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 燕が死んでからというもの、翠はただ花魁になるための修行を淡々とこなし続けた。燕の死から二年後に初めて客を取り、そしてその三年後に晴れて花魁へ昇り詰めた。以前のようなおてんば娘はもうどこにもおらず、おしとやかな、美しい女性へと成長していた。  翠が花魁になって、初めての雪が降った。朝、客を見送り渡り廊下を渡ると、翠の足は急にふらふらと不安定になった。母屋へ入り渡り廊下の襖をぱたんと閉めたところで、翠はすとんと力が抜けたように床に座り込んだ。もうあと二、三歩歩けば部屋があるのに、翠は廊下に座り込んだまま障子の一点を見つめていた。 (燕姐、壁に耳あり障子に目ありって言うよね。障子に燕姐の目もあるのかな。) いくら燕に語りかけても、目に浮かんでくる燕は静かに微笑んだまま何も言わない。自分はこんなにもずっと燕に語りかけているのに。 「翠姐さん、何やってるんですか!」 禿の鈴が慌てて駆け寄ってきた。 「ああ、お鈴ちゃん・・・。」 翠は鈴の声に目を向けた。鈴は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに翠の体を支えて立ち上がらせた。鈴に支えられてふらふらと部屋に入ると、休憩中の新造たちがわらわらと集まってきた。 「翠、どうしたんだい。」 「調子悪いんですか?」 「早くそれ脱いで、こっちに。」 翠は力の抜けた体を支えてもらいながら楽な格好に着替えると、部屋の隅にぐったりと座った。入口から一番遠いその場所は右側に壁があり、少し見上げると窓がある。十三年前、翠が火の中でうずくまっていた場所だ。窓の先には憎いほど真っ青に広がる空があった。
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