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第三話 怪しい二人組
十月初旬の日本。
都内の私立校に通う高校二年生、京ケンは、二学期の中間テストを受けていた。
科目は日本史。理系の大学に進むつもりのケンにとっては、あまり受験に影響しない教科だ。一応、センター試験があるので無関係とは言えないが。
ケンの高校は、いわゆる進学校なので、受験に関係ない科目は重視されない。それでも中間や期末といった定期テストでは、一通りの科目を勉強しなければならないのだから、理不尽な話だ、とケンは日頃から感じている。
そんな日本史のテストが始まって、五分くらい経過した頃。
「うっ!」
ケンは、小さく呻き声を漏らしてしまった。突然、めまいに襲われたからだ。頭も少し揺れたので、周囲の者にも、異常が見て取れたらしい。
「キョウ、大丈夫か?」
隣の席の友人――名前は関口――が、声をかけてきた。ケンの名字『京』は『みやこ』と読むのだが、クラスの友人は皆、彼を『キョウ』と呼ぶ。
「ああ、たいしたことない。ただ……」
ケンは、一応言葉を返したが、
「そこ! 声を出さない! 試験中だぞ、まったく……」
試験監督から注意されてしまった。教卓で、だらりと情けない姿を見せていた教師だが、試験監督としての仕事は、きっちり果たすつもりなのだろう。しかも、ケンの異常にも気づいたらしい。
「キョウ、具合が悪いのか? だったら保健室へ行くか? まあ、その場合、この試験は受けられないが……。後日再試験だな」
「大丈夫です! ほんの少し、めまいがしただけです!」
ケンは、出来る限り元気な声で返事する。内心では「なんで教師にまで『キョウ』と呼ばれなきゃいけないんだ」と毒づきながら。
それでも「大丈夫です」という答えは、嘘ではなく、心からの言葉だった。ケン自身、これは体調不良などではないと、はっきり理解していた。
すでに何度も経験しているからわかる。この『めまい』は、異世界へ召喚される予兆なのだ。
異世界の人々に対して、ケンは自分の世界を『地球』と言い表している。厳密には『地球』は惑星の名前であり、世界全体の名前ではないはずだが、もっと広く『宇宙』という言葉を使って「僕は『宇宙』から来ました」と説明するのも変だとケンは思うからだ。
同じ意味で、その『異世界』にも、彼らの世界全体を正確に表現する単語はないらしい。ただ、東西南北の四つの大陸から成り立つことから『四大大陸』という通称があり、それが『地球』に対応する言葉のようだった。
その『四大大陸』は、ケンにとって、まさに『異世界』だった。剣と魔法の、ファンタジー世界だ。実際に魔法を唱える者こそ少ないが、全ての人々が魔力を持ち、科学技術ではなく魔法技術で作られた機器を扱っているからだ。
そんな異世界に召喚されたケンは最初、漫画やアニメで見たように、世界を救う冒険にでも連れ出されるのかと思ったが……。
召喚の目的は「復讐屋という裏稼業のメンバーにするため」というものだった。
強者に踏みにじられた、弱者の恨みを晴らす……。それが復讐屋の理念であり、彼らは自分たちのことを、その世界の古代言語からとって『ウルチシェンス・ドミヌス』というグループ名で呼んでいた。表記としては、ケンの世界のアルファベットに置き換えるならば『ulciscens dominus』となるらしい。
ああ、異世界召喚という点さえ除けば、時代劇で見たような設定だ。ケンは、そう思った。一瞬期待した冒険ファンタジーとは違うが、これはこれで悪くない、と感じたのだ。
昔からケンは、時代劇は大きく二種類に大別される、と考えてきた。一つは勧善懲悪、もう一つは、悪が悪を裁くパターンだ。
前者は、ごく普通の町人や旅人が実は偉い人で、悪代官や悪徳商人を懲らしめる、みたいな物語。後者は、ごく普通の人々が実は幕府から追われる忍者の集団だったり、勝手に悪人を始末する非合法組織だったりで、正体が露見したら困る状態で悪と戦う物語。
ケンは後者のタイプの時代劇が好きであり、だから、喜んで『復讐屋ウルチシェンス・ドミヌス』の一員になったのだが……。
しばらく前に、ウルチシェンス・ドミヌスは仲間の一人を失って、解散してしまった。その時、ケンは大きくショックを受けた。まだ彼は十代の少年であり、彼の世界『地球』において、親しい者の死に直面したことがなかったからだ。遠縁の親戚とか友人の親のような、面識の乏しい人間の葬儀に出席する程度の経験しかなかった彼にとって、仲間として活動していた者の死を間近で見るのは、想像も出来ないような衝撃だったのだ。
だが、喉元を過ぎれば熱さ忘れる、という言葉もある。時間と共に、彼の心も少しずつ癒されてきた。今では、少し寂寥感を覚えて「また異世界に顔を出したい気もするけど、もう二度と呼ばれることはないのだろうな」とも思っていたのだが……。
それなのに。
よりにもよって、久しぶりの召喚が、中間試験の途中とは!
