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26:落ちこぼれ王子
「──咲け!!」
エレナが叫ぶ。エレナの金髪や皮膚から霧のようなおぼろげな黄金色の光が滲みはじめた。全身の血管が張りつめているような魔法発動時独特の感触にエレナは耐え続ける。
「……っ、……ん、はぁっ、ふ、」
エレナは今、魔力回路の強化のための修行中である。治癒魔法をより極める為には体力増強と魔力回路の強化、この二点が欠かせない。前者の特訓として長距離走、後者の特訓として“魔花法”をエレナは約半年間欠かさずに行ってきた。
ちなみに魔花法とは魔花という魔力回路の通った植物の苗に魔力を送り込んでなるべく早く咲かせるというもの。送り込んだ魔力量によって咲いた花の大きさも変わり、成長の過程が分かりやすいので、魔族の基本的な修行方法である。
しかしこの魔花法、簡単なようで長距離走よりもずっと辛い。動いていないというのに息が弾み、汗が頬を伝う。しかし気を緩めることは許されない。集中して、集中して、集中して──
「──エレナ! 余が! 来たぞ!」
「!? うわっ!?」
エレナは突然自分の意識に割り込んできた声に飛び跳ねた。ぐぐぐ、と大きくなりかけていた苗がしなっと萎える。エレナは顰め面で振り向いた。案の定、つい最近友人になったばかりのノーム・ブルー・バレンティアがニコニコして首をこてんと傾げている。
「ドリアードがエレナはここだと言っていたからな。治癒魔法の修行をしていたのか?」
「見れば分かるでしょっ! もう、また最初からやり直しじゃない! せっかくいい所まで集中できたのに!」
プンプン怒るエレナにノームはしょんぼりと肩を落とした。エレナはそんなノームに少しだけ罪悪感を覚え、「それで、何の用なの?」とノームの方を向く。ノームはかまってもらえたのが嬉しかったのか嬉しそうに口元を緩めた。
「遊びに来たのだ! 余は、エレナの友人だからなっ!」
友人。その言葉をやけに強調するノーム。きっと今までろくな友人なんていなかったのだろう。エレナも少し前までは友人がいなかったのでノームの気持ちは理解出来る。しかしそれにしても、だ。ノームはエレナと友人になった日から毎日テネブリスを訪れている。そんなに頻繁に一緒にいれば、城の魔族達に誤解されてしまう。実際にコック長のドワーフ──アドラメルクやマモンから既にノームとの仲を揶揄われ始めているというのに!
「ねぇ、王太子って暇なの? 貴方、テネブリスに来すぎじゃない? 怒られないの?」
「いいんだ。父上も召使い達も余の事よりも弟のサラマンダーにつきっきりだからな。母上の許可ももらっているし、すべき事は全て終わらせた上でここに来ている」
「そ、そう」
「……もしや、迷惑だったか?」
不安そうな声色。エレナは首をブンブン横に振った。そんなエレナに分かりやすく安堵するノーム。エレナはどこか今のノームに既視感があった。
(──ああ、そうか。パパに出会う前の自分に似ているんだ。自分は孤独ではないと、必死に知らないフリをしてきた自分に。何よりも、誰よりも──)
「──独りになるのが、怖い?」
「!」
ノームの身体が揺れる。瞳はその長い前髪で見えないが、きっと行き場を失って泳がせているんだろう。そういえば、とエレナは思い出した。ノームがいつも自分の事を落ちこぼれだと言っていることを。彼はどうやらシュトラール城の中で居心地が悪い立場にいるらしい。エレナには、その原因に心当たりがあった。
(多分、ノームの弟──サラマンダー・ブルー・バレンティア殿下だろうな……)
そう、ノームにはサラマンダーという弟がいた。深紅の髪に黄金琥珀の瞳を持つサラマンダーはエレナの元婚約者であるウィン・ディーネ・アレクサンダーと同じ大天使の寵愛を受けた勇者である。ちなみにウィンは大天使ガブリエルの加護を受けた“水の勇者”。サラマンダーは大天使ウリエルの加護を受けた“炎の勇者”。加護を受けた大天使によって魔法属性が異なるのだ。
そしてそのサラマンダーをエレナは見かけたことがある。ウィンと共にシュトラールとスペランサの親交パーティーに参加した時だ。ノームは会場の隅の方で大人しくジュースを啜っているような少年だった一方でサラマンダーは数多くの令嬢に言い寄られて得意げな態度だった記憶がある。
(確かに勇者っていう肩書は貴族の令嬢や他国の姫達からしてとっても魅力的なものだろう。加えてサラマンダー殿下はウィン様に劣らない眉目秀麗の美青年。私がウィン様の婚約者だった時も令嬢達の嫉妬の目が怖かったし、第二夫人でもいいから~っていう求婚の手紙も届いていたみたいだしなぁ)
