〈第十二話 意識〉

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〈第十二話 意識〉

「来栖様……。」 美琴は包帯が巻かれた来栖の腹部に、そっと 右手を当てる。 あれから、倒れて意識のない来栖を夕市に いた客と、営業が終わった店主に頼み 美琴の屋敷に運んでもらった。 そして急いで止血し、薬草を傷口に付けて 包帯を巻いたものの、夜になっても 来栖の意識は戻っていないのだった。 _それにしても…… そんな来栖の様子を見守りながら、美琴は 顎に空いている左手をやり、眉を (ひそ)めた。 _あの人はいったい何者……? 片膝をつき苦しそうに血を流す来栖を、 無感情に見下ろしていた男のことを 思い出す。 来栖よりも深い漆黒の瞳に、対極している ような紅蓮の着物に白の(はかま)。 そして来栖を“八雲の軍師”と呼んでいた_。 _とりあえず、目が覚めたら事情聴取ね。 美琴は来栖の意識がないのをいいことに、 軽く額にデコピンする。 来栖に傷を負わせた男は無論、許せないが、 市場のど真ん中で、刃を交える迷惑行為も 腹立たしい。 「……全く…。」 しかし、あの時の雰囲気はどうもただの チャンバラのような冗談には見えなかった。 美琴には男が去り際に、伝えろと吐き捨てた 言葉が、何よりも引っ掛かる。 _“次は手加減は承知しない”って…… が手加減で負わせる傷!? ……それとも、手加減したのは来栖様…? どうも腑に落ちない。 八雲の他の家臣も、一目置くほどの剣術の 腕を持つ来栖が、立てなくなるほどの傷を 負うとは。 _…もしかしてわざと… はっとして美琴が顎から手を離した時、 障子が開かれる音がし、そちらを見やると 母が心配そうに顔を覗かせていた。 「…母上。」 軽く咳き込んだ母は、 「今日はもう寝なさい…。体に悪いわ…。」 「はい、そうですね。」 そう母に微笑み返した美琴は、部屋から 出る前にもう一度、横になっている来栖に 視線を向けた。 「…お休みなさい。」 翌日 目を覚ました美琴は急いで台所に行って 顔を洗い、髪を結わえると、廊下を小走りで 来栖の居る部屋へと向かった。 「お目覚めですか、来栖様!」 勢いよく障子を開け放った美琴の目が 捉えたのは、包帯を巻き直すために、 上半身の着物をはだけた来栖の姿だった。 「ん?」 来栖は目を見開き、包帯の端を口に (くわ)えたまま固まる。 「ひゃあ!!」 美琴は慌てて両手で顔を覆う。 しかし、一方の来栖は特に動じることなく、 「昨日も見たではないか。」 と普段通りの口調で返す。 「……それはそうですけど…。」 「昨日は意識する暇もなかったので……」と、唇を尖らせ独りごちていた美琴 だったが、そっと両手を顔から外し 包帯を巻こうとしている来栖を見ると、 「まだ駄目ですよ! きちんと薬草を塗ってからでないと…」 そう言い、素早く来栖の側に近寄ると、 薬箱から昨日も付けた薬草を取り出し、 来栖の腹部の傷口に念入りに 塗り込んでいく。 先程までの動揺はどこへやら、すっかり 千景の側に座り込み、薬草を塗り込んでいる 美琴と千景との距離は、もう簡単にこちらへ 抱き寄せられる近さだ。 傷口がない方の腹部に片膝を引き寄せ、 その上に頬杖をつきながら、真剣な表情で 治療する美琴を眺めていた千景だったが、 どうもつまらない。 少なくとも人並みよりは、鍛えて筋肉のある 体に、もう少し意識してくれても 良いのではないか? 悪戯(いたずら)(ひらめ)いた 千景は、僅かに片眉と口端を上げる。 そぉと空いている左手で美琴の色白な首筋を 捉えると、人差し指をたて、ツ-・・・と その筋をなぞりあげた。 「!?」 それに驚いた美琴は、こちらを見上げ 睨み付けているが、どこ吹く風で千景は 視線を逸らす。 しかし何故か、美琴は千景に声を上げず、 その行為に対抗するかのように 震える指で薬草を塗り込んでいく。 そこで千景は今度、美琴の僅かに赤く 染まった頬にしなやかな指先を滑らせる。 「ひゃ…っ…!」 軽く悲鳴を上げた美琴は、誤って 薬草を塗り込んでいた指を滑らせ、 千景の脇腹辺りにまで塗ってしまった。 慌ててその指を離してますます顔を 赤くする美琴に、堪らず千景が 吹き出すと、 「いい加減にして下さい!!」 全く説得力のない羞恥心で染まった頬を 膨らませると、 「後はご自分でどうぞ!」 と、ピシャリと言い捨て、美琴は大股で 部屋から出ていってしまった。 思い切り障子を閉めきった美琴は、 その中で腹を抱えてこっそり笑っている であろう来栖に向かって、 こう叫んだのであった。 「この…この……ハレンチ軍師っ!!」 〈続〉
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