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1,溺れる花②
「俺、変わってるけど、いいの?」
三年前の冬、面接で訪れた雑貨店『アルー』のオーナーである裕一が最後に真面目そうな顔でこう問うのを、同じく努めて真面目そうな顔で答えた。
「はい、その、がんばります」
「そう」
即採用だった。
久しぶりの面接に緊張してスーツを着てきたのが可笑しくなるほどオーナーの格好はラフで、というより上下ジャージだった。歳は近そう。少し上だろうか。履歴書の"昭和"という文字に笑い、ここの面接で久しぶりに見たと言った。
店内はお洒落というより実用的な商品が多い。雑貨店というには十分過ぎる品揃えで、衣料品や日用品、食料品まであり、もはやここはコンビニに近い。
約束の時間より5分早く到着し売り場にいた店員に声をかけると、店の奥にある事務所に通され、中に入ると裕一はそこですでに自分を待っていた。
応募してすぐ折り返し電話があったときはあまり募集内容にそぐわないようで採用の確率は低そうに感じたのだが、こうして面接をした直後には明後日から来るように言われた。その場で採用されるとは思っておらず、内心ほっとした。ところが、最後に真面目そうな顔で聞いてきた。俺は変わっているがいいのかと。
正直頭の中に困惑以外の感情は生まれなかった。何と答えるのが正解かも分からない。正解が分からない以上、結にはYESしか回答はない気がした。働きたくて来ているのだから、いいのかと聞かれたら、答えはYES。当然だといえる答えが自分の中で出たためそう答えた。昔から真意を確かめないのは結の悪い癖だった。
仕事は、最初こそ緊張したものの、指導に入ってくれた先輩の女性、椎菜さんが優しく面白い人で気軽に話せたことから、慣れるのに時間は掛からなかった。
そんな私を彼女がどう評価したのかは分からないが、仕事に就いて一週間余りで研修を外されシフトに入ることを許された。3ヶ月後、時給はスタッフの中で一番高い人と並んだ。
とんだ特別待遇だと思った。
ある日の休憩時間。パソコンや書類、在庫に溢れた事務所で買ってきたおかずを広げたところへオーナーが入ってきた。
「休憩か。
…いつもそれ食べてない?」
「お疲れ様です。…これ好きなんで」
「そうなの」
「オーナー、お昼もう食べたんですか?」
「いや、まだ。俺もなんか食べよっかな」
そう言いながらも昼食を食べる気配などなく隣に座ると忙しそうに書類を出してペンでスラスラと文字を書いていく。
「茅野さんて、旦那さんどんな人?」
「え、うーん、どんな人って」
「サラリーマン?」
「はい」
「歳は?」
「同い年です。34」
そう言うと、裕一は大きく笑った。
「いや、それな。
ほんと、34には見えないよな。
俺25とかかと思ったもん」
「いやいや、無いですよ」
笑って聞き流した。
若いってよく言われる。いつも実年齢よりも5〜6歳は若く見られる。ただそれは垢抜けないままに歳をとったとも言え、褒められてるのかどうなのか微妙なところだ。
「旦那さん、優しい?」
またダンナの話?
困惑しつつもありのままを答える。
「優しい、です」
「ふーん。でも浮気するでしょ?」
「え、しないです」
浮気…唐突に聞かれて顔に感情が出るのを抑えられているか不安になる。
「なんで言い切れんの。そんなの分からないよ」
「しないです、旦那は」
「え、なんで?
俺だったらするけどなぁ〜
全然、ウエルカムだけどなぁ〜」
一瞬、裕一のペンが止まる。
チラリと視線も感じた。
それに気が付きながら、どういう意味かと訊ねない。やっぱり直らない、私の悪い癖。
「そんなこと言ったら怒られますよ、奥様に」
一瞬の間。目を伏せるのが見えた。
「ふふっ」
その乾いた笑いと、冗談みたいな会話に微妙な空気が流れる。
うちの旦那は浮気しない。たぶん。
他所の男の人は知らない。そういう意味じゃない。
するとしたら、
私だ。
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