ケンの予想通り。
めまいは、召喚の前兆だった。めまいを感じて二、三分後くらいで、グイッと体を引っ張られる感覚が来た。
これが『異世界召喚』だ。
次の瞬間。
彼の肉体は時間と空間を超えて、異世界へと運ばれて、白い煙に包まれる。
「ケホッ、ケホッ……」
煙を吸い込んでしまったケンは、咳き込んでしまう。久しぶりの召喚で、忘れていたのだ。こうなるから、召喚の瞬間は、息を止めておかないといけない、ということを。
煙が薄くなるにつれて、周りの景色が目に入る。見慣れない部屋の中だ。そして、見覚えのある女性がいた。
ケンを召喚した魔法使い、ゲルエイ・ドゥだ!
「やあ、ケン坊。久しぶりだねえ。元気だったかい?」
その声を聞いて、今の状況も忘れて、懐かしさと嬉しさを感じるケン。でも、若い少年である彼は、それを口に出すのは恥ずかしいと思ってしまう。照れ隠しの意味で、とりあえず口では、彼女に対して文句を言うことにした。
「冗談じゃない! 酷いですよ! 中間テストの真っ最中に召喚するなんて!」
――――――――――――
京ケンが、この世界に召喚されてきた頃。
「詳しい事情は知らないが……。無力なお嬢さんを追い回すのであれば、都市警備騎士である私が、相手になるぞ!」
非番の警吏であるピペタ・ピペトは、桃髪の少女を守る形で、怪しい二人組と対峙していた。
立派な騎士鎧を着たピペタが、剣を構えているのだ。街のチンピラだったら、それを見ただけで、逃げ出してしまうだろう。
だが、漆黒のローブを着た二人組は、怯む様子など全く見せなかった。逃げる代わりに、ローブの隙間から見えていた剣を引き抜いたのだ。
「そうか。それが貴様らの返答か……。ならば!」
神速の踏み込みで、ピペタは斬り込んでいく!
王都から左遷されるような情けない騎士ではあるが、ピペタは、剣術には自信があった。
そもそも、孤児院で暮らしていたピペタが、今のピペト家に引き取られて養子になったのも、その腕を見込まれたからだった。騎士の名門の家柄だったピペト家には跡継ぎがおらず、彼らは孤児院のスポンサーもしていた関係で、ピペタを見出したのだ。
おかげでピペタは、騎士学院にも通えるようになり、卒業後は、王都守護騎士団に入ることが出来た。『ピペタ・ピペト』という、二つ重ねたような姓名になってしまったのは嬉しくないことだったが、そんな小さな点に文句を言うのはバチが当たる、とピペタは思っていた。
王都からの左遷は当然、経歴の上で大きな汚点となった。それでもピペタは、ピペト家から勘当されたりはしていない。ピペタの養父母は、心の広い、よく出来た人物なのだ。ピペタは、二人に深く感謝していた。
ともかく。
それほどの使い手なので、ピペタは剣の構えを見るだけで、だいたい相手の力量もわかる。
最初に二人組からヒトの気配が感じられない、という時点で強敵認定してしまったが、少なくとも剣術レベルは素人同然だ。怪しげな点はあるものの、簡単に斬り伏せることが出来るだろう。ピペタは、そう思った。
ところが。
ピペタの斬り込みを、二人組は、サッと左右に広がることで、巧みに回避したのだ。
「何っ!」
思わず叫ぶと同時に、心の中でピペタは「しまった!」と後悔する。
これは剣術道場の稽古ではない。道場ならば剣術の『型』を意識して、まず剣で受けるのが普通だが、街中の実戦では、その必要もなかった。それくらい、ピペタも十分理解していたはずなのに……。
それこそ、王都で裏の仕事に従事していた時には、ヒリつくような緊張感の中で、命のやり取りをすることが何度もあった。道場剣術とは違う、実戦向けの剣術を、ピペタは数多く目にしてきたし、それを会得して彼自身も活用してきた。
