〈第七話 暗転〉

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〈第七話 暗転〉

「千景様。」 一人の男の声が、障子ごしにくぐもって千景の耳に届いた。 「入れ。」 男の正体を分かっている千景は、書状を書く手を止め障子に視線を向けた。 「失礼致します。」 そう言って、千景の自室に入ってきたこの男の名は、近江相馬(おうみそうま)。 千景にとっては家臣であり、幼なじみでもある。 この相馬だけが唯一、千景の自室を訪れることを許されているのだ。 「殿から縁談の話が参っております。」 「……またか。」 千景は顔をしかめ、持っていた筆を乱暴に(すずり)に立て掛ける。 両親の代から八雲家に仕えている千景は、両親が亡くなってからは、今の当主・恭史郎を始めその身内に育てられてきた。 無論、感謝はしているし、早く身を固めろという恭史郎の指示にも納得している。 _だがな…… 「相馬。」 「はい。」 「何故、懇意になった者と一緒になってはいけないのだ?」 その問いに、相馬は困ったように眉を八の字に下げる。 「そりゃ、私も千景様にはお幸せになってもらいたいですよ…。 ですが、殿がお決めになった縁談を断れば……」 そう言い、相馬は自身の首元に片手をかけ、目をぎゅっとつぶると頭を振った。 「分かっておられますよね? 殿が最もお嫌いなことは、長い前置きと?」 まるで、小動物のようなつぶらな瞳でこちらを伺い見る相馬を睨み付けながら、 「……遅い決断。」 そう答えた仏頂面のまま、千景は主の城へ行くため着物の襟を引っ張り、上半身をはだけた。 八雲の城 「面を上げよ。」 その言葉を聞き顔を上げた千景は、主・八雲恭史郎の、ややつり上がっている猫目に視線を合わせる。 「…して、今日は何用で参った?」 「は!本日は、殿から頂いた縁談のお話で参りました。」 「おぉ!やっと受ける気になったか! 全く、この私をここまで焦らすのは、お主ぐらいだぞ、のう、(こう)!」 一息にそう言い切った恭史郎は、にかりと上機嫌に歯を見せ、隣に控える正室の香に相槌を振った。 「ほんに…。」 ゆったりと、だがはっきりと答えた香に、千景以外の家臣は皆ほぅ…とため息をつく。 その間の抜けた光景に、恭史郎はその猫目をさらにつり上げ、「おい!」と一喝した。 家臣らが、慌てて我にかえる様を見回している千景の頭にはただただ「?」が浮かぶばかりだった。 咳払いをした千景は、再び恭史郎に視線を向ける。 「実は今、私の屋敷に公家の者がおりまして…一度会っては頂けないでしょうか?」 恭史郎は一度瞬きをする。 「何故だ?」 「その者は公家でございますが、仲が良いのは武士の者なのです。」 公家というのは無論、清良のことで、武士は朱楽のことである。 それを聞いて、恭史郎の片眉と口端が滑稽だというように上がる。 「ほぉ?公家なのに武士と仲が良いのか。」 「はい。もしお気に召されましたら、殿の元で直々にお仕わしになっては頂けないでしょうか?」 その言葉に、両側に控えている家臣らがざわめく。 「それは我ら家臣一同に加わるということか!?」 「黙れ!私は今、千景と話しておる!」 恭史郎の怒声で、家臣らは再び静まり返った。 千景は続ける。 「武士の者…朱楽は私に仕えて長うございます。 必ず殿のお役に立つはず……。 しかし、それにはその公家の者…清良の力が必要になると私は考えております!」 一息つき、千景は瞳を閉じると、 「_人は新たな門出を、近しい者に見守ってほしい、生き物でございますゆえ。」 瞳を開けて、主に微笑みかける。 家臣らは、「そうなのか?」と互いの顔を見渡している。 恭史郎はふっと息を吐くと、目を細め、 「分かった。 全く…お主の力説には敵わん。」 そう笑みをよこした恭史郎に、思わず千景もつられて微笑み返したのだった。 _この先に、運命の悪戯(いたずら)が二人を待ち受けているとも知らずに_。 _本能寺の変まで、あと21年の初夏のことだった。 〈続〉
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