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3,本能の目覚め①
「ではお先に。
倉木先生、また戸締りよろしくお願いします」
「はい、お疲れ様でした」
髭の濃い社会科教師の三宅が荷物を手にそう言うと、ソファを一瞥してから社会科準備室を出た。
三宅の姿が消えると自席でプリントのチェックをしていた倉木がペンを置き、そのソファを振り返る。山のように積まれた教材用の歴史の漫画に埋もれて眠ってしまっているのは二年の中原結だった。
あれから、というのはある日の放課後のことだが、中原宛のラブレターを渡すために呼んだあとからこの子は毎日のように理由をつけてはここへ訪れるようになった。ある日はノートを執り忘れた、ある日はプリントを失くした、ある日は授業で教えた歴史上の人物についてもっと知りたい。そう言って倉木を訪ねてくる。同じ準備室を使う教師の花田や三宅に異様な目で一瞥されても結は臆することなく無邪気な笑顔でやって来る。それを、数回目で、或いは初めから容認し、この部屋にこうして毎日一番最後まで残るのも嫌ではなかった。それどころか倉木は結が来るのをいつも待っていた。
生徒として、なんて…。
倉木は立ち上がり、結のうつ伏せて寝るソファの傍に腰を落とした。革製のソファは硬く沈み、体の小さな結を少しだけ持ち上げる。その感覚で目を覚ました結が倉木の影に気付き、いつもの口調でポツリと言った。
「せんせ…」
「うん」
その表情はいつもと違ってあまり動かない。少し怖い。結は見上げた目を離せなくなっていた。
「キス…しようか」
倉木はそう言うと、右手を結の髪に沿わせ、耳元から指を滑らせた。
それはあまりに唐突で、だけどその目は真剣で、声は低く、潤んだ瞳に飲み込まれそうだった。そんな倉木の柔らかい優しさに包んだ本性は結にも見透せた。
「うん」
倉木は目を閉じようとして、最後までは閉じない。結は暗くなった視界の中で唇の感触を感じた。好きだという感情より速く、何かが込み上げ、胸から溢れ返る。
「せんせ…」
離された唇が恋しくて、欲しくて欲しくて堪らない。子供にするみたいなのじゃなくて、私をもっと深くまで連れて行って欲しい。
「やめないで…」
困ったように笑う。倉木は今さらそんな顔をして、また結にキスをした。今度は唇を開いて優しく差し入れられた舌で交わった。
胸の中心を縦に一本。脳と、胸と、それからお腹の奥底。痺れるような甘い甘い何かに結は夢中になってしまった。
「これ、好き…」
生徒として、なんて見ていない。
最初から。
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