そんな裏稼業から少し離れただけで、この有様とは……。
「私も、すっかり鈍ったものだな」
あらためて意識を研ぎ澄ます。
敵の二人組は、左右に広がった勢いのまま、両側からピペタの背後に回り込もうとしていた。人は誰しも、背中からの攻撃には対処しづらい。くるりと素早く振り返り、ピペタは再び、二人組と対峙しようとするが、
「何っ!」
先ほどと同じ言葉を発してしまった。
二人組は、ピペタを無視して、あくまでも桃髪の少女を狙う様子なのだ。
「そうはさせん!」
それこそ、今度は二人組の方が、ピペタに対して無防備な背中を見せていた。背中からバッサリやれば、一人は確実に倒せるが、その間に残った一人が少女を襲うだろう。
ここは敵を倒すことよりも、彼女を守ることを優先する場面だ。彼は低く剣を斬り払って、一撃で、二人の両脚に傷を与えた。
二人組が、すっ転ぶ。
「ひっ!」
少女が悲鳴を上げた。
でも大丈夫。確かに二人組は少女の目の前まで近づいたが、剣が届く距離に到達する前に、大地に倒れ伏したのだから。
「お嬢さん、今のうちに逃げなさい! 早く!」
それでも一応、ピペタは声をかける。
ピペタとしては、手応えがあった。両足を斬り落としたわけではないが、二人の両脚の腱を切ったのは間違いない。敵は二人とも、もう立ち上がれないはずだった。
ところが。
怪しい二人組は、平然と立ち上がった。人体の構造上、ありえない話だ。
「そうか……。お前たち、やはり人間ではないな!」
最初に考えた「人間ですらない」という可能性が、どうやら正解だったようだ。
立ち上がった二人組は、今度はピペタに向き直った。少女を襲うためには、まず障害となるピペタを排除するべき、と考えたのだろう。
それでも、立ち上がったばかりの二人は隙だらけだった。斬り込んできたピペタの一撃を避けることも防ぐことも出来ず、二人は、握った剣ごと右手を斬り飛ばされた。二人とも何が起きたのかわからない、という感じで一瞬唖然としているうちに、今度は心臓のある辺りを一突きされる。二人の怪人は、再び地面に倒れることとなった。
「怪我はありませんか、お嬢さん」
二人を倒したピペタは、少女のところに駆け寄る。先ほど彼が「逃げなさい」と声をかけたにも関わらず、彼女は、その場に立ちすくんだままだったのだ。
もしかしたら少女は、恐ろしさで足が動かなかったのだろうか。あるいは、二人組が完全に倒されるのを見届けるまでは安心できない、という考えで敢えて留まったのだろうか。
確かに、いくら逃げたところで、ピペタがやられてしまえば、また追われるわけだが……。時間稼ぎすら出来ないと判断されたのか、とピペタは心の中で自嘲した。
「はい、大丈夫です。おかげさまで」
そんなピペタの内心には気づかず、少女は頭を下げる。
「ありがとうございました。でも……」
礼を言いながら、少女は、ピペタの背後を指し示した。恐る恐るといった感じで、その手は少し震えている。
「……ん?」
何だろう、と思いながらピペタが振り返ると……。
「馬鹿な!」
口汚く、ピペタは叫んでしまった。確かに心臓を抉ったはずなのに、二人組が、また立ち上がろうとしているのだ。
ピペタは一瞬自分の目を疑ったが、すぐに、自分の軽率さを後悔する。
考えてみれば、脚の腱を切っても平気で立ち上がれる怪物なのだ。人体の構造の常識が通用しないのであれば、心臓を突いたくらいで安心して放置するべきではなかった。もっと確実に始末するためには……。
対処法を思索しながら、再び少女の前に立つピペタ。彼女を守って戦う、という構図だから、最初の段階に戻ったようなものだ。
