〈第九話 正体〉

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〈第九話 正体〉

「お主、女であろう?」 清良こと美琴が頭を上げてから、数刻も 経たぬ内だった。 目の前で胡座(あぐら)をかき、頬杖を ついている八雲恭史郎は、底知れぬ猫目で 清良の反応を(うかが)っている。 「…な、何を……っ」 _何を仰せでございますか!? そう反論しようと口を開いた朱楽だったが、 「黙れ、小童(こわっぱ)!」 家臣の無精髭(ぶしょうひげ)の男が、 朱楽に鋭い睨みを効かせた。 _…まだ何も言ってねーじゃん……。 朱楽は呆気にとられたまま、半開きの口と 共に、髭男からゆっくりと視線を外す。 隣に座る清良は押し黙ったままだ。 八雲は、そんな清良を見詰めたまま続ける。 「おそらく千景も気づいていたはずだ。」 その言葉に、清良は伏せていた顔を 勢いよく上げた。 こちらに向けられたその淡い瞳を見て、 八雲は片眉を上げる。 その瞳は驚きと戸惑いで揺れていた。 「…それでは何故、来栖様は私を 追い出さなかったのでございますか……?」 「それは、お主が朱楽の推薦に必要だった からだろう。 千景が私に言うてきよったわ。」 手元の湯飲みを取り、侍女に茶を ()がせながら、八雲は続ける。 「“_人は新たな門出を、近しい者に 見守ってほしい生き物でございます ゆえ。”…とな。」 _……来栖様……。 清良はそっと(まぶた)を閉じ、 ゆっくりと瞳を見開くと、 「来栖様の城へ行ってきても よろしいでしょうか?」 清良は、来栖に助けてもらった時に 身に付けていた着物を、公家の着物の中に 着込み、来栖の自室へと案内された。 「本来ならば私以外の者は、入ることを お許し頂けませんが、貴方様は例外だと。」 そう驚いた様子で障子に手をかけた、 家臣の近江に会釈し、清良は室内へ入った。 「失礼致します。」 摺足(すりあし)で進み、そっと 正座する。 その一挙一動を来栖は静かに見詰めていた。 「来栖様。 女だということを騙して、 本当に申し訳ございませんでした。」 清良は両手を前につき、深々と頭を下げた。 「そなたのことは、朱楽からよく 聞いていた。」 窓際に立っている来栖の背を、清良は じっと見詰める。 「女であるにも関わらず、 (まつりごと)に関心を持ち、 自分の話を熱心に聞いてくれると。」 そうこちらを向いたその顔には、 優しい笑みが浮かんでいた。 そして可笑しそうに口端を上げ、 「それにもう、この城は女人禁制では ない。 妻を(めと)ることになったからな。」 しかし、尚も清良が顔を曇らせているのを 見、来栖にふっとある考えがよぎった。 「では、最後にそなたの本当の名を 教えてくれ。」 その言葉に、清良は呆気にとられながらも、 「…橘美琴と申します。」 と答えた。 「それから、そうだな……」 急に、にやにやと人の悪い笑みを浮かべ 始めた来栖に、美琴は思わず後ずさる。 「あ、あの、来栖様……?」 「その烏帽子を取って、公家の着物も 脱いでもらおう。」 _え……まさか… 美琴の頬が徐々に赤くなっていく。 「初めから私の正体に気づいて らしたんですか!?」 「人攫いから助けた女だろう? 一度見た顔は忘れぬ。」 飄々(ひょうひょう)とした態度で 言ってのける来栖から、美琴の今までの彼の 残像が崩れ落ちていった。 ゆっくりと、こちらににじり寄る来栖から 逃げようと障子に手をかけるも、両手を共に 来栖の片手によって拘束される。 「……っ」 もう一方の手が美琴の烏帽子を外し、 公家の着物を脱がしていく。 「なんだ、そなた確信犯ではないか。」 ぎゅっと目をつぶっていた美琴は、来栖のその言葉に訝しげに目を開ける。 来栖はとん、と美琴の着込んでいた着物の 肩口に人差し指を当てた。 「……まさかこんな形になるとは 思いませんでしたけど。」 仏頂面で憎まれ口を呟く美琴を、 面白い女だと、ますます興味を覚えた 千景なのであった。 〈続〉
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