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そう繰り返された言葉に、杏奈はドアノブに手をかけたまま立ち止まり振り返った。頬の筋肉が固まった下手くそな笑みを浮かべて、彼女は作り込まれた優しい声を紡ぐ。
「どうしたん? 谷川ちゃん?」
胸に手を当てて、奏は荒い呼吸を繰り返していた。肺に入った空気が口から出ていくたびに、彼女の柔らかい髪が揺れる。長い睫毛に縁取られた双眸は僅かに潤んでいて、ただ真っ直ぐに扉の前の杏奈だけを見つめていた。
「私は先輩に辞めてほしくないです」
「……そう言ってくれるのは嬉しいけど、もう決めたことやから。みんなにも報告してもうたし……織辺先輩にも怒られちゃったし……」
「それは先輩が辞めることと関係ないことですよね」
「そうかな? 私が決めてみんなに報告をした。もう十分に辞める理由になってると思うけど」
「違います。それは、決心が揺るがないように外堀を埋めているだけです」
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