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132:十年後
口を押さえて、息を潜める。
〝鬼〟の気配がした。
すぐ傍に、いる。足音が近づいてくる。
逃げ場はない。
──もう、これは……。
「──みつけたぞ、エマ!」
鬼にしては、相応しくない少年の高い声。
鬼に捕まった少女──エマはその柔らかい頬を膨らませた。
「もう、リュカが鬼だとつまんない! かくれんぼなんてもうやめた!」
「あ、おい! ずるいぞエマ!」
「ふーんだ! ルナ!」
エマが叫ぶと、名を呼ばれたエマの相棒である子ドラゴンのルナが草むらから飛びだしてくる。
湖のような透明感のある皮膚を持つルナがエマの前にしゃがむと、エマは元気よくその背に乗った。
そして飛び立つ。
「ルナ、おじいちゃん達のところまで行って!」
「ぎゃーうっ!」
「おいっ! ずるいぞっ!」
エマとかくれんぼをしていた彼女の幼馴染であるリュカはそんなエマの後ろ姿にため息を吐いた。
ルナとエマが再び地に降りた先は木々が避けて出来た星型の広場。
その中心には切り株のテーブルでのんびりお茶をしている妖精と──この森に囲まれている魔族の国「テネブリス」の王がいる。
王は人間達から〝魔王〟と恐れられている原初の悪魔の半身。
──否、だったというのが正しいのかもしれない。
十年前、彼の娘でありエマの母親であるエレナ・フィンスターニスがシュトラール王国の妃になってからは彼の悪評は少しずつ落ち着いてきたからだ。おかげでテネブリスと人間の国との国交も夢ではないと確信できるほど事は進んでいる。
そんな魔王を見て、エマは満開の笑みを浮かべた。小さな身体を思いきり動かして、彼の足に抱きつく。
「──おじいちゃん!!!!」
「おぉ、我が愛しのエマよ。どうした」
魔王という名には似つかわしくない優しい手がエマの頭を撫でた。そのままエマの身体を抱きあげ、己の膝に乗せる。巨大な魔王に比べると、乗っているエマの身体が小動物のようであった。
「リュカとのかくれんぼはすぐ終わっちゃうからこっちに来ちゃった」
「ちぇっ、なんだよ。かくれんぼしたいって言ったのはエマの方だろ」
後から追いついたリュカが広場に着地し、背中に生やした竜の翼を畳む。
彼は竜人と人間のハーフであり、翼を生やしたり竜の姿に変化することが可能なのである。
「はは、拗ねるなリュカよ。今日はオリアス達が所用でエマと遊んでやれないからな。遊び相手はお前しかいないのだ。それにお前だってエマのことは好きだろう?」
魔王と共に紅茶を嗜んでいたドリアードがそう茶化すと、リュカの顔が真っ赤に染まった。
「なっ!? お、俺は、そ、そそそんなんじゃ、ねぇし!」
「ふふふ、分かりやすいやつめ」
「エマ、マンドラゴラクッキーをやろう」
「わーい、おじいちゃんありがとう!」
魔王に愛でられ甘やかされるエマを見て、リュカは「大体皆こいつを甘やかしすぎなんだ」と小言を洩らす。
しかしその時だ。
テネブリスの中心にそびえ立っている魔王城から誰かが飛んでくる。それは魔王の右腕であるアムドゥキアスだった。
「魔王様! エレナ様から伝言バードが! もうすぐ暗くなるからエマ様をシュトラールに帰らせるようにと」
「もうそんな時間か……」
「それとエマ様にも伝言が。今、サラマンダー様がシュトラール城にいらっしゃってるようですよ」
「え!? サラマンダーが!? 分かった、すぐ帰る! アム、ありがとう!」
エマは一瞬乙女の表情を浮かべると、さっさとルナに乗ってシュトラールへ向かってしまった。
残された魔王は一抹の寂しさを感じながら、紅茶を啜る。そんな魔王をからかうのはドリアードだ。
「ははは。今のエマの顔を見たか、魔王殿? どうやら娘と孫をあのバレンティア兄弟にもっていかれるようだぞ?」
「……エマは嫁にはやらない。絶対にだ」
「エレナの時も同じようなことを言っていたな、そういえば」
「わ、私も反対ですよ! エマ様はまだ五歳です! け、け、結婚なんてっ!」
アムドゥキアスは憤慨する。
そんな大人達の会話にムスッと不機嫌になるリュカ。アムドゥキアスはリュカの様子に気づき、やれやれと肩を竦める。
「それはそうと、リュカ。お前の父親は一体どこをほっつき歩いてるんだ。サラ殿の聖遺物集めを手伝うって言ったっきり一か月は帰って来ないじゃないか」
「さぁ? 二人で旅行のつもりなんだろうよ。いつまで経っても新婚気分なんだ。心配しなくてもそのうち帰ってくるよ、アム叔父さん」
「はぁ……、あの馬鹿……」
アムドゥキアスは自由奔放な弟夫婦に大きくため息を溢した。
***
──一方その頃、かの大国シュトラール王国にもアムドゥキアスと同じくマイペースな弟に振り回されている人物がいた。
「サラマンダー、余は怒っている」
「あぁ? なんでだよ。報告書はちゃんと書いただろ」
「そうじゃない! どれだけ長く城を離れていると聞いてるんだ! お前は今回、半年も国の視察で城にいなかったんだぞ!! ……あのなぁ、余らは兄弟なのだぞ? たまには二人で酒でも交わそうと思わっ」
「はいはい。分かってるよ。ま、次の機会にでも。じゃあな、ノーム陛下」
「おい、サラマンダー!」
シュトラール城の玉座の間でそんなやり取りが繰り広げられていた。玉座の間にいる従者達は「いつもの兄弟喧嘩か」「なんだかんだで仲いいよな、あの二人」とヒソヒソ話している。
ガミガミ後ろからうるさい兄を無視して、サラマンダーは玉座の間を出た。
「まったく、いつまでガキ扱いするんだよっての」
「何歳になっても心配なのよ。分かってあげて」
ピタリ。まさか自分の独り言に声が返ってくるとは思っていなかったサラマンダーは思わず足を止めた。
すぐ目の前の曲がり角から見慣れた金髪の女性が現れる。久しぶりの彼女にサラマンダーはぷいっと目を逸らしてしまった。
「なんだ、いたのか。神の蘇生を果たした我らが“伝説の聖女様”」
「ちょっと、その呼び方やめてくれる? 神の蘇生以来、私の物語が大袈裟に劇になったり、本になったり、本当に困ってるんだから! 私は仮にも義姉なんだからね!」
「勘弁してくれ。うるさいのは一人で十分だ、エレナ」
サラマンダーの軽口にクスクス笑うエレナ。少女のような彼女の笑みに思わず見惚れてしまう。尤も、長年培ってきたポーカーフェイスのおかげでエレナがそれに気づくことはないのだが。
「それにしても、もう城を出るの? もう少しゆっくりしてもいいんじゃない?」
「いや……。今回は枢機卿を通じてウィンから依頼がきた。スぺランサ東部に聖遺物を利用して反乱を起こそうと考えている馬鹿なやつらがいるらしい」
「まぁ。ウィン陛下が? 貴方に頼むってことは相当切羽詰まってるのね。力になってあげて。頼むわよ、サラマンダー。危なくなったらすぐに帰ってきなさい」
「……。……あぁ、分かってるよ」
サラマンダーはエレナに振り向かず、ヒラヒラと手を振る。
その後エレナの気配を感じなくなった途端、サラマンダーはその場にしゃがみ込んだ。
「──はぁ、年とる度に綺麗になってんじゃねぇよ……」
彼のため息交じりの呟きは誰の耳にも届かない。
すぐに小鳥のような高い声にかき消されてしまったからだ。
「サラマンダー! サラマンダー!」
逞しいサラマンダーの褐色の腕に飛びつく少女が一人。そう、テネブリスから帰ってきたエマである。
サラマンダーはキンキンと響くエマの声に思わず耳を塞いだ。
「よぉ、ちびっこプリンセスじゃねぇか」
「もぉ! その呼び方はやめてよ! 私はもう立派なレディなんだから!」
「五歳児が何を言ってるんだか……」
エレナと同じ金髪にノームの藍眼を受け継いだ彼女にサラマンダーは振り回されっぱなしである。
彼の苦労もお構いなしに、エマはサラマンダーの腕を振り回す。
「ねぇ、サラマンダー! 約束、覚えてる?」
「あ? ……あぁ、あれね。お前が大きくなったら俺の旅に連れてってやるっていう」
「そうそれ! 忘れないでよ! もうちょっと大きくなったらきっとパパの許可もおりると思うの! あと一年くらいしたら!」
──いや、絶対にそれはない。
カンカンに怒るノームの顔を想像し、サラマンダーは心の中で突っ込んだ。
エマは城を出るサラマンダーを見えなくなるまで見送った。頬をピンク色に染めて、ブンブンと手を振りながら。サラマンダーはそれに適当に返しながら、歩んでいく。
──まぁ、どうせ子供の言うことだ。適当に流しとけば、そのうち忘れるだろう。
だが、サラマンダーは知らない。
さらに十年後、本当にしびれを切らしたエマが彼の旅に強引についていくことを。
そうすれば、彼が初恋の女性にそっくりな少女にさらに振り回されることになるのは言うまでもないのである。
<了>
***
完結です。二年半、ありがとうございました。
今後、誤字修正等の更新はするかもしれませんが、このお話は終わりです。
それでは、またどこかで。
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