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鶴が大きな船の上まで舞い上がると、目の前の女性は俺の手を引いて、ふわりと船に降り立った。彼女だけなら、まるで天女が空から舞い降りたかのような光景だろう。
俺の足が船に着くとほぼ同時に、大きな鶴は溶けるように姿を消していった。
「あ、あの……ここって……?」
「船が、そんなに珍しいですか?」
「い、いや……珍しくは……」
今の光景があまりに奇妙で、俺は思わず周囲をキョロキョロ見回した。
どう見ても船だ。それも和船。何かで読んだことがあるが、確か安宅船という大型船だ。甲板部分が少なく、屋形部分が設けてあり、船の側面には鉄板などをつけている軍船……だったはず。今俺たちがいるのは、その屋形部分の屋根のあたりらしい。船の全景が見渡せる。
だけどその船が浮かんでいるのは、海じゃなくてどう見ても空。いつの間にか飛行機か飛行船のようなものに乗っていたのかとも思ったが、目の前の女性が身に着けているのはどう見ても和装。おそらく、戦国時代あたりの女性が身に着けていた小袖というものだ。
どう見ても、すべての要素が噛み合わない。何より、最初に俺が見た彼女は、あり得ないことをしていなかったか?
「あ、あの……!」
俺の挙動を微笑みながら見つめる彼女に、さらに言い募ろうとしてしまった。
その時――何か冷たいモノが頬に当たった。
「おい。いつまで手を握っている」
低く、冷たい声。それと同じくらい冷たく、鋭い感触。刀だ。
息が、体の奥底まで逃げ込んだかのように吐き出せない。吸い込めもしない。俺の体は、再びカタカタと震え始めた。
「三つ数えるうちに姫から離れろ。そうすれば八つ裂きは勘弁してやる。ひとーつ、ふたーつ……」
「ひ、ひいぃぃっ!」
冷たい感触が徐々に頬から頭へ抜けていく。悲鳴を上げる間に、頬に当たっていた冷たいモノが高らかに振り上げられたのがわかった。
もはや振り返る事すらできずにいると――
「みっつ……ほぅ、八つ裂きを選ぶのだな。ではまず……姫の手を離さぬ、その汚らわしい右腕からだ!」
「ひっ、ご、ご、ごめんなさ……!」
もうダメだ――思わず目をつぶったその時、ふわりと体が何かに引き寄せられた。
次の瞬間、眼前で僅かな火花が散り、重い金属音と共に刀が床に転げ落ちた。
俺はと言えば……無様にも手を引かれた勢いで床に尻もちをついていた。
目の前には、俺を助けてくれた女性と、紺地の着物に袴を身に着けたまさしく侍といった風体の男性が対峙していた。
女性はいつの間にか俺と侍の間に立っていて、その細い手には扇が握られている。まさか、振り下ろされた刀を扇で受けて、叩き落したというのか? 彼女が?
混乱する俺の耳に、彼女の凛とした声が響く。
「おやめなさい、恭太郎。この方は悪漢ではありませんよ」
「しかし、姫に無礼をはたらく者です。斬り捨てて然るべきかと」
斬り捨てることは決定事項なのか……!
もう一度息をのむ俺を、彼女はくすりと笑って見降ろし、そして再び侍の方を向いた。
「無礼とは、何のことです?」
「命の恩人に対し礼の一つも述べず、挙句姫の御手を握ったまま放そうともしない不調法……許しがたい!」
そういえば、あわあわ言うばかりでお礼を言っていなかった。まずかった、と思うも、彼女はくすくすと笑って怒声に返した。
「無礼ではありません。私が、この方を助けたかったからああしたまで。この方に何の咎がありましょう?」
「姫のお優しいご気性はわかりますが……」
「優しさではありません。私は、この方を気に入ったのです」
「は?」
「は?」
これは、侍と俺、両方が同時に発した声だ。
一人、目の前の女性だけが変わらずニコニコ笑っている。
「決めたのです。この方は、私の許嫁とします」
女性は、俺の正面に膝をつき、俺の手を両手で包み込んで、きっぱりと言い切った。
「え……えええええぇぇっ!!?」
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