夕暮れ、教室にて

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   彼女は机から飛び降りると、教室の入り口近くの掃除用具入れの方へと歩いていく。  いったん手に持っていた物を教室後ろの棚の上に置き、少し変形していて開きづらい用具入れを、両手で持ち手を掴み思いっきり引っ張るとずずっという鈍い音と共にそれは開いた。  本当に、彼女のとる行動は突拍子がないことが多く、大抵が意味不明だ。  開いた掃除用具入れに何か入っていたのか、小さく声を漏らして、彼女は何かを拾い上げた。  目を凝らしてそれをよく見てみると、子供たちの写真だった。  「わあ、写真だ」 「誰が写ってるんだ」 「全然知らないこどもたち」 「なんでこんな所に写真が?」 「さあ?」    彼女は手に持ったその写真をじっと見つめている。俺も彼女のそばまで歩いていくと、写真に写っていたのはどこかの広い教室で思い思いな表情を浮かべてこちらを見つめる6人の子供たちだった。笑顔な子もいれば、不安で居てもたっても居られない、といった表情の子まで様々である。  彼女が写真をくるっと裏返すと、裏には子供のような字で『みんな幸せになれますように』と書いてあった。  それを見た彼女は一瞬とても悲しそうな顔を見せたが、すぐに大きく息を吸って気を落ち着かせるようなそぶりをした。それでも微かに肩は震えており、必死に感情を抑えようとしているのが伝わってくる。  こんな時こそ泣いていいだろうに。不器用な子だと、そう思わずにはいられない。 「なあ」 「うん」 「みんなきっと幸せになれるよ」 「……うん。そうだよね」  そういって彼女は写真を額に当てて何かを祈り、しばらくしてその写真を丁寧にもとあった場所に戻した。掃除用具入れには他にボロボロの箒や汚れのこびりついたモップ、カビのびっしりと生えた雑巾や、穴の空いた古びたバケツなんかが入っていた。小さい頃はこの掃除用具入れを開けると箒が倒れてくる仕掛けを作ったり、中に隠れて人を脅かしたりしたものだ。  みんなと毎日のように教室で騒ぎまわった日々がふと頭の中を駆け巡り、思わず郷愁に駆られてしまう。  皆、今頃何をしているのだろうか。元気にしているといいが。 建付けの悪い掃除用具入れを閉めるのに苦戦している彼女に、声を掛ける。 「家に、帰りたいか」  彼女はこちらを一瞥した後、塗装の禿げた無骨なコンクリートの天井をじっと見つめながら、ぽつりと零した。 「そう、だね。帰りたいな」 「一緒に帰ろう」  彼女は一瞬驚いたようだったが、すぐに可愛らしい笑顔で俺の方へ振り返った。彼女はふふっと笑いながら、右手の人差し指で顔の右側に垂れ下がった前髪をぐるぐると弄んでいる。昔から、嬉しい時の癖は決まってこの動きだ。実に分かりやすい事この上ない。 「俺もおじさんとおばさんに挨拶しないといけないしな」  小さい頃はよく彼女の家に遊びに行った。彼女の父親と母親は、二人とも気さくで優しい人たちで、てんで不愛想だった俺の事をまるで我が子のように可愛がってくれた。彼女の家での晩御飯に何度も混ざらせてくれたし、学校の行事でも親のいない俺のために親代わりとして来てくれたりもした。  俺にとってはある意味で本当の親のように思っている大切な人たちだ。  そんなおじさんとおばさんとは、しばらく顔を合わせていない。 「うん。一緒に帰ろうね」 「約束な」 「うん。約束」  そういって彼女が右手の小指を突き出してきたので、こちらも手に持っていたものをいったん近くの机に置いて、左手の小指を差し出されたそれに絡ませた。絡まった小指から微かな温かさを感じる。それだけのことが、どんなことよりもただただ愛おしく感じてしまう。  小指をほどいて再びそっと彼女の髪をなぞる。彼女は目を閉じて気持ちよさそうにしている。ふと、彼女の肩に手を置き、彼女を胸へと抱き寄せる。  わっと小さな声を出したが、彼女の頭はちょうど俺の胸板の上に収まった。彼女はしばらく動かないでいたが、やがて右手で俺の胸にしがみついた。しがみつくその手は微かに震えていて、思わず抱く力を強めてしまう。  いつまでそうしていただろう。  時間を忘れて俺は彼女を抱き寄せていた。窓の外の朱色は次第に黒ずんできて、夜の訪れが近いことが感じ取れた。  いっそこのまま時が止まればいいのに。  陳腐だが、そう思わずには居られなかった。 「私ね、君が居なくなる夢を見たんだ」  彼女は胸の中からそう切り出してきた。表情を伺おうと思ったが、俺の目線からでは彼女の頭頂部しか見えなかった。胸の部分に、じんわりと温かい感じが広がっていく。 「なんて夢見てるんだ」  泣き虫な彼女を少しでも元気づけようと、彼女の頭を軽くはたく。彼女は「いてっ」と零したが、胸から顔を上げてはくれなかった。 「……君は、居なくなったらダメだからね」 「はいはい」 「絶対だからね?」 「そんな簡単には死なないさ」 「そういうことじゃなくて!」  彼女が震えながらも大きい声を発する。怒らせる気はなかったのだが、どうやら怒らせてしまったようだ。  これはきっと俺が悪いのだろう。  そっと彼女の背中から髪へと手を移し、再び優しく撫でる。 「……絶対に、居なくならないよ」 「……うん」  納得したのか、彼女は勢いよく俺の制服で鼻をすすると、おもむろに顔を上げて、少し赤くなった瞳のまま俺に向かってそっと口づけをした。  不意を突かれてしまい、驚いた表情を浮かべていたら、彼女はなんとも満足そうな表情であははと笑い声をあげた。 「そろそろ戻ろっか」 「そうだな」  少し名残惜しかったが、胸の中の彼女を開放して、俺は教卓の前の机に置き忘れたものを取りに戻る。 「おじさんとおばさんは何あげたら――」 「あぶない‼」  何を土産にしようかを相談しようとしたところで、背中に強い衝撃を感じ、前の学習机をいくつか巻き込みながら前に吹き飛んだ。  頭が机の角にぶつかり、鈍い痛みとなって頭の中に広がってくる。  いったい何をされたのか。状況が全くつかめない。  何とか床に手をついて、衝撃の来た方向を振り返る。 「一体何を――」  そう声を発した刹那、彼女の脇、視界の端で黒い球体が爆音を轟かせながら爆ぜた。  視界全体が眩い閃光に包まれる―― ・・・  
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