燕と翠

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「燕姐、これあげる!」 一日が終わり、さて寝ようかと燕が布団を敷いた頃。翠ががらりと襖を開けて入ってきた。 「あ、燕子花!」 「さっき裏口の隅で見つけたんだ。綺麗に咲いてたから燕姐に見てもらいたくて摘んできちゃった。」 そう言いながら翠も自分の布団を敷き始める。 「梅雨の前の今が摘み頃なんだ。ありがとう、翠。」 燕は翠から受け取った燕子花を小さな花瓶に飾った。最近は燕も翠もそれぞれの稽古や仕事で忙しくなり、昼間はほとんど一緒にいられる時間がない。そのため、寝る前のこの時間は二人にとってとても貴重なものだった。 「そういえば今日、小間物屋の善さんとこに寄ったら男の子に会ってね。昨日から来てる屋台の子らしいんだけど、こんにちはって声を掛けたら俯いて逃げていっちゃったんだ。顔が真っ赤になってた。急に声をかけちゃって悪かったかな。」 「それはただ、燕姐の顔が怖かっただけじゃない?」 翠は悪戯っぽく燕を見る。 「何言ってんだい、あの子はあたしの美貌に見惚れたんだよ。」 燕が自慢げにそう言うと、翠はけらけらと笑った。 「何がおかしいんだい?」 「だって、美貌って。自分で言うことじゃあないでしょ?まあ、燕姐はそこいらの女たちより別嬪だけどさ。」 翠が少し拗ねたようにつんと唇を尖らせる。燕はそんな翠の頬を指先でつっと突いた。 「なに拗ねてんのさ、あんただって牡丹の里一の別嬪じゃないか。」 燕がそう言うと翠は嬉しそうに笑った。そして布団の中に入ろうとした燕の背中にすり寄る。 「どうした?翠。」 「・・・燕姐。燕姐の背中って広いね。」 「そりゃあまあ、あんたより頭一つ分は大きいからね。」 「まるでお話に出てくる鬼の母ちゃんみたい。」 「なんだって!?」 燕は聞き捨てならないと翠にとびかかる。翠は笑いながら部屋中を駆け回り、燕もそれを追って部屋を駆け回る。ばたばたという足音とけらけらという笑い声が部屋の中に響き渡った。 「やかましい!今何時だと思ってんだい?下まで響いてたよ!」 「あ、暁姐さん・・・。」 二人はぎくっと体を固まらせて暁を見る。 「ごめんなさい。」 燕が大人しく謝るが、横で翠がぼそりと 「ほんとの鬼の母ちゃんだ。」 とつぶやいた。その膝を燕がぱしっと叩くが、こらえきれずに吹き出してしまった。 「翠!」 暁の目がくいと吊り上がる。 「違います、暁姐。燕姐がいきなり・・・。」 「人のせいにしない!」 「はいっ。」 ぴしっと言われてしまった翠がおかしくて、燕はまた吹き出した。その笑いは翠にまで伝染し、結局二人で大笑いをして、二人まとめて暁に怒られてしまった。 「もうお客様が店に来られてるんだから、静かにするんだよ。」 一通りお説教が済むと、暁はいつものように二人に布団をかけ、部屋を出ていった。 「暁姐、また怒ってたね。」 布団に入り、声を小さくして翠が言う。 「翠が余計なことばっかり言うからだよ。」 「でも、あんなに怒んなくてもいいんじゃない?あれじゃほんとに鬼の母ちゃんだよ。」 そう言ってまた翠はくすくすと笑いだした。燕も先ほどのことを思い出してくくくと笑う。 「あれでも暁姐、ほんとはすっごく泣き虫なんだよ。翠が新造になったとき嬉し涙流してたもの。」 「燕姐のときもだよ。最近は何かあるとすぐに涙ぐんでる。」 「あたしらには泣き虫小僧になるぞ~って脅かすのに。あれじゃ暁姐が泣き虫小僧になっちまうね。」 「年をとると涙もろくなるっていうけど、ほんとだねぇ。」 「そうだねぇ。って、そんなこと言わないの。暁姐がかわいそうでしょ。」 「きっと燕姐の水揚げのときもきっと号泣しちゃうね。」 言いながら、どちらともなくまた笑い声が漏れてくる。二人でいると何を話しても笑いが絶えない。無邪気に笑う翠をそっと抱きしめて、今夜もまた、燕は笑いながら眠りについた。
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