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揺れる籠の中で、美琴は小さく息を吐いた。
_よくお似合いですよ。
出発前に世話係から掛けられた言葉に、少しだけ期待して覗き込んだ鏡には、口紅を引かれた、ただ童顔が際立っただけの自分が写っていた。
袖が長いせいか、白無垢の晴れ着も何だか落ち着かない。
美琴はこの日、婚礼を挙げるため、夫となる相手方の屋敷へと向かっていた。
当然、望まない政略結婚だが、仕方がない。
ふと、格子の窓を僅かに開けてみた。
そろそろ屋敷に着いても良いはずなのだが。
そう思い、もう少し外を見るため、格子に手を掛けようとしたその時だった。
ガタン!と鈍い音がして、籠が地面に下ろされた気配がした。
着いたのだろうか、と御簾に手を掛け出ようとすると、
「なりません!
外には出ないで下さい!」
従者の声に、美琴は反射的に「え?」と聞き返してしまった。
「美琴?」
聞き返さなければ良かった。
低く通った声音が懐かしい。
_どうして……。
思わず自分の両肩を抱く。
それはその声への恐怖ではなく、この展開をどこかで期待してしまっていた、美琴の羞恥心からの行為だった。
やがて、辺りが静寂に還った時、ゆっくりと御簾が上げられ_
「美琴」
声の主がその姿を現した。
ぴくりと小さく肩を揺らし、こちらを伺い見るこそばゆい視線も。
手を伸ばし頬に触れると、ゆうるりと艶めく瞳も。
何も変わっていない。
「…っ…_千景…」
_嗚呼、この声…。
堪らなくなり、更に籠に体を近づけようとするが、
「来ないで!」
そう言い、美琴は頬に添えられた手を引き剥がそうとする。
「……美琴?」
_何故……?
「貴方には会いたくなかった……っ!」
美琴は必死に涙が溢れそうになるのを堪え、千景の手を引き剥がそうとした。
そうしなければ、もう二度と後戻りはできないと知ってしまったから。
美琴と呼ぶ低く通った声音も。
いつなんどきも揺るがない真っ直ぐな想いも。
不意に見せる無邪気な笑みと、穏やかな微笑も。
_その全ても。
ほんの一瞬だけで良かったのだ。
それならば、こんな胸を切り裂くような想いをせず済んだのに。
_いっそ出逢わなければ__。
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