5,種⑤

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5,種⑤

結の細い身体が自分に押し潰されると、いつもこの上ない安堵に満たされた。包み込み優しくすることも出来た。だけどそれじゃ足りなかった。誰にも触れさせたくない。夢中にさせたい。支配欲が溢れ返り、力加減が効かない。 気があるのかないのかいつも素っ気なくて、なんでも平気そうに笑う結が本当はどう思っているのか分からなかった。すぐに、この子とは抱く間しか心を得られない関係なのだろうと割り切った。だからこそ俺はこの子とは終わる気がない。終わる理由がない。それはたぶん彼女も同じで、きっと他の女と寝ても結は平気そうに笑うだろう。何も言わず、この関係は静かに続く。 漠然とそんなふうに考えていた。 「でも好き」 それまでより大粒の涙がボロボロとこぼれ落ち、結の何かが決壊した。初めて彼女に愛されてる実感が沸いた。堪らず抱きしめた。同時にどこにも行けない感情に埋め尽くされる胸が苦しくて張り裂けそうになった。受け止めきれない、預けきれない、こんな自分たちが決して伝え合ってはいけない本心。 掻き消すように腰を振った。 結はまた甲高く喘いだ。 果てた裕一を抱きしめながら何度もキスを繰り返した。終わった後に裕一からキスを求められるのは珍しい。眠そうに目を閉じる裕一からそっと唇を離してその身体から降りると、側にあった裕一のワイシャツを羽織った。普段はラフな格好ばかりする裕一が珍しく着てきたワイシャツに、無性に袖を通したくなったからだ。シトラスみたいな香り。煙草の他に香るそれらを感じ取れるのはたぶん私だけ。 更衣室に入り、自分の服を着て出てくると下着姿でタバコを吸う裕一が恨めしそうに見上げた。奪ってしまったワイシャツを返すとふわっと羽織り、片手でボタンを留めようとするのを結が止めた。 ん?と問いかける目にほっとして微笑むと、裕一の腰の上にもう一度跨った。向かい合って、さっきまで振っていた腰には手を触れず、両手でワイシャツのボタンを留め始める。察した裕一はされるがまま。煙草を手に、時々それを吸って、優しい目で結の様子を見つめた。 嬉しくなって、裕一の目を見つめ返すと、眠そうに垂れた瞼が優しくて、結はもう一度唇を寄せた。裕一とこんなに静かな、優しく温かいキスは初めてで、いまを離したくなくて、離れたくなくて、穏やかに触れ合える、どこか柔らかいものに包まれる感覚にずっと浸っていたい気がした。 いつの間にか夢中になったキスは終わりがなくて、きちんと配列されたボタンは留まるはずの場所とは違った穴に潜らされ、今朝アイロンが掛かっていたであろうワイシャツは、結の重みで新たな皺を付けた。 肩にマークなんてもう付けない。その代わり、ワイシャツの日はまたここに座る。彼が付けた皺の一つに、私の付けた皺が混ざる。 そんなことを思いながら、絡まる舌にまた下着を濡らした。 「こんにちは」 紀子とお茶したあの日の翌日、それはオーナーと奥さんが朝に揉めていた日のこと。 いつも同じ曜日の午後に店に遊びに来るオーナーの子供がその日も現れた。店内に入ってすぐ結から声をかけた。 「あ、こんにちは」 元気に目を見てそう答える。奥さんとは挨拶程度でも、息子のリュウくんとはお菓子をあげたり折り紙を折ったりして遊んでいる、立派なオトモダチだ。 今日この子がここに来ることも知っていた。奥さんが二店舗目の売り場に出ている曜日。オーナーがいない時間でもリュウくんがこっちの店舗に来るのは私を気に入って遊びに来てくれるから。 「これあげる」 無邪気な彼から折り紙で折ったネコを貰う。 「ありがとう。可愛い」 「お姉ちゃんに似てるから」 そのネコを見つめ、確かにそうかもしれないと思った。急に擦り寄ったり、フイッとそっぽを向いたり、だけど甘やかされたいと願っていたり。 「ありがと」 「うん、いいよ」 にこにこと笑う。まだ小学三年生の彼もよく見ると裕一に似ている。 「…ねぇ、リュウくん。 明日ってさ」 「明日?なに?」 迷いは無かった。躊躇いなく口にした。 「リュウくんも行くの?ごはん屋さん」 「ん?ごはん屋さん?」 「そう、パパ行くんでしょ?前にリュウくんとママと行ってたごはん屋さんに」 「明日?そうなの?」 ゆっくり。 この子が覚えられるように。 「うん。明日の夜に行くって言ってたよ。 あっ!でもそのあと誰かと会う、って言ってたからリュウくんと行くんじゃないんだね。 ごめんね、ママなら分かるかも」 「ふーん。聞いてみるね!」 ふと、自分から笑顔が薄れるのが分かった。 「うん、聞いてみて…」 花は咲く。 どんな色にも、どんな種からも。
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