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130:エレナへ
──思えば、下ばかり向いていた余が前を見るようになったきっかけはエレナだった。
『ノームは落ちこぼれなんかじゃないよ。堂々としていればいい。貴方はとっても素敵なんだから!』
その一言が、どれだけ余の心を救ったか。前を向くな、顔を見せるな、落ちこぼれめ。憧れだった父上にそう言いつけられた時、余の心は死んだも同然だったと思う。
だがエレナは、母上に心配させまいと必死に隠していた余の傷ついた心をあっさりと丸裸にして、理不尽を前に怒ることすら諦めていた余の目を覚まさせてくれた。
余はエレナが好きだ。愛している。この世の中で一番、誰よりも。
だから、エレナが全てを懸けて神の蘇生に望むなら、余もそれに従おう。
余は、エレナに向けて手のひらを掲げ、こう叫ぶ。これからエレナと共に歩んでいく未来を、守るために。
「──エレナに!!」
***
『じゃあ私と仲良くしましょう! 友達になりませんか? サラマンダー殿下』
兄上を散々馬鹿にし、兄上から女を横取りしようとした俺に、エレナがそう言って手を差し出してきた時は耳を疑った。
挙句の果てには俺の誕生日パーティだと? 十二人もの兄を殺した俺にそんな価値はないというのに!
だが、どうしようもなく嬉しかった。こんな俺でも生きていていいんだと認めてくれた愛しい女。
……そんなエレナに、どうして惚れずにいられようか。
俺はこの先、エレナと兄上の行く末を死ぬまで見守る。それが俺と共に罪を背負うと言ってくれた二人への恩返しだと信じて。
エレナにも兄上にもこの国にも、ここで死んでもらっては困る。だから、
「──エレナに!!」
俺の掲げた手のひらから深紅の光が真っ直ぐ伸び、エレナの光に溶け込んでいった。
***
『──ウィン殿下、逃げましょう!』
そう言って、聖女のくせに僕を国から連れ出そうとするエレナに心臓が昂ったのは今でもはっきり覚えている。
白髪の聖女に選ばれた途端、城に誘拐され、周囲に頼る人間もいない中で厳しい王妃になるための教育を強制されて……。一人、夜中に泣いていたエレナに声を掛けなかったことを今でも後悔している。
それだけじゃない。その上、僕は父上に逆らえずに言われるままにエレナを処刑しようとした。エレナの心を深く傷つけてしまったんだ。
時を戻せることなら、あの時の僕を殺してでもエレナを救いたい。でも、それは不可能なことなんだ。それに今のエレナはとても幸せそうに見える。故に僕は──これからもエレナの笑顔が絶えないように、見守るだけ。僕ができることは、それだけ。
だから、僕は魔力を彼女に渡す。彼女の負担を少しでも減らせるように。彼女の笑顔を守る手伝いをするために。
「──エレナに!!」
***
『──だからこそ、私は貴方を必要とするよ。破壊するためじゃない、救うために、守るために、貴方の力を貸してほしい! 悪魔サタン。これからも私の相棒として、私の中にいてくれないかな?』
生前では自分の光さえ自らの手で破壊したこの私を、友と呼んでくれる物好き。それが光だった。
それだけじゃない。その上、エレナは私を戦う道具として扱わなかった。気に入らないものは全て破壊してみせるこの力を、彼女はなんと誰かを癒すために使ったのだ。
まさかこの私が誰かを救うための力になれるとは思わなかった。
私に新しい道を与えてくれた恩人。そんな恩人が目の前で今、一生懸命戦っている。
ならば私も応えよう。君が求めた力を好きなように使うがいい。
君にはその権利があるのだから。
「──エレナに!」
***
『貴方の呪いはどうしようもない絶望から逃げることができなくなる恐ろしいものだよ。でも、それは言い換えると──諦めない限りは挑み続けることができる最高の奇跡に他ならない』
『だからベルフェゴール、一度は全てを諦めてしまった貴方だけれど、今度は『諦めたくない』と足掻く誰かを救ってみない? 私と一緒に!』
嗚呼、我が友よ。君の言葉はいつだって吾輩を救い上げてくれる。まさか悪魔になって、君との再会を果たすとは思わなかった……。
生前の友を見ていたから分かる。エレナ様は例え周りが止めても、自分の命を落としてでも誰かを救おうとするお方だ。だから、吾輩が守らねば。
生前のように、もう二度と友を失わないように。
「エレナ様に!!」
***
我は魔族達の期待に応えるために完璧で絶対的な魔族の王を演じていた。本当は、悪夢にうなされるほどには我も人間達が恐かったのだ。だが、それを理解してくれる者はいない。これからも。……そう思っていた。
エレナを処刑場から救った時、我は「家族が欲しい」という、我と同じ願いを持つエレナに興味を持った。彼女ならもしかしたら我の孤独を分かってくれるかもしれないと。結果、エレナは我が悪夢にうなされれば、手を握って寄り添ってくれた。こんな醜い骸骨頭の化け物を父と呼んでくれた。
我は、幸せだった。だが、だからこそ怖くなったのだ。
我は生まれた時から親はおらず、同じ種族の者もいなかった。闇魔法という異質な能力と神にも届きそうな膨大な魔力が眠っているこの身体はどうして生まれたのか。我は何者なのか。それが分からない以上、我はいつしか我ではなくなり、エレナやテネブリスに牙を剥くのではないかと恐れていたのだ。
……だから、我の正体を知ろうとした時、内心冷や汗が流れていた。エレナに嫌われてしまうかもしれないと思ったから。だが、エレナは、
『大丈夫。私は貴方がどんな存在だったとしても、離れない。貴方が私のパパであることは変わらない!』
そうあっさり言いのけた。
本当に親として情けない。娘を信じてやれないなんて。
エレナ、本当に有難う。我は、もう数えきれないくらいお前に救われている。だから少しずつ我も恩を返そう。お前の幸せは絶対に我が守る。絶対にだ。
「……エレナに!」
***
「おい! 見てみろよ! シュトラールの方で黄金の柱が見えるぞ!」
アドラメルクのその一言でテネブリス城の屋上にいた全員がそちらを見た。
既にカイニスはアスモデウスの子供達よって弄ばれており、気を失っていた。そんな中、突然見えた光の柱の正体を一同は一瞬で理解した。
「……エレナ様ね」
リリスがそう言うと、周囲のゴブリンもうんうん頷いた。
「ああ、エレナ様が戦っておられる! しかしあの量の魔力! エレナ様のか弱い身体に耐えられるはずがない!」
アムドゥキアスがそう顔を真っ青にするなり、竜化する。それを止めたのはアスモデウスだ。
「アム、やめなさい」
「何故だアス! エレナ様が死んでしまう! 止めに行かねば!」
「エレナだってそれは分かってるわよ! そんなに馬鹿な子ではないでしょう! つまり、覚悟の上だということ。それを止める行為は彼女に失礼よ。それにアタシ達は陛下に城を守れと頼まれているの」
「で、では一体どうしろと!」
アムドゥキアスが歯を食いしばる。一同がもどかしい気持ちでいっぱいになり、黙り込んだ。
──と、ここで動き出したのはリリィの一件以降テネブリス城に住み着いていたサラだった。
「頑張れぇー!! エレナぁ!! とにかく頑張れぇー!!」
腹から声を出し、黄金の柱に向かって叫ぶ彼女に一同はポカンとした。
しかし一人、また一人とサラに賛同する者達が声を上げていく。
「頑張れ、エレナ様! いけぇ!」
「エレナ様なら大丈夫だっぺ!! 頑張れー!! 俺達がいるっぺ!!」
そのまま城の魔族達全員が黄金の柱に向かって声を張り上げることになった。
必死に声を張り上げるサラの横に並ぶアスモデウスは口角を上げる。
「……やるじゃない、サラ。褒めてやるわよ」
アスモデウスの言葉にサラは頬を赤らめて、歯を見せて笑った。
***
(凄い、魔力……)
エレナは驚いていた。最初こそは鋭い痛みを伴っていた蘇生魔法だが、外からの魔力が大量に届くおかげで負担が減り、比べ物にならない程に楽になっていた。
(それもこれも、皆のおかげね。これで思いっきり、魔力を回せる!)
皆から送られた魔力に負けてられないとエレナは大きく息を吸う。既にウィンを蘇生させた時よりも遥かに強い光がデウスを覆っていたが、もう一息だ。
(お願い、デウス! 蘇って! 皆の想いを、受け取って──!!)
「──蘇れぇ!!!」
ピクッ。
その時、確かにデウスの指が動いた。いち早くそれに気づいたのはセロだ。セロはデウスの顔を覗き込む。
「おい、デウス! デウス!?」
何度も何度もそう叫ぶ。その声に応えるようにデウスは──瞼を、開けた。
弟と目が合った瞬間、セロはどうしようもない感情が瞳からさらに溢れていった。
「……あに……うえ……」
「────っ!」
その四文字を、この数百年間どれほど待ち望んだことか──。
セロはデウスの頬に己の頬を摩りつける。
「デウス、デウス、よかった、デウスゥ……」
「……はは、あにうえ……はずかしいよ……」
「デウス、」
デウスに寄り添う影がもう一人。彼の母親である女神ヘレだ。ヘレはセロ──いや、クロスとデウスを優しく抱きしめ、二人の頭部に頬ずりした。
「嗚呼、嗚呼……。どれほどこの日を待ち望んだことでしょうか……。至らぬ母でごめんなさい、ごめんなさい……」
ヘレはひたすら謝った。クロスもデウスも何も言わない。ただ泣きながら、彼女の気が済むまで謝罪を聞いていた。
すべて、終わった。
エレナはそれを理解するとようやく身体の力を抜いたのだった……。
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