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〈第十四話 真実〉
朝食を済まし膳を全て洗い終えた
美琴は、再び来栖の居る部屋へと向かった。
「失礼致します。」
障子を開き、室内に足を踏み入れ
来栖の方を見やると、書き終えた文を
折っているところだった。
障子を閉めた美琴は、来栖が正座する
机に近寄る。
「来栖様、その文は…?」
折った文を表に返し来栖はこちらを
見返した。
「朱楽に念のため知らせようと思ってな。」
だがすぐに目を逸らし考え込むように
顎に左手を当てると、
「美琴。昼議には出られんのか?」
「薬草も塗ったし問題ないだろう?」と
不満げに眉根を寄せる来栖は、どうやら
八雲の城の朝議に出られなかったことが
不服らしい。
そんな来栖を美琴は慌てて止める。
「駄目ですよ!
殿の城に着く前に傷口が
開いてしまいます!」
美琴の屋敷から八雲の城までは早くとも
一時(一時間)はかかってしまう。
傷口が深い来栖は、それ以上に時間が
かかるので危険だ。
「それに最低でも二週間は安静にして
頂かないと。」
その言葉に、来栖は更に衝撃を受けたようで
頭を垂れてしまった。
そんな来栖を何だか申し訳なさそうに
窺っていた美琴だったが、夕市での
事情聴取を行うことを思い出し、
「そうだったわ、来栖様!」
ぐいっと勢いよく頭を上げられて
一瞬痛そうに顔をしかめた来栖をよそに、
美琴は続ける。
「夕市でのこと、早くお話し下さい!」
その思い詰めたような表情に千景は、
これ程までに心配してくれていたのかと
驚き、
「分かった。」
と素直に口を開いた。
「あの日…あの夕市で私に斬りかかった
男の名は、東藤志。
近江の武将・眞鍋吉鶴様に仕える軍師だ。」
「近江の眞鍋様って確か…」
美琴は一度思い出すためか、こめかみに
右手をやり、はっとしたように
その手を離すと、
「殿の妹君の凜様が嫁がれた
お方では……?」
やはり詳しいなと千景は苦笑しながら、
「あぁ、そうだ。」
と答えた。
八雲と眞鍋、両家の同盟を結ぶため、
凜は眞鍋の元に嫁ぐことになったのである。
同盟の理由は、美濃の堺氏との睨み合い
状態を打破し、美濃を攻略するためである。
その攻略に必要なのが、美濃への
経路である近江ということなのだ。
「ん?ちょっと待って下さい。
同盟を結んだ相手に仕える来栖様を
襲ったのは、いったい
どういうことですか?」
訳がわからないというように、目を泳がせ
戸惑う美琴に、千景は「実はだな…」と
顔をしかめた。
「…眞鍋様が比叡山延暦寺と繋がっている
という噂が入ったのだ。」
それを聞いた美琴も不審に思ったのか、
眉を顰める。
延暦寺は、僧たちが生活の困窮している
村人に金貸しを行っている。
しかし、その貸した割りに合わない利息を
付けて不当な返済を求めているのである。
「その事を耳にした殿は、まずは
眞鍋様に文をお出しして真偽を
確かめたのだが……」
ここで一旦、千景はため息をついた。
「返事は一向に来ない。」
その義兄への不敬に思わず呆れ返ったことを
思い出し、千景は苛立ちを隠すように
正座を雑に崩した。
「そなたも楽に座れ。」と美琴に言い、
千景は続ける。
「そこで殿は私に、このままでは
埒が明かぬからどうすべきか
考えてほしいと仰せられたのだ。
そして夕市に寄った時……」
「…眞鍋様の軍師の東藤志という方に
お会いになったのですね?」
千景の言葉を引き継いだ美琴に頷く。
「……東は延暦寺と繋がっていることを
認めた。
だが、その事と同盟は関係ないと突っぱねて
殿に顔向けできないようにするため、
私を無下に襲ったというわけだ。」
「そんな……」
美琴は言葉を失い絶句する。
しかし慌ててこちらを見上げ、
「では何故、手加減したのですか!?」
その悲痛な面持ちで身を乗り出す美琴の
両肩に、千景はそっと両手をのせた。
「あの場で私も正気を失っていれば、
相手の思う壺だ。
ひとまず東の正気を取り戻させるためにも
大人しくしておくべきだと考えた。」
「心配をかけてすまなかった。」
と姿勢を正して頭を下げた来栖に、
美琴は
「本当にご無事で良かったです。」
と声を詰まらせた。
ふと顔を上げてこちらを見る来栖の
意味深な視線に戸惑い、
「……どうかなさりましたか?」
と小首を傾げた美琴に、来栖は穏やかな
笑みを見せた。
「あの日、夕市に行った理由は別にある。」
昼前の柔らかな陽だまりが、じんわりと
二人を照らしていた。
〈続〉
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