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33:諦めたくないもの
冥界へと続く道を進んでいけばいくほど、鋭い冷気がエレナ達を容赦なく襲った。エレナとノームはルーを真ん中に身体を寄せ合って進む。辺りは薄暗く、規則的な間隔で飾られている灯りだけが頼りだった。壁には相変わらず煤だらけの骸骨。時々、蛇が地面を這いずっているような不気味な物音も聞こえてくる。道の先は見えない。延々と続いているような、そんな予感さえするほどに。
「……、……っ、」
「エレナ?」
エレナの歩く速さが徐々に遅くなっていく。ノームはそんな彼女の異変に気付いた。
「大丈夫か? どこか気分が悪いのか?」
「いや、ごめん。なかなか先が見えないから疲れちゃっただけ。気分が悪いとか、そういうのは……」
──と、その時だ。
狼の咆哮がエレナとノームの背後から木魂した。二人の心臓が一気に暴れ出す。数匹の獣の足音と、涎交じりの息遣いまで聞こえてきた。すぐそこまで、迫っている!
エレナが咄嗟に樹人の種を取り出して、呪文を叫んだ。そうすると今度は二人の樹人が現れる。道幅の為か、先程生み出した樹人よりも小さいものになっていた。追って来る獣達を食い止めること。エレナはそう樹人達に指示するとノームと共に先を急いだ。
「はぁ、はぁ、はぁっ、ふ、ひ、はぁ、ひ、」
「……っ、ひゅ、……っはっ、あ、」
走る走る走る。二人の行き先には残酷なほどに同じ道が延々と続いていた。……何十分、走り続けただろうか。ノームは突然視界の端にエレナが消えたことに気づく。見ればエレナが地面に這いつくばっていた。
「──エレナ!?」
「はっ……はっ……」
「きゅう!? きゅーう!」
ノームはハッと息を呑んだ。エレナの呼吸が明らかにおかしい。その華奢な身体も不自然に痙攣している。ノームはこの時ほど恐怖を感じたことはなかった。ルーは必死にエレナに向かって鳴いている。
「エレナ! おい、エレナ! 一体どうしたというのだ!!」
「…………っ、」
──しかし、獣の咆哮が再度聞こえてきた。エレナの作りだした樹人達が倒されてしまったのだろう。ノームは瞬時にエレナを横抱きすると、ルーと共に走り出す。走りながら、何度も何度もエレナの名を呼んだ。
「エレナ、おいエレナ!」
「……の……む……?」
「一体どうしたというのだ!? 魔法を使い過ぎたのか!?」
「た、ぶん、ちがう、とおもう……でも、なんでかな……どん、どんちからが、ぬけて、はぁ、はひゅ、ふ、はっ……っごめ、あしで、まといに……」
エレナの声が小さくなっていく。ノームは唇を噛みしめた。するとエレナが身を捻り、ノームの腕から自分で降りた。エレナの身体が地面に衝突する。
「──エレナ!」
ノームがすぐにエレナを抱えなおそうとすれば、エレナは「向こうに行って」とジェスチャーをした。意味が分からずノームは唖然とする。
「わたしをおいてって。……のーむは、さきにいって。わたしが、じかんかせ、ぎする、から……」
「おい、何を言っているんだエレナ! そんな状態でお前が何か出来るはずがないだろう!」
「のーむ、おねがい。こんな、めにあってるのは、ぜんぶわたしの、せい、だから。だいじょうぶ、わたし、きずとか、すぐなおるたいしつだし……」
「……っ、!!」
獣が近づいてくる。ノームは舌打ちをすると、強引にでもエレナを抱きなおした。エレナはそんなノームに瞳が潤う。
「の……む……っ! おいってってよぉ……っ、わたしが、わたしのせいで、わたしがここにいこうなんていわなかったら──」
「そんなこと言うな!! 余はお前がネクロポリスに行こうと言ってくれたことが嬉しかったんだ!! 言わなかったら、なんて言うな! それに余は絶対にお前を置いて行かないからなっ!!」
ノームの大きな声にエレナの身体がビクッと揺れた。ノームはハッとなり、すぐにエレナに謝る。そうしてエレナを抱えて走りながらも、彼は過去の自分に思いを馳せた。
──ノーム・ブルー・バレンティアは、「落ちこぼれ」であった。
とはいっても、彼が優秀ではないわけではない。むしろ勉学も体術も優れている方だ。そうだというのにどうして彼が周りからそう見られてしまうのか。それは、彼のコンプレックスでもある彼の弟サラマンダーにある。サラマンダーはノームより三歳年下の弟だが、彼がノームの前に現れたのはノームが七歳の時だった。どこで産まれたのかも、誰が母親なのかもわからない突然現れた第二王子に、ノームを含め王族貴族は動揺を隠せない。しかし、誰もその存在を非難することはなかった。
なぜなら、サラマンダーが勇者だったから。
シュトラール王国はスペランサ王国のように宗教国家ではない。しかし世界に四人しか選ばれないと言い伝えられていて、さらには魔法という未知の強さを操る存在は非常に魅力的であった。
──我が国の王太子は勇者だ! つまり我々は他国よりも優れているというわけだな!
──今の見た? 流石サラマンダー殿下の炎魔法! それにあの容姿の華やかさ! 彼こそ未来の国王に相応しいわ!
──え? あぁ、ノーム殿下? 地味で何も取柄のない落ちこぼれ王太子がどうかした?
そんな聞きたくもない言葉が、嫌でもノーム自身の耳に入ってくる。ノームは次第に俯いて歩くようになった。父も、城の従者達も、国民達も、勇者という肩書に心を奪われてしまっていた。ノームが必死に努力をしても、誰も彼を見ようとしなかった。誰も彼に期待を寄せていなかった。そんな周囲にノームは蝕まれ、それに慣れてしまったのだ。「自分は落ちこぼれだから」が彼の口癖になる。彼はいつしか理不尽や壁にぶつかっても、その一言でそれを乗り越えることすら諦めるようになった。
だが。
──エレナは、ノーム自身を見てくれた。自分を落ちこぼれではないとはっきり言ってくれた。素敵だと、堂々と前を向けばいいと言ってくれた。理不尽を怒っていいんだと言ってくれた。一緒に怒ってあげると手を差し伸べてくれた。
そんな彼女に、どれだけ救われたことか。
故に、ノームは走る。エレナを置いていくなんて選択肢はそもそも彼の頭の中には存在しない。
「エレナっ、余は、今まで何もかも諦めてきた! 自分は落ちこぼれだからとっ、自分自身すら諦めていたんだ! でも、それでもな、余は、余は──!!」
息が続かない。声が裏返る。それでも、ノームはエレナに言わずにはいられない。
精一杯の、恩人への感謝の言葉を。
「──お前だけは諦めたくないんだ! お前の隣にいる未来だけは、諦めたくない! そう思えるのはきっと、後にも先にもお前だけだって分かるんだっ! それほど余はお前に救われている! はぁ、はっ……だから、絶対に、余はお前を見捨てない。疲れたなら寝ていろ。ただしお前が目を覚ます時には、既に余がハーデスをボッコボコにしているけどな!」
「……、のーむ、」
エレナは何かを言い掛けたが、意識を失ったのか目を瞑る。ノームはそんなエレナに口角を上げ、ルーと並走しながら前へ進み続けたのだった……。
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