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日照りと炎症
歌の中でしか知らなかった植物、ユッカを初めて目にしたとき、ぼくはそれが本当に『植物』なのだと信じることができなかった。青々とした葉も、細く指にまとわりつく根も、たしかに植物のそれにしか見えなかったが、それでも。
これは山火事の痕にしか咲かない花なのだと聞いた。そういう説明文が図鑑に載っていた覚えはないが、きみが言うからそうなのだろうと満足した。大抵においてきみは正しくて、誤っているときもそれは全部きみのわざとで、つまりは嘘だ。どうして嘘なんてつくんだろう、とぼくはよく考えるんだけど、答えが出たことはない。本当は投資だけして、騙されて、そのまま死んでしまいたい。損をしたままで構わなかった。何にも気づかなくていい。
グラスのなかで揺れるコインを見ていた。鈍色で、からからと音がしている。鈴のような音なのにそれほど高くはない。気になるから振りたくなって手を伸ばしたけれど、どうしてもグラスの足を手に取ることができない。たぶん遠いんだろう、あるいは近すぎて訳が分からなくなっているのか。このグラスは人間の手におさまるように作られてはいない。
学校には頭があって、その頭蓋骨の隙間からわたしたちは通学している。トンネルの向こうにはきみがいて、手を振っている。その二の腕の骨が透けて見えている。従容として死に向かっている。岩山に花が咲くと、まるで軌跡が起きたような気がしてしまうけれど、そもそもそういう花だったんですよ、と言われるとちょっとガッカリする。でも、山火事の痕にしか咲かない花で、そういう特殊な生育をしているから、デボン紀も生き延びることができた――とかなんとか言われるとありがたくなる。ほんとうに現金な生き物だ。
水面はほんとうは下から見たほうが綺麗なんだけど、そういうのを展示する水族館はない。ていうか当たり前か、水面の美しさを下から見たいならダイビングにでも行ってくれってことなんだろうな。人魚姫の気持ちがとてもよくわかる。海面が世界の果てだと思ってたのに、その上にもずっとずっと殆ど永遠の空間があって、なんならまったく水のない大陸がこの世界に存在していて、そこではこのような建築や文化が花開いております。と、そこまで教えてもらっても、世界の果てを目指したくならないなんて生き物失格だ。理解できたのが人魚姫だけだっただけで、きちんと教えてもらえれば、深海魚だってきっと陸を目指す。なんて思うのはきっとぼくの傲慢なんだろう。
ドラマかなんかのお涙頂戴シーンで都合よくかならず雨が降るのは、専用の雨乞い女がいるからなんだよ、と教えてもらった。そうなんだ。ぼくは素直に納得しちゃったんだけど、後から考えたらそれっておかしいよね。べつに人工で雨を降らせる仕組みだって、人類はどうせ絶対発明し終わっているんだろうし、わざわざ雨乞いの女なんて必要ない。ともう一度大人に言ってみたら、もう仕方ないなあ会わせてやるよってことになり、ぼくはいま、見知らぬ女性とカフェドクリエでアイスティーを飲んでいる。あの、すみません、疑って。雨をどうもありがとう。感動をいつもありがとう。「そう言っていただけるのが一番嬉しいんですよ」と彼女は言った。あの、雨乞いってどうやってやるんですか、その仕組みは、と聞いたら彼女はルージュの唇にっこり歪ませ、「その程度のことを人類がまだ発明しきっていないとお思いですか?」なんて言った。
<了>
2020/02/24 即興小説 不条理系 15分
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