〈第一話 邂逅〉

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〈第一話 邂逅〉

(たちばな)美琴(みこと)は小走りに帰路を急いでいた。 手に提げている風呂敷の中には、夕市で値下げされていた、野菜や魚が詰め込まれている。 これらは全て母のためだった。 美琴の母は先日、風邪を拗らせて熱をだし、今は寝たきり状態となってしまっている。 橘家はあまり裕福な家柄ではなく、美琴と母が働いてなんとか生計を立てているのだ。 母が働けない今は、美琴のみの収入しかないので、こうして夕方の市での安売りを狙って買い物をしたのだった。 日が落ちるまでには帰路に着かなければならない。 母も心配して待っているだろう。 美琴が風呂敷を胸に抱え込んだ、その時だった。 目の前の行く手を遮るように、男が三人現れた。 「大人しくついて来たら、悪いようにはしないから。」 そう言い、一人がこちらに近づき、美琴の手首を掴んだ。 「離して下さい!」 途端に他の二人に口を塞がれ、羽交い締めにされる。 「~~っ~!!」 声にならない声を上げた、その刹那_、 「痛!」 見ると、美琴の口を塞いでいた男の腕に、矢が刺さっていた。 男が塞いでいた手を緩めた隙に、美琴はその手首を掴んで捻りあげた。 「もう十分だ。」 そう(ささや)くような声が聞こえたかと思うと、突如、浮遊感に襲われ、美琴は何者かに抱き抱えられた。 「人(さら)いの(やから)か……。」 「そいつを降ろせ!」 切羽詰まった男の濁声(だみごえ)が、人気のない通りに響く。 「“八雲恭史郎(やくもきょうしろう)”」 「!?……八雲、だと……?」 風が吹き荒れ始め、木の葉がざわめく。 動揺したのは男だけではない。 美琴は思わず(なにがし)に目を向けた。 暗がりで見えづらいが、よく見ると、その首筋には十字傷が刻まれている。 「この名を聞いてもまだやるか?」 「…っ……クソッ!」 男は舌打ちをして去っていったようだ。 「手荒くしてすまない。」 そう言いながら、某は美琴を横抱きに抱え直した。 「……貴方があの八雲恭史郎様ですか?」 某は美琴をゆっくりと地面に降ろし、 「いや。 八雲恭史郎は私の主だ。」 そう答え、「そなたの屋敷まで送ろう。」と、歩きだした。 「では貴方は何者ですか?」 美琴は、隣を歩くその鼻筋の通った横顔を見上げる。 「だから、私は八雲様に仕えている者だ。」 「いえ、そうではなく。 貴方の名をお聞きしているのです。」 _名、だと? 千景(ちかげ)は思わず、こちらを見る女の淡い瞳を見返した。 「……何故、名など聞く?」 今までも、こうして人助けを行ってきたが、名を問われるのは初めてだった。 「何故って助けて下さったんですもの。 なにかお礼もしたいし。」 そう、真っ直ぐにこちらを見つめ返したその瞳から、何故か目が逸らせない。 「…来栖千景だ。」 気付けば、さらりと名を紡いでいた。 「私は橘美琴と申します。」 軽く会釈した美琴とやらを見、可笑しな者だと、千景は口端を僅かに上げた。 〈続〉
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