二人組は、斬り落とされた右手こそ放置していたが、その右手が握っていた剣は左手で拾って、しっかりと片手で構えていた。左手一本になっても、まだ戦う意思は捨てていないのだろうか。
ピペタはそう思ったが、彼は間違っていたらしい。二人組は突然、ピペタに背を向けて、敗走し始めたのだ。
「待て!」
反射的に、ピペタは追いかけてしまう。少女を守る、という意味では、この場を離れるべきではないのだが……。
いや、これでいい。走りながら、ピペタは考え直した。彼は都市警備騎士団の一員だ。この街の平和を守る警吏だ。この桃髪の少女一人を守ればいい、というものでもない。あんな怪物が街の中を疾走するのを、放っておいていいはずがない。
「待て、と言っているのに!」
聞き入れてもらえるわけもないのに、ついピペタは、そんな言葉を発してしまった。
漆黒のローブを着た怪人は、足も速かった。追いつけないまでも、ピペタは、何とか見失わずに追いかけ続けた。
いつのまにか、住宅街に入ってしまったらしい。今のピペタに周りをよく見ている余裕などないが、それでも、店ではなく家屋が増えてきたことは感じ取っていた。ただし、まだ裏通りなのでガラの悪い雰囲気は漂っているし、平日の午前中のせいか、通りを歩く人影も見当たらない。
「まあ、通行人に危害が及ぶことはない、というだけでも幸いだが……」
いつもの癖で、ピペタは考えていることを口に出す。もちろん小声であり、前を疾走する怪人二人組に聞こえるはずもない。だが、まるで聞こえたかのようなタイミングで、二人組は二手に分かれる素振りを見せた。
一人は相変わらず真っ直ぐ走り続けたままなのに対し、もう一人は、近くの民家に飛び込もうとしたのだ。
「ちっ!」
少し困った。追いかけるピペタは、一人きりだ。ピペタが片方を追う間に、もう片方が元の場所に戻って、少女に再び襲いかかる可能性がある。それを考えるならば、追走を諦めて、ピペタも少女のところに戻るべきだが……。
それでは、怪人が飛び込む民家に被害が出るかもしれない。先ほども考えたように、ピペタは街の警吏だ。あの桃髪の少女だけを守り抜けば大丈夫、というわけでもない。当然、目の前の民家の住人も助けなければならない。
ならば。
まずは、その家の住人を助けて、それから急いで少女の元へ、とって返すべきだろう。
ピペタは、そう判断した。
問題の民家は、長屋形式の集合住宅のようだ。各住戸ごとに玄関が設置されており、たくさんの扉が見える。
ちょうど、そのうちの一つが、中から開いた。外の騒ぎが気になって、見に出ようとしたのだろうか。少なくとも、今この瞬間その部屋に住人がいることは確実になった。助けなければ!
怪人の方でも、ちょうど扉が開いたのを、好都合だと考えたらしい。他の扉には目もくれず、迷わず、その部屋に向かっていく。
「やめろ! これ以上、街を騒がすな!」
開いた扉に駆け込んだローブの怪人を追って、少しだけ遅れたものの、ピペタも問題の部屋に飛び込んだ。
「気をつけろ! 逃げろ!」
中の住人に対して、大声で注意を促すピペタ。
部屋に入った彼が目にしたのは、漆黒のローブの怪人と、それに襲われそうな二人の住人だった。
いや、厳密には『二人の住人』というのは正しくない。その二人はピペタの知る人物であり、「一人は街の人間であるが、もう一人は違う」とピペタは理解していたからだ。
怪人と対峙していたのは……。
女占い師のゲルエイ・ドゥと、地球の高校生である京ケン。
ピペタが復讐屋をやっていた頃の仲間だった。
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