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うそとゆめ
嘘つき、ってあなたが言うたびに、シンク下にあるクマの形のパスタを一つ、盗んでいる。
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嘘なんてひとつも吐いてないよ、と言ったところでそれこそ嘘だとあなたは燃え上がるバーナーの炎みたいに苛烈に怒るんだろう、と予想がつく。どうにも胡散臭い顔をしていると言われるようになってからもう二十年程が経つ。逆算してみれば、すでに八歳の頃には友だちから「ちょっとずるい」と言われていた。なにがずるいの、と聞いたところで、級友たちもその表現がどうにもしっくり来ていないらしくうまく噛み下しができない。すごくずるいわけではない、らしい。彼らが語彙を身に付けるにつれ、「ちょっとずるい」は「信用ならない」になり、「変人ではないけれど偏屈」と変わり、最終的にはみんな「なんだか胡散臭い」という言い回しを覚えたようでここ数年は評価が落ち着いている。俺の言動や行動に問題があるというよりも、ちょっとした顔の表情や空気のなかで、俺は信用を失わせるらしい。彼らは子どもの頃からずっと、俺のことを「胡散臭い」と言いたかったのだ。
問題はこのさらっとした粘着きのない怪しさが、家族や恋人にも表現されてしまっていることだった。なにか言いたいことがあるの、と母親に聞かれるようになったのは十つの頃からで、以来その物問いは止まない。何人かできた恋人たちはいずれも、世情の常識というやつと照らし合わせ判断し必ず俺から告白した。だから一度は俺の「好きだ」を受け入れてくれたはずなのに、暫くすると「なんだか嘘っぽい」とか言いだす。いや、そうじゃないって、好きだって。と言ったところで炎に油を注ぐばかり。とくに今付き合っているサユリはこのへんの加減がとても難しく、俺がなにを言っても全く落ち着かないことが多い。いい加減愛想を尽かされるかなと思うのに、意外と別れ話にはならない。
「いや、ほんとに知らないって」
浮気を疑われていた。俺のコートに怪しいレシートが入っていたそうだが、覚えてないけど、それはいかがわしいお店のものなどでは絶対にない。そもそもああいう店ってちゃんとレシートとか出るんだっけ、ってそのあたり分かんないぐらい縁がないと伝えると、「さすがにそれは嘘」と言われた。風俗にまったく行かない男なんてサユリの中では幻想らしい。目の前にいるっていうのに。
あなたが怒って家を出て行ったり、風呂場に閉じこもったりするたびに、俺は溜息をついて、シンク下を開ける。しばらくしたら飯を作ってやるんだ、そうしたらシクシク泣きながら出てきて、よくわかんないけどごめんって言って終わりにする。浮気、したことになってるんじゃないか、と毎回不安に思うけど、まあ誤解をさせたことで哀しい思いをさせたのは事実なので、もう知らんけど俺は謝るんだ、そう決めたんだ。
何を作ろうかなあ、と考えながら、少しあなたの気持ちが落ち着くのを待つ。シンク下にはあなたの好きな、クマの形のパスタが入っている。それを一つ盗む。それが一回分のゆで量に達したら、おれはあなたにカルボナーラを作りたい。
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