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131:決着
「エレナ、本当にありがとう」
先ほどの雷雲はどこへ行ったのやら。デウスが目を覚ますなり、空はあっという間に晴天に変わっていた。
エレナは地面に寝ころんで、ノームに膝枕をしてもらいながら、ヘレの言葉を受け取る。
「えへへ。私の方こそ、ずっと私のことを見守ってくれてありがとうね、ルー。……あ、今は女神ヘレか」
「ルーでいいわ。この名前、気に入っているの。貴女が私に最初にくれた名前だから」
エレナはこの時、少し安堵していた。姿形は変わっても、確かにそこにルーがいる。そう感じたからだ。
「ルーはこれからどうするの?」
「デウスを一人で天界に置けないわ。権能だって結局デウスに集約されているし……。一つ一つ複雑に絡み合った権能を解いていって、新しくそれぞれの神々を作るしかないわね」
「あ、あははは……。そんな、御伽噺みたいな……。神様のことってやっぱりよく分からないや」
「分からなくていいわよ。分かって得することでもないしね。──それはそうと、貴方はこれからどうするの?」
「…………、」
ヘレが声を掛けたのはこっそりその場を去ろうとしたクロスに向けて、だ。
クロスは気まずそうに目を逸らす。
「……僕はもう、堕落してるから……」
「だからなに? 貴方が天界にいていいのかどうか、決めるのはもうゼースじゃないのよ。ここにいる万能神デウスなんだから」
「もっちろん! 兄上も天界にいていいよ! 僕の自慢の兄さんだもん!」
今までのイメージと違って、蘇ったデウスは少年らしく大きく歯を見せて笑う。これが本当の彼なのだろう。恩恵教の聖典に描かれているデウス像を彼が見たらきっと大笑いするに違いない、とエレナは密かに思ったりした。
そんな彼にクロスは照れ臭そうに髪を掻きむしった。
「いっ、今はお前らとは一緒にいれない。友達と約束したんだ。それを果たさないと」
「友達? 兄上、友達がいたの!?」
「し、失礼な! 友達くらいいるさ!」
「……それって、その身体の主のことかしら?」
ヘレの問いかけにクロスは頷いた。エレナとノームはその会話に目を合わせる。
クロスの今の身体の主……それは風の勇者シルフのことだろう。彼は強引にシルフから身体を奪ったのだと解釈していたのだが、どうやら違ったようだ。
「そうだよ。こいつは母上に半身を切られて弱った俺に身体を貸してくれた。こいつ自身、病弱でどこにも行けなかったから……僕がこの身体を借りる代わりに、世界を見せるって約束したんだ」
「……そう。いいお友達ができてよかったわね。いつでも天界に帰ってきなさいな」
……と、ここでクロスは苦虫を噛み潰したような顔でエレナを見る。キョロキョロと目を泳がせ、もじもじと身体を揺らす彼は今までの原初の悪魔とは似ても似つかない。
「僕は謝らない。マモンのことも、お前に色々したことも。どうせ謝ったって許されることじゃないって分かってるからだ」
「…………、」
「だからっ! その……僕の友達に借りを返した後、僕は天界に帰る。そして僕は僕が殺した人間達の魂全ての行く末……来世を見守ることにする。同時にハーデスの裁きを受け、定められた罰に従うつもりだ」
エレナは黙ってクロスの言葉を聞いている。一言一句、聞き洩らさないように。
「それと──弟を救ってくれて、ありがとう」
クロスはそういうなり、さっさと消えてしまった。きっと照れ臭かったのだろう。
エレナは一生彼を許すことはない。だが、これ以上彼を責める気もない。
今の彼がもうエレナの大切なものに牙を剥く気がないのは分かりきっていることだ。
「では、私達もそろそろいかないとね。天界をこれ以上留守にすると世界の秩序がおかしくなっちゃう」
ヘレはそう言うと、デウスと共に黄金の光に溶け込んでいく。
きっとこの光が消えた時を最後にエレナはもう彼女に会うことはないだろう。それを理解しているから、エレナはまた涙を浮かべる。
「ルー、もう、私達は……」
「大丈夫よ、エレナ。その金髪は私の加護の証。ずっと見守っているわ」
ちゅっ。黄金の髪のカーテンがエレナの顔を包む。ヘレがエレナの額にキスを落としたのだ。
ヘレの瞳からエレナの頬に、一筋の涙が落ちた。
「大好きよ、エレナ。私の大切な親友」
「……うん、私も。ありがとう。大好きだよ、ルー! ずっと!」
ヘレの黄金の光は、そのまま何もなかったかのように消えていった。最後にデウスの「バイバイ!」という元気な挨拶だけを残して。
(……いなくなっちゃったな。長年付き添った親友も、弟も)
エレナの手には錆びた剣が握られている。ヘレ曰く、それはリリィの成れの果てだという。形に残っただけでも感謝するべきなのだろうか。エレナはそれを胸に抱きしめた。
あのリリィの柔らかな肌の感触は、もうない。
「エレナ」
「なに? ノーム」
「結婚するか」
「────、」
──はい??
途端にその場にいた全員がノームに注目する。エレナも思わず涙が引っ込んでしまった。魔王、ベルフェゴールに至っては今にもノームにとびかかりそうな勢いである。
「はっはっはっ! なんたって余はエレナと約束しているからな! 戦いが終わったら結婚しようと!」
「ちょっと待って。互いに結婚する年齢に達したらって条件つきだったよね?」
「ちっ、覚えていたか」
「覚えてるよ。……大好きな人からの告白なんて、忘れられるわけないでしょ?」
「っっ──!! え、エレナぁ!」
ノームは堪らずエレナを強く抱きしめ、顔を近づけた。すかさず「このスケベ!」とサラマンダーがエレナからノームを強引に引き剥がす。
それをきっかけにバレンティア兄弟で喧嘩が勃発したのだが……その隙に「もう用は済んだだろう」とちゃっかり魔王がエレナを横抱きにする。エレナは逞しい父の腕の中で、ニッコリした。
「さぁ、エレナ。これからやることは山ほどあるが、ひとまずお前は回復するべきだ。帰ろう。我が家に」
「──うん!」
親友も、弟もいなくなってしまったのは事実だ。
だけど、笑って帰ろう。ルーもリリィも、傍にいなくなってしまっただけで、消えたわけではないのだから。
──少なくとも、エレナの髪が黄金に輝く限りは。
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