供や女性を連れ去ったりして、もう本当にひどくて…」 女性は泣き出した。義仲は女性の背中をさすった。 「あぁ、そこは必ず善処する。すぐにお前の暮らしも元通りにするからな。」 義仲はそう言って女性を立たせ、家の中に帰した。 「思った以上に武士の横領はひどいものだ。飢饉で民の暮らしも貧しいままだし、役目を引き受けてまもなく二月たつが、治安はなかなか解決しないな。」 義仲は大きなため息をついた。するとまた向こうから悲鳴が聞こえる。またもや武士が民から物を取り上げていたのだった。武士達は見慣れない顔だったのでおそらく他の源氏一族の者だろうと義仲は思った。 「こら、やめぬか!」 義仲が武士達に言い放った。武士達の動きが止まり、こっちを見た。 「なんだ、伊予守(義仲のこと)様じゃねぇか。」 「まぁ、でも俺らあいつの配下じゃねぇし。無視しようぜ。」 武士達が大声で笑った。武士達はそのまま奪った物を持って帰ろうとしたので義仲の後ろにいた巴は武士達の所へ風のような速さで走り剣を突きつけた。 「たとえ殿の配下でなくとも物盗りは人の道理に反している。」 巴はそう武士達に言った。 「なんだ、この女。女子のくせに生意気だな。」 剣を突きつけられた武士は巴を無視して通り過ぎようとした。 「やめろよ。こいつ、あの巴御前だぜ。剣がとても強くて有名だ。お前、本当に斬られるぞ?」 隣にいた武士が小声で言った。 「ちっ」 そう言われた武士は舌打ちして手に持っていた物全てを盗んできた家の中に投げ入れた。そして彼らはそのまま去っていった。 「どうしようもない奴らだ。」 兼光はぼそっとつぶやいた。事実、京の治安回復という役目は上手くいってなかった。それもそのはず、1181年に発生した養和の飢饉というものは二年あまりがたった今でも長引き、餓死者が続出し盗みなどで京は荒れ、とても義仲達だけでは解決できないものだった。それに加えて京にいる源氏の兵は多くの源氏一族の混成軍であったのでまとめるのが困難であった。そのような状況から一部の公卿は頼朝なら上手くできるのではないかと頼朝の上洛を求める声も上がった。 「法皇様、文が届いております。」 法住寺殿で法皇は文を受け取った。 「文?一体だれからじゃ?」 「鎌倉殿からです。」 「なんだと?」 そう言って法皇は文を広げた。 「法皇様、京では私の上洛を求める声が高まっているとかで先日はある公卿の方からそういった内容の文をいただきました。頼りにされて私はとても光栄ですが、恐れながら上洛するつもりはありません。私は源氏の嫡男として鎌倉の家を守る義務がありますし、戦に関しては九郎(源義経のこと)や伊予守達に任せることにしています。それに私がいなくてもきっと彼らが素晴らしい姿を見せてくれるでしょう。どうか法皇様も私と共にそれを楽しみにしていただけたら幸いです。そしてもしあなた様が良ければ次に私が作る世の中も楽しんでほしいものです。」 文にはそう書いてあった。それを読んだ法皇は 「ふふふ…あはははは」 と突然大きな声で笑い始め、文を届けた使者はその突然の笑い声に驚き、恐れおののいた。 「素直なやつだ、こんな文を堂々と寄越すとは野心が見え見え過ぎておかしくなってしまう、あはははは!そうだ、その通りだ…単調な世の中など何も面白くはない。この世にも必要なのだ!物語のような一波乱が!そして舞台を面白くする役者も。」 法皇はそう言って文を部屋にいた飼い猫にぽいっと投げつけると猫は慌てて逃げた。 「源頼朝…お前はいい役者になるぞ。」 法皇は不気味な笑みを浮かべた。
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