(でも自分を過信して人を見下しているようなサラマンダー殿下の態度が私はあまり好きになれなかったんだよなぁ。あの感じからして、城では好き勝手やってるんだろう。そりゃノームもコンプレックスになるわけだ……)
エレナは黙り込むノームの頭を優しく撫でた。ノームが顔を上げ、素っ頓狂な声を出す。
「え、エレナ? 何を……っ、」
「労わってるの。今まで苦労してきたんだろうなって。……友達なんだしさ、色々話聞くよ?」
「!」
ノームはエレナの手を拒否しなかった。ゆさゆさと撫でられるままに頭を揺らしつつ、口を開く。
「──お前の言う通りだよ。余は、独りになるのが怖い。正確にはまだ独りじゃないんだ。余には母上がいるからな」
「え?」
まだ独りではない。その言葉に引っかかりを覚える。
「母上はその、まぁなんだ……病気みたいなものでな。恐らく、先は短い。城の医者もお手上げ状態らしい。日に日に弱っていく母上を、余はもう見ることが出来なくて……今日も逃げるようにここに来たんだ。エレナ、以前余はお前に『一刻も早く魔王を殺さねばならない』と言ったな?」
「う、うん」
「それは母上が眠る前にどうしても手柄を立てたかった。母上はいつも余が城で煙たがられているのを嘆いているからな。少しでも母上の心残りを失くしてあげたかった。魔王を殺せば、父上も余を認めてくれると思った」
「……シュトラール国王とも仲が悪いってこと?」
「まぁな。父上とは食事も一緒に取ったことはない。正確に言うなら取らせてもらえない。父上は余と母上を嫌っているらしい。……この前髪だって、父上から余の瞳が気に食わないからと言いつけられたものだ」
「あぁ、だから前髪伸ばしてるんだ」
ノームが前髪を弄りながら、「見えづらいけどな」と苦笑した。エレナはその時、自分の中でムズッと好奇心が蠢いたのを感じる。さりげなーくノームに近づき、その前髪に手を伸ばした。
「わっ」
「なっ、なにするんだエレナぁ!」
「──っ!?」
その時。エレナは思わず固まってしまった。何故なら──
──前髪を押し上げて、現れたノームの瞳があまりにも美しかったから。
(まるで、二つのネオンブルーの宝石に覗きこまれているみたい……)
エレナは思わずノームの両頬を両手で挟んでそれを凝視してしまう。虜になってしまったように、目が離せなかった。隠されていた瞳が現れたことで、その整った顔立ちが明らかになる。凛々しい眉も、彼の美しさを強調する飾りであった。エレナはぽぽぽ、と顔が熱くなる。しばらくそのままノームに見惚れていれば、彼が堪らなくなってエレナから顔を逸らす。その時にやっとエレナが我に返った。慌ててノームから離れる。エレナ同様、ノームの褐色肌の頬にも桃色が色づいていた。
「い、いいいきなり、人の目を凝視するやつがあるかっ! それも、あんなに顔をちっ、近づけてっ」
「ごめんごめん。あまりにも瞳が綺麗だったから。シュトラール国王ってそんな瞳の色じゃなかったよね? お母さん譲り?」
ノームは小さく頷く。どうやらノームが前髪を伸ばしていたのは、シュトラール国王がノームの母を思い出してしまうからなのだという。さらに聞けば彼は病気のノームの母の見舞いに一度も来た事がないらしい。
「なにそれ! なんて最低な国王なの!」
「まぁ、母上も父上の事があまり好きではないようだから、見舞いは来てほしくないだろうがな」
「お互いの事が嫌いなのに夫婦、かぁ。どこも同じようなものなのね」
エレナはぼんやりウィンの事を思い出しかけたが、気分が悪くなりそうなので慌てて首を振って掻き消した。
「ノーム、前髪切りなよ。そんなお父さんの言う事聞かなくていい。前髪切ったらノームだってサラマンダー王子に負けない超絶美形だよ! 私が保証する! せっかくお母さんからそんな素敵なもの貰ったんだから、堂々としていなくちゃ!」
「! ……エレナは、余の瞳が好きなのか?」
「うん、好きだよ」
エレナははっきりとそう言った。本心だからだ。それに心から、ノームが城で不遇であることを怒っていた。ノームの手の平に咲いているマメや筋肉質な身体から彼なりに努力しているのは明らかだというのに、彼の本来の魅力と長年の努力が認められていない環境には腹が立つに決まっている。
「ノームは落ちこぼれなんかじゃないよ。堂々としていればいい。貴方はとっても素敵なんだから!」
「エレナ……」
そんなこと言ってくれるのは、母上とお前だけだな。
そう言って照れくさそうに微笑むノームの表情は、「自分は落ちこぼれだ」なんて溢す時よりも何千倍もいいとエレナは思った。
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