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128:神々の希望
「じゃあ、セロは弟を救うために今まで……」
女神ヘレの話を聞いて、エレナはそう呟きかけた。
すかさずセロが舌打ちをして、それを止めたが。
「だからなんだっていうんだい? 同情しているの? はっ、相変わらずお優しいんだね」
「ち、ちが! 目的はどうあれ貴方がやったことは許されないことなんだから!」
「それなら、そんな目で僕を見ないでくれる? 心底腹が立つんだ」
エレナとセロはそっぽを向く。今までつかみどころのなかった彼が、ここまで子供らしい一面を見せるのも珍しい。無意識に彼の母・女神ヘレに影響されているのかもしれない。
そこでセロはニヤリと口角を上げる。魔王とエレナを交互に見て、何かを企んでいる表情だ。
「そうだ。いいことを教えてあげようか、エレナ? 君の大好きな父上様の秘密を──」
「え?」
「いくらお人好しの君だって、そこの骸骨がどういう経緯で生まれたのかを知ったら、もう彼を父だなんて呼ばなくなってしまうかもしれないね?」
「クロス!」
ヘレの一喝でクロスは肩を竦めた。エレナは説明を求めようとヘレを見上げる。
「女神ヘレ、貴女はパパの秘密とやらを知っているのですか?」
「……、」
女神ヘレは答えない。つまり、知っているのだろう。
魔王の誕生の秘密。思えば、なんとなく心当たりはある。セロがやけに魔王を敵視している点だ。セロと魔王の間にはエレナが知らない何かがあるのだろう。それに魔王は骸骨頭ではあるが、骸骨という種族ではない。魔族の中でも魔王は異質。どの種族かは全く見当もつかない。思えばエレナに悪魔サタンが宿ったのも、魔王の血を飲んでからだ。レイナもセロの血を飲んで悪魔を宿したと言っていた。それは、やっぱり──
「私から真実をお話してもいいですが、魔王殿はそれを望んでいますか?」
エレナはハッとした。思わず魔王を見上げれば、彼はエレナを真っ直ぐ見ている。
彼の目に宿る真っ赤な光が不安そうに揺れているのが分かった。エレナは強く魔王の手を握る。
「大丈夫。私は貴方がどんな存在だったとしても、離れない。貴方が私のパパであることは変わらない!」
そう強く言ってみせた。魔王はそれを聞いて、身体の力が抜けた様に息を吐く。セロは面白くなさそうに舌打ちをしていたが。
「女神ヘレよ。我も、我がどうして生まれたのかずっと知りたいと思っていた。教えてくれるだろうか」
「えぇ、貴方がそれを望むなら答えましょう。それには少し話は長くなりますが、私がここに至った経緯を語らねばなりません」
ヘレはそう前置きすると、話を続けた。
「──数百年前、夫ゼースが神の統合を起こした時、私は我が友人の手を借り、命がけで天界から地上へ逃げることができました。そこで人間に扮し、夫ゼースを打ち砕き、我が息子であるデウスを救う希望を探す旅に出たのですが……その途中で、クロスが悪魔として人間達を堕落させている現状を知りました」
ヘレは深いため息を溢す。当時のことを思い出しているのだろうか。
「当時、私は地上で出会った四人の仲間と旅をしていました。彼らの力を借りて、ゼースよりも先にクロスの暴走を止めることが先だと考え、一度はクロスを打ち倒す寸前までいったのですが──」
「ちょ、ちょっと待って。数百年前? 四人の仲間と一人の女性がセロに立ち向かったって……。それってまさか──『四勇聖伝』? 勇者と聖女が崇められるきっかけになった御伽噺じゃない?」
四勇聖伝。それはエレナがリリィによく読み聞かせていた物語だ。大陸で一番有名な御伽噺でもある。勇者四人と一人の美女の冒険の物語だが──女神ヘレが正体ならば、その美女が聖女と呼ばれるのも頷ける。
また、リリィに読み聞かせていた時、エレナは何故聖女達に一度は滅ぼされたはずのセロがまた復活したのだろうと首を傾げていたのだが……。
「そうですね。おそらく私と私の仲間達の旅がモデルになっているのでしょう。ですが、あの物語は一つ決定的に事実と違った点があります。私は──クロスを殺せなかったのです」
ヘレがそっと目を伏せた。一方セロがふんっと鼻を鳴らす。
「あとほんの一撃。私があと一撃の攻撃魔法を心臓に浴びせれば、クロスは死んでいた。そんな状況で、私は──手元を狂わせてしまったのです。我が子を、殺せなかったのです。私の魔法はクロスの心臓ではなく、下半身を切り落とし──クロスを逃がしてしまったのです。つまり、その半身の成れの果てが……」
ヘレはその言葉の続きを言わなかった。その視線の先には魔王がいる。それだけで十分理解できた。
「我も、原初の悪魔だったというわけか……。記憶がなかったのは、脳が記憶を記録していると考えると……下半身には脳はないから、か。なるほど。それならば、何故エレナとアスモデウスに悪魔が憑いたのかも理解できる。我のせいだったということだ」
「ちょっとパパ! そんなこと言わないで。パパは私を救ってくれたの。自分のせい、だなんて言い方はやめて。それにサタンさんのおかげで私は治癒魔法という奇跡に出会えた。むしろ感謝しているくらいなんだから」
「エレナ……」
魔王は口をコツコツさせて、何かを言おうとしたが──そこで、また、デウスの“叫び”が周囲を破壊する。先程よりも強い風が一行を襲った。どうやら長話をしている場合ではないらしい。
「さて、本題に入りましょう。まず、私がどうして今になってここに現れたのか。それは夫ゼースを打ち倒す手段が今ここにあるからです」
「っ!?」
ヘレの言葉にその場にいた全員が耳を疑った。あのセロまで、言葉を失っている。
ヘレは早口に言葉を続けた。
「私の兄であるディオニスは、神の統合前からゼースの暴走を危険視しておりました。そこで、己の力の全てを使い、万が一の時にゼースに対抗できる強力な武器を作っていたのです。それこそ、そこにいるこの子なのです」
「──え?」
ヘレが指を指した方を見れば、キョトンとするリリィがいるだけだ。
エレナは意味が分からず、ヘレとリリィを交互に見る。
「女神ヘレ? 何の冗談……」
「エレナ。分かっているでしょう」
エレナは目を泳がせた。確かに今この場で、ヘレが冗談を言う神ではないことは分かっている。
だが、信じたくない。その気持ちが強かった。
「ディオニスは有志の神々の力の一部をその武器に封印し、傍に置いていました。それこそ、そこにいるリリィなのです。ディオニスは彼のことを希望と呼んでいましたが……リリィ、心当たりはありますね?」
リリィは小さく頷く。ヘレはそんなリリィの頭を撫でると、しゃがんで視線を合わせた。
彼女の強い瞳にリリィは何かを感じ取ったようだ。唇をきゅっと結んだと思えば、へにゃりと微笑んだ。
「──分かりました。僕がゼースを打ち砕きましょう」
「……頼みました。本当に、申し訳ありません」
「いいえ。これが僕の役目なんです。今だって、僕の中にいる多くの声がゼースを倒せと言っています。きっとこの声は僕に封印されていた神々の声だったんです」
そんなヘレとリリィの会話にエレナは言葉にできない不安を覚えた。
慌ててヘレに尋ねる。
「女神ヘレ、リリィは、大丈夫なんですよね? リリィの中に強い力が秘められているのは知っています! でも、そんな膨大な魔力を操るなんて、リリィは……」
エレナの脳内に浮かぶのは以前、セロの血によって暴走したリリィの苦しそうな顔だ。
あれだけの大爆発を何度も何度も引き起こしたリリィの魔力は計り知れない。そんな力を一気にゼースにぶつけてしまえば、リリィはどうなるのか。
ヘレは言葉を詰まらせる。つまり──そういうことなんだろう。
「そんなの絶対にダメ! 私は許さない! リリィは城に帰します! ここはリリィには危険よ!」
「エレナ、」
「大丈夫よリリィ。貴方は私が守る。絶対に危険なことはさせない。だって私は、リリィのお姉ちゃんだもん!」
エレナは視界がゆっくりと滲んでいくのが分かった。リリィを抱え、すぐに魔王に転移魔法を発動させるように頼む。しかし、リリィがそんなエレナの頬を両手で包んだ。自分の目をしっかり見るようにとエレナの顔を固定する。エレナはその瞳を見た瞬間、耐え切れずに涙が零れた。
あまりにも逞しく、そして優しいリリィの微笑みに彼の覚悟を感じたからだ。
「エレナ。僕は大丈夫だよ。僕、さっき言ったよね? 僕の生まれた理由がここにあるんだって。僕、今、すっごく誇らしい気分なんだ。僕は皆を守るために生まれてきたんだって分かったから」
「リリィ……!!」
「エレナ、僕を君の弟にしてくれてありがとう。君とテネブリスで過ごした日々は本当に幸せだった。武器である僕にはもったいないくらい」
「違う! そんなことない! リリィは、武器なんかじゃない! お願い、私から離れないでっ! リリィはよくても私は嫌だ! リリィがいなくなるのは絶対に嫌だぁっ! こんなことになるなら貴方を連れてこなきゃよかった!」
「ふふ。エレナが僕に駄々をこねる日が来るなんてね」
──ふと、温もりと感じた。
リリィがエレナを力いっぱい抱きしめたのだ。
その温もりにエレナはさらに涙が溢れる。抱きしめ返す力も出ない。
「エレナ、ごめんね。でも僕に君を守らせてくれる? 僕からの最期のお願い」
「だめっ。嫌だっ!」
「じゃあこのまま、怒り狂ったゼースに全てを破壊される? シュトラールも、テネブリスも、全てなくなってもエレナは僕がいればいい?」
「そんな意地悪なことを言わないで! 他にも方法は、」
「ないよ」
リリィははっきりそう言った。助けを求めるようにエレナはヘレを見るが、彼女も目を逸らす。
「っ。私もクロスも神ではありますが、万能神であるゼースを倒す力はありません……。私はクロスを一度取り逃がした後、魔力もほとんど失っており……」
「でもっ、それじゃあ……!」
エレナは膝を崩した。嫌だ嫌だと子供のように首を横に振った。
リリィがそんなエレナの頭を撫でる。
「エレナ、僕、皆を守るね」
「~~~~っ!」
エレナは何も言えなかった。黙ってリリィの小さな身体を抱きしめた。そんな彼女の様子にリリィは一言だけ、「ありがとう」と呟く。それはそれは幸せそうな笑顔で、エレナの抱擁に応えるのだった